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むさしあぶみ

むさしあぶみ
仮名草紙/1661刊行/浅井了意

「明暦の大火」のことを書いた仮名草紙。その「むさしあぶみ」の古文書が早稲田大学図書館の古典籍総合データベースにありました。保科正之がこの火事の後、江戸城の復興(天守閣は作らない)、日よけ地を設けた。両国橋を架けた。国家100年の計が有名ですが、その火事のリアルな記録(仮名草紙ですので創作もあるかも)が描かれています。

むさしあぶみ. 上,下 / [浅井了意] [撰]
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo01/wo01_03753/

※明暦の大火(丸山火事、振袖火事)より引用
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明暦の大火(丸山火事、振袖火事)
明暦三年(1657)1月18日の午後2時頃に本郷丸山付近から出火、2ヶ月以上雨が降っておらず加えて北西の強風にあおられて駿河台、日本橋、霊岸島から佃島・石川島まで延焼。また京橋から浅草橋へ延焼し隅田川を越えて深川、牛島へも飛び火し翌日の朝にいったん鎮火。
しかし午前10時頃に伝通院近くから再び出火、飯田橋から竹橋に広がり、正午過ぎに江戸城本丸に燃え移って天守閣が焼け落ち、4代将軍家綱は西の丸に避難。夕刻に風が西風に変わり京橋、新橋方面へ延焼。同じく夕刻に鵬町(現:麹町付近)からも出火、江戸城南側に延焼し芝増上寺の半分を焼いて海岸に至り、20日の朝にようやく完全に鎮火。

江戸市街の6割を焼失する大火で、「むさしあぶみ」などによれば死者は10万人を越えるとされ、翌々日には吹雪によって被災者に凍死者もでたとされています。

※明暦の大火(丸山火事、振袖火事)
http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/meireki.html