記事一覧

解き明かされる 日本最古の歴史津波

書名:解き明かされる 日本最古の歴史津波
著者:飯沼 勇義
発行所:鳥影社
発行年月日:2013/3/11
ページ:367頁
定価:1800円+税

「仙台平野の歴史津波」(宝文堂 1995年)という本を1400冊作成して、東日本大震災の一六年前、宮城県、仙台市など関連ある自治体に配布して仙台平野には10mを超える津波が過去に何回も襲来したという警告を発していた。しかし自治体、マスコミ等は全く聞く耳を持たなかった。明治時代の三陸沖津波で仙台平野には1~2mが定説(常識)として無視されてきた。しかし実際には3.11で10mを遙かに超える津波で大勢の犠牲者が出た。地震に対する対策とともに津波に対する対策があれば被害はもっと少なくなった。ある中央の権威ある学者、専門家の言うことを金科玉条とした結果、天災ではなく、人災で多くの人の命が犠牲になった。

著者は古史古伝、伝説、古文書などの記録から、現地の津波の跡を発掘したりして、仙台平野というところは過去に、宮城県沖地震によって平野が海になって人が住めなくなった時期(4,50年~200年)があった証跡を確認した資料を基に「仙台平野の歴史津波」を出版したとのこと。古史古伝、伝説などは歴史学者は注目しない。また歴史には取り入れられない。しかし地震、津波は地球的な動きで、日本列島に人類が住み始まる前から起こっていた。しかし科学的という記録は残っていない。しかし古史古伝、伝説には人類の記憶が残っている。そこに注目して、仙台平野の過去を検証している。

縄文時代から弥生時代、その後資料のある大和政権以後も大震災、津波は定期的にやってきていることを訴えている。3.11で「想定外」がはやり言葉のようになったが、著者に言わせれば想定外といえる大きな地震、津波ではなかった。それ以上の大災害は過去にもあったという。旧多賀城跡のすぐ近くまで津波が押し寄せてきて多賀城が壊されて移動した記録が残っている(律令制時代)。旧多賀城跡まで津波が押し寄せるためには海岸線は100m位の津波になっていたはず。また仙台平野は大震災のたびに海になり、人々は

高台に移転、そして漁場として使われていた痕跡が残っている。慶長大震災の後伊達政宗はこの海を埋め立てて新田を開発している。仙台伊達藩62万石、でも実際は100万石を超えていたとも言われる。

海面をnメートル上げると沈んでしまう陸地が見える。仙台平野だけではなく名取市、岩沼市、南相馬市(福島)など見ると著者の言っている意味がわかる。

http://flood.firetree.net/

仙台の土地勘がないので、書かれている地名などがぴんとこないところもあるが、仙台にすんでいる人は是非一度読んでおいてほしい本だと思う。しかし専門家と称する人々からは無視されてきたし、3.11が実際起こっても注目するマスコミを一部で、無視され続けていると著者が告白している。

秀真伝(ほつまつたえ)などを参考にしてあるところが、今ひとつ信用されない原因かもしれない。3.11の大震災で震源とならなかった空白域が宮城県南沖、宮城県南南西沖がある。そこはエネルギーがかなりたまってきている。ここを震源域として地震、津波は3.11を超えるものが予想されると。

「仙台平野の歴史津波」(宝文堂 1995年)この本は今は絶版になっていて横浜市の図書館には無かった。