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この君なくば

書名:この君なくば
著者:葉室 麟
発行所:朝日新聞出版
発行年月日:2012/10/30
ページ:259頁
定価:1600 円+税

12/23著者葉室麟さんが亡くなった。66才で50代に作家デビューして一気にたくさんの作品を書いている。葉室麟さんの作品は特に良いという訳ではないが、どの作品をとっても合格点で、当たり外れがないところが特徴か?読む本に迷うときに良く選んでいた作家です。最近多い。まだ若いのでもっともっと面白い作品が読めるかなと期待していたのですが、残念です。九州出身者を取り立てて書いていた。心から冥福をお祈りします。

この本は伍代藩(七万石)(架空)を舞台に伍代藩士の楠瀬譲と栞という二人が主人公。激動の幕末維新を背景に、懸命に生きる男女を描いている。竹林の中に建てられた茅葺の家、此君堂(しくんどう)と称された家に住む民間国学者・檜垣鉄斎が「この君なくば一日もあらじ」から此君堂と名付けた。此君堂は子供の頃から檜垣鉄斎について楠瀬譲が学んでいたところであり、鉄斎亡き後、栞から月に一度和歌の添削を受けている。

譲は優秀で藩主のお声懸かりにより、馬廻り役二百石の杉浦家の三女由利を妻に迎える。その由利が夏風邪をこじらせ、三歳になる愛娘の志穂を残してあっけなく亡くなった。譲にとって月に一度、此君堂で栞から和歌の添削を受けることは密かな楽しみであり、勤めから心が開放される機会でもあった。

譲は17歳の時に志を立て大坂で緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶ。帰国後蘭方医として召し出されるが、後に殖産方として藩の財政健全化の施策を練っていく。藩主伍代忠継の信認厚い人物となっていく。そしてこのことが、藩主並びに小藩である伍代藩の命運を左右して行く立場に置かれる。

藩主忠継は進取の気性を持ち、洋学への好奇心旺盛な開国派である。この藩主の命により、譲は開国反対の尊皇攘夷派が渦巻く京都へ出かけ世間の情勢をつかむ。譲は開国派(開明をして国力を強くした後攘夷)で外国との交易で藩を豊かにするという立場をとる。文久2年(1862年)9月から明治5年(1872年)の10年余り、九州の小藩の立場から眺めた視点で書かれている。

栞との忍ぶ恋、幕末の動乱期、真木和泉、大久保一蔵、西郷隆盛、高杉晋作、木戸孝允、榎本武揚、勝海舟など当時の有名人が次々と登場してくる。尊皇は幕府も勤王も同じ、しかし攘夷(外国を排斥)は水戸学派、そして勤王派が頑強に押していた。この押し問答の結果、薩摩・長州は結果的に開明派に尊皇は建前だけになってしまった。富国強兵が目的化していく。そんな時代を生き抜いたそれぞれの人々の生き方に興味がわいてくる。自分たちにもどんな時代が来て欲しい。こんな時代をとイメージ出来ていたのではなく、ただ単に明治がやってきた。そんな感じではなかったか?多分明確なグランドデザインを描けていたのは、明治を迎える前に亡くなった(殺された)人々だろう。生き残った人々にはグランドデザインはなかった。その場しのぎで版籍奉還、廃藩置換を強力に推し進めた。これも新政府の詐欺(嘘つき政府)だったのでしょうね。約束が違うよ。


本書より
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さらされていた村山たかに、運命を翻弄されながらも、おのれの信ずるものに殉ずる美しさを覚えました。いまの世はいずれの地にいようと、荒れ狂う時の流れを避けて通ることなど許されないと覚悟いたすしかないのではありますまいか。  p98

世の動きと自らの生き方は、おのずと違いましょう。世の流れに自らの生き方を合わせては、自身の大本を見失うかと存じます。 p115

されど、権勢というものは、それを得たいとあがく者が結局のところは握ります。われらの如く仕事をしたいだけの者は権勢とは無縁ゆえ、痛い目を見るかもしれぬと諦めにも似た心持がいたしましてな。  p122

風を受けるからこそ、たがいにかばい合う心持ちが強くなっているのだ。 p176

「寄る辺ないころに見たものが美しかったとは、不思議なことだな」
「待つという想いが込もればこそ、すべてがいとおしく見えていたのだと思います」 p184

飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず  p210