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火の杯 山本周五郎長編小説全集25巻

書名:火の杯 山本周五郎長編小説全集25巻
著者:山本 周五郎
発行所:新潮社
発行年月日:2015/1/25
ページ:466頁
定価:1600円+税

「この世界では善き意志は飾り物にすぎない。「善」は病める者の歌だ」

戦前の財閥の御曹司として生まれた御池康彦は、その出生の秘密(母は誰だか判らない)ゆえに、失意の青春時代を過ごす。終戦の近い時期、財閥はその組織を維持するために、財閥解体に向けた荒波を遁れようと次々と手を打つ、御池康彦は出生ゆえに法的に空襲で焼け死んだことにされ、別人に仕立てられ、そして信託銀行の損失補填(隠匿物資、財産処分)のために罪人にされてしまう。時代に翻弄された財閥の御曹司の青春の苦悩、そこに運命的な松原夏子との出会い、その献身的な愛によって。時代に流されるだけの御池康彦も運命に立ち向かう決意をする。

戦争に突き進んでいった財閥、戦後財閥解体の嵐に遭っても、巧妙に生き残っていく。社会の闇に挑む。でも狙いは判るが、詰めがかなりあまい小説。社会派小説は山本周五郎にはちょっと無理か?怒りはわかるが、そんな感じの小説です。


本書より
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「・・・人生は反逆だよ。すべての既成概念に反逆することだ、既に在るものは燃焼した灰さ、生きるということは創造だからね」

「積極的な意志を伴わない善は却って人を毒する」

「人間はみんな変る。伸びてゆく者もあり外れたり倒れたりする者もある。決して同じ状態に停っていることはない。しかも人間はいつも変らない状態を求める」

「人間は他に対してはうまいことが云える。しかし自分のことになると途方にくれるものだ」

「女性に限ったことではないけれども、「保護したい」という心理は、「庇護されたい」という心理の裏返しであるばあいが多い」

「純粋に献身的な愛であっても、なにかの意味で酬われるものがなければ、その愛は傷つかずにはいない」

「大多数の人間が不幸であるとき、自分だけが仕合せだということは、悪徳であり寧ろその大多数よりも遥に不幸である」

「人間はね、善良であるだけでは、いけないんだ、善良であるためには闘わなければならない、単に善良であるというだけでは、寧ろ害悪でさえあるというべきなんだぜ」