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江戸の備忘録

書名:江戸の備忘録
著者:磯田 道史
発行所:朝日新聞出版
発行年月日:2008/10/30
ページ:223頁
定価:1300円+税

江戸時代の歴史を題材に、古文書など第一次史料を読み込んでいる著者が、そんな書物をひもときながら江戸時代の「役人の数」「政府の規模」「教育水準」は?織田信長・上杉鷹山・山岡鉄舟・坂本竜馬など歴史上の人々の素顔に迫った歴史随筆です。

新聞などにコラム、随筆として書いたものをまとめたもので、5ページ程度で完結しているので、最初から読んでも、途中から読んでも良い本です。今の日本の土台となった江戸時代の成り立ちを平易な語り口で解き明かしています。

山岡鉄舟、最後の武士道の究極の体現者。『妻子を養うのは私事であり二の次であった』極貧の中で妻子は野草や木の実、植物の根を取ってきて食べていた。山岡鉄舟の知られざる話も面白い。

八百長の由来。八百屋の根本長造が、力士は大食いだから多くの野菜を買ってもらうために七代目伊勢ノ海親方に取り入り、囲碁友達となっていた。しかし親方には接待としてわざとヘボな碁を打っていたが、親方が碁会所を開き、そこに本因坊が来たときに八百長と対戦を観ると見事な碁を打っているので親方は自分が騙されていたことを知り、それを吹聴したから、それ以降親方への接待賄賂のことを「八百長」と呼ぶようになった。

十二支に猫がいないのは、中国で干支がはじまった2300年前には中国で猫を飼う習慣がなかったため。それから猫の家畜化に成功した古代エジプトでは『猫を大事にするあまり輸出を禁止。国外に密輸された猫は、古代エジプトの役人が諸国をめぐって連れ戻した』(P167)
また日本では「猪」が採用されているが、中国、韓国、インドなどでは「豚」。一時中国から「豚」が輸入されて飼育されいたが、野山にいる猪が簡単に捕獲することができたので日本では豚は飼育されなくなった。そんな時期十二支が入ってきた。

からくり儀衛門は蒸気船、アームストロング砲、自転車、通信用の電信機などを幕末~明治に国内で作ることに成功した。からくり儀衛門が現在の東芝へ繋がる。

 山岡鉄舟、武士道の究極の体現者。『妻子を養うのは私事であり二の次であった』ため、国事に奔走する浪士を連れ帰り飯を食わせたが、家族は野草や木の実、植物の根を取ってきて食べていたというのはひどいなあ。武士道を本気で極めようとするなら、暮らしが成り立たないということが彼のことを説明されるとよくわかるよ。しかし私事なら妻を取らずひとりで生活していけばいいと思うのだが、きっと武士道にはお家大事という意識もあるから(たぶん)妻をとっているんだろうなあ、一人でやるなら一定程度の敬意をもてるが他人、そういう生活を望まぬ人を巻き込むのはいかがなものかと感じてしまう。

 からくり儀衛門は蒸気船、アームストロング砲、自転車、通信用の電信機などを幕末~明治に国内で作ることに成功した。蒸気船は知っていたが、自転車や通信機までとは知らなかった。ちなみに彼が現在の東芝の礎となった。

「貧乏人の子沢山」というのは本当、実は江戸時代中国地方、四国地方など西国は気候が温暖で米、麦の二毛作が出来、豊かな土地だった。そのため子沢山で人口が増えた。でも関東地方、東北地方は気候が寒く、飢饉になることも多く、子供も少ない。

明治時代は明治33年(1900年)になっても文官と地方吏員、陸海軍定員を合わせた公務員数が1.3%江戸時代(初期には4%以上、幕末で2、3%)や現在(3.3%)に比べると半分位。同時代の欧米も同じ位。

鉄砲の保有。江戸時代は数十万丁の鉄砲があったが、厳重な鉄砲の管理をしていて、鉄砲を保有する猟師が亡くなると一時、保管庫に保管され、相続人の資格審査を行った後、相続される等、許可を受けた人しか持たせなかった。(現在は34万丁)江戸時代の人口は3000万人位

江戸時代にも苗字を持っていた。公式には苗字は名乗れなかったが、それは建前で私信や寺社への寄進などは苗字を使っていた。また墓に苗字を刻むこともされていた。建前では苗字は名乗ってはいけない。でも公式でなければ黙認されていた。

著者の他の本などいろいろと読んでいると同じ話が別の本にも出ていることがある。でも著者の原資料にあたる努力、精力に裏打ちされた信頼性の高い(定説とされていることより先を行っている)話が多い。なかなか読み応えのある本です。

磯田道史『江戸の備忘録』
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