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本に出会う

皮肉文集

書名:皮肉文集
著者:村上 浪六
発行所:紅陽社
発行年月日:大正8年7月23日
ページ:405頁
定価:壱圓四拾銭

村上浪六という人の「皮肉文集」という本に出会いました。大正時代の大衆小説作家のようです。また社会党の浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢は孫(村上浪六の三女の子)になるようです。皮肉集というだけあってなかなか面白い。また時代を超えて今でも十分通用する話も多い。大阪堺出身の作家です。国立国会図書館デジタルコレクション で見ることが出来ます。

本書より
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現在以上の理想
 魚は水に不満足の念なく、鳥は空気に不満足の念なく、獣は山林地上に不満足の念なけれど、人は常に現在以上の理想を抱いて、固定せる同じところに満足せす、この満足せざる慾望を向上心とすれば、戀も亦これと等しく過去の戀に満足せす、ますます戀の向上せし結果、いよいよ戀は幾多の曲折せる難問題を帶び来りて、社会人事の複雑なると共に戀も乱麻の如く共端緒を沒せるがため、これを得むとして人は頻りに苦しみ、苦しむに從うて尚更ら深く迷ひ、逑ふに從うて狼狽し煩悶し悲観し失望し、竟には家を失ひ身を亡し他を殺すものあるに至れり。

京都の人間、大阪の人間
 同じ上方と称せられながらも、京都の人間は大阪の人間を萬事に下司根性の慌て者として、お座敷へ上げられまへん代物どすと笑ひ、また大阪の人間は京都の人間を古御所の雛人形として、食うものも食はずに澄まし込んでけつかると笑ふ、つまり京の着倒れに対して大阪の食い倒れを絶えず喧嘩の基とせり。
或人これを当たらず触らずに仲裁して曰く。東京は国家発展の政治舞台、京都は功成り名遂げし風流の隠居所。大阪は経済界の根本なる商業地、三都おのおのお互い仲よく手を握り合うて、長短相補ひ相扶くべしと

東京の人間
おっと大将、そこじゃて、江戸っ子はんの間違い、いつも其処じゃ、いかにも上方もンは銭勘定が高い、高いがな、そりゃ日用の生活費か、但し商賣上の算盤づくで。てンから帳面に上せて遊びと來たら、ハヽヽ失禮ぢゃが、迚も東京の人の真似の出来るこツちゃない、全體この東京で氣が大きいとか、金放れが、どうとかいふのは、まづ五回ぐらゐから十圓位までの事、お氣の毒やが少し手荒いところで、精々二三十圓から五六十圓、もう百圓となれば江戸ツ子はン、ちと困るなアゝハヽヽヽよし一夜に二百聞位使ふ人もあるやろ、あろやろがな、しかし後が續きまヘンぜ、この腰の弱い鼻頭の強い空威張の東京人間が、どう考へても、その全盛を其まゝいつまで魂氣よく續く筈がおまヘン、放蕩は自慢にならンが、月千圓づヽ費うて丸三年もつ″けは、この東京で随分、えらいもツになれまンな、ハハヽヽヽちょろ臭い、三圓の料理を喫べて六七十銭の釣錢は入らないよ、なンかンて、あほらしい、そンな小さい一時の眼の前ばかりぺ勇み肌で、仕込の薄い花火ぢゃないが、しゆツと出て、しゆツと消える

やうなももンじゃ、年が年中、同じ茶屋で十五年の間遊びつゞけたの、いや三十年も来るといふのは大阪で、あンまり珍しうおまへンぜ、とかく上方はな、この東京と正反対で、一度に十圓位までの奴は吝嗇れて汚ない、しかし一夜に二三十圓以上の阿呆になるとこれこそ小気味よう図抜けていまツせ、雪駄の裏金に小判を付けたり、三日目毎に襦袢から帯から羽織着物は勿論、身辺一切を呉服屋から仕立さして一年半もつづけたという奴、八畳敷に三盆白の砂糖を三尺高に積ンで月に三度づつ五十人の芸者を丸裸のまま相撲を取らすという白痴(たわけ)は現に私の友達にあるこツちや、また放蕩の方は偖置(さておい)て、堅い方は事実が、この東京で銀行は知らン事、二三萬圓の現金を十
三四の丁稚小僧に持たして其のまま使いに遣る商人が数多おますか、五圓紙幣一枚は袂へ紙屑のように念込んでも、萬圓以上を豆腐か煎餅を買ひに遣るように心易う一人で出せますまい、そこは東京じゃ、江戸っ子はン肝玉は知れてある、ハヽヽヽどうでおます大将、ちと言い過ぎましたかな。

国立国会図書館デジタルコレクション - 皮肉文集
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/912314
国立国会図書館デジタルコレクション - 当世五人男. 前(著村上浪六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887407
国立国会図書館デジタルコレクション - 当世五人男. 後(著村上浪六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887408

村上浪六(むらかみ なみろく)[慶応元年(1865年)~昭和19年(1944年)]
村上浪六は現在の堺区材木町東に生まれました。本名は信(まこと)。明治24年故郷堺にちなんだペンネーム〝ちぬの浦浪六〟の名で小説『三日月』を発表し一躍人気作家となりました。以来昭和十年代まで百数十篇にのぼる小説を執筆し、当時の大衆文学の中で不動の位置を占めました。浪六の小説は江戸時代の町奴を主人公にした作品が多いため、その髪型から「撥鬢(ばちびん)小説」と称されました。