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青い空

書名:青い空
著者:海老沢 泰久
発行所:文藝春秋
発行年月日:2004/6/15
ページ:704頁
定価:2857円+税

日本の宗教史を縦糸、幕末の日本を横糸に綴られた見事な物語。幕末に生きる主人公・(藤右衛門)宇源太は出羽小河原藩中根村の農民、この村は転びキリシタンの村だった。そして藤右衛門は「キリシタン類族」だった。「1687年(貞享四年)、幕府は、一度でもキリシタンになった者は、たとえ改心したものであっても監視する方針に転換し、キリシタン及びその係累を「キリシタン類族」として一般の宗門人別帳から除き、キリシタン類族帳に記載することを命ずるキリシタン類族令を布告する。」男は5世代、女は3世代「キリシタン類族」とされた。

徳川幕府が行った寺請制度(=檀家制度)は、キリシタンと日蓮宗不受不施派の弾圧が目的だった。続いて、四代将軍徳川家綱が諸宗寺院法度を発令し、布教を禁じた。こうして、葬式仏教が誕生する。江戸時代は全国各地に関所が設けられているため、寺請証文がなければ旅をすることもかなわなかった。

こんな時代、藤右衛門は幼馴染みのおみよが強姦され、その兄仇討ちで返り討ちにあって殺されてしまう。それに怒った藤右衛門は仇討ちを果たして、村を出て江戸に出る。寺請証文もない藤右衛門は旅の途中で出会った親切な女将に、宇源太の道中手形を融通して貰う。そして名前も宇源太と変えて生きた行くことになる。江戸で剣術を学ぶ、同年代の尊敬できる神主に出会う。この宇源太の目を通して幕末の尊皇攘夷、佐幕派、明治維新を見事に描き出している。登場人物は多岐に渡るが、勝海舟を暗殺にいったり、勝の命令で長崎にキリシタンを助けにいったり、江戸、京都で赤報隊に参加したり、廃仏毀釈に遭遇したり、時代の主要な出来事に出会う。

江戸時代は寺の全盛時代幕府公認の金儲けが出来る。永平寺の住職になるには1000両が必要とか、神社は殆どがお寺の支配下にあった。(本地垂迹説)天照大神は大日如来。寺請制度を神社請制度にと一部の国学者津和野藩大国隆正、福羽美静など推進する。そして現人神なる概念が出てきていつしか明治天皇は神になってしまった。日本の宗教史、維新史を捉え直している作品です。読み応えのある本です。

本書より
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「ほう。おまえさん、連中に同情して帰ってきたか」
勝海舟はいった。
「連中の受けた拷問の様子をきいたら、同情もしたくなります。竜造さんは、今後は神も仏も信じないとにしたそうです」
「おそろしくなったか」
「いえ、そうじゃござんせん」
竜造はいった。
「神や仏を信じて、キリシタンだ何だと役人にこづきまわされるのはいやだと思っただけのことです 「どっちでも同じことだ」
勝海舟はいった。
「キリシタンでも何でもいいが、公儀にかぎらず、お上というものが宗教を取り締まるのは、それを見せしめにして、人民をみなおまえさんのような考えにさせるのが目的なのさ」
「どうしてです」
「人民が、みな死ぬことはおそろしくないなどといいだしたら、お上のいうことをきかせられなくなるじゃないか。死ぬのがおそろしくない人間ほど面倒な人間はいない。だから、おまえさん、そんなことじゃ駄目だよ」

勝海舟と吉野新三郎の会話
(吉野)「しかし、勝さん。このままではホラがホラでなくなって、天子は本当に神ということになってしまうよ」
(勝)「御意志でもないのに、そんなことになったら天子が一番お困りになるだろうよ」
(吉野)「わしもそう思う。しかし、わしはこの国の人間の心の問題を案じているんだ。仏教を、宗教ではなく、葬式をするだけのものにしてしまったのは徳川の幕府だが、ここで天子のご迷惑も考えずに、神道まで政治に利用したら、日本はいよいよ神を信じない人間ばかりの国になってしまうよ」
(勝)「そういわれるとおれも耳が痛いが、そうなるだろうね。懲罰をもって押し付ければ、表面上はしたがうだろうが、心は離れていくものだ」
(吉野)「宗教というのは最高の道徳だ。それがない国になってしまう」
(勝)「政治のほうでも問題が出てくる。徳川の政権はそりゃいろいろひどいこともおこなってきたが、すくなくとも、天子の思し召しの、天子の仰せだのといって政治をおこなったことは一度もなかった。(中略)問題は政治が誤りだったときだ。天子は、そうでなくとも、この国で唯一無二のお方なのに、神などということになったら、天子の名でおこなった政治を、誤りだったと取り消すわけにはいくまい。誤った政治をどこまでもつづけていくほかなくなる。しかし、その政治は誤りだから、いつかは破綻する。そのときどうするかということだ。徳川の政権は上様に責任がある体制になっていたから、最後は慶喜公が政権を朝廷に返上して政治的責任をとったが、天子は返上するところがない。結局、天子が責任をかぶって、天子の名を借りてやりたい放題のことをやった連中は、誰も責任をとらないということになる。こんな不道徳なことがあるもんかね。しかし、いまのやり方でいったら、必ずそうなるよ」

寺請制度(=檀家制度)
以後、すべての百姓と町人はこの寺請証文を毎年奉行所に提出しなければならなくなり、提出しない者はキリシタンと疑われた。武士の場合は藩主が監督したが、自分が仏教徒であることをつねに知らしめておかなければならないことは百姓町人と同様で、信心を証明する寺参りは彼らにも欠かせないものになる。そのため、これ以後は、すべての日本人が、信仰心とはかかわりなく、必ずいずれかの寺院の檀家にならなければならなくなったのである。

 それにともない、葬儀の形も変化した。それ以前は、必ずしも僧侶が立ち会ったわけではなく、親類縁者が集まって村の墓地に埋葬し、旅の僧などが村を訪れたときに経を上げてもらうというのが一般的だった。しかしこれ以後は、すべて檀家となった寺院の僧侶が執りおこなうようになるのである。むろん、それには多大な出費をともなったが、檀家は寺請証文を出してもらう手前、ことわることができなかった

しかも常念寺が百姓から銭をとるのはじつに簡単だった。布教はもちろん、法話をする必要も、経を上げる必要も、頭を下げる必要さえなかった。寺請証文を書かないとだけ匂わせれば、それでいくらでも必要なだけ銭が集まったのである。中根村の百姓たちはその常念寺に対し、キリシタンであることを知られないために、他の二村の百姓たちよりいつも多額の寄進をしなければならなかった。