書名:ガラスのうさぎ
著者:高木 敏子
発行所:金の星社
発行年月日:2005/6
ページ:190頁
定価:600円+税
先日、二宮の吾妻山公園に行ってきた。JR東海道線二宮駅前に「ガラスのうさぎ」の像があった。その由来を書いたものもあった。そこで昭和20年8月5日に二宮駅で空襲があった事を知った。その空襲の犠牲者の遺族の方が書かれた「ガラスのうさぎ」という本があることを知った。早速図書館で借りてきて読んでみた。
1945年春の東京大空襲で行方不明になった母と妹、それに8月にあった神奈川県二宮駅で空襲で亡くした父の33回忌の供養に、高木敏子(1932~)が自費出版した『私の戦争体験』が、金の星社の目にとまり加筆して出版されたのが、「ガラスのうさぎ」です。小学校六年生だった少女も45歳の時、漸く世に出た本ですね。
東京本所区(墨田区)両国国技館近くのガラス工芸工場の娘だった著者・敏子の戦中戦後の悲惨な戦争体験を描いた作品です。これは小説ではありません。実際にあった出来事です。
空襲を逃れて二宮に疎開していた12歳の敏子は、1945年3月10日の東京大空襲で、東京本所区の工場と実家は焼失、母と?妹2人が行方不明になる。父と焼け跡を訪ね半分溶けたガラスのうさぎを見つける。父親が新潟で工場を再開することになり、8月5日、敏子は父と二宮駅に向かう。そこで東京行きの汽車を待っていた。その時、米軍機の機銃掃射にあい、父を失う。兄2人は軍隊に入隊していて連絡が取れない。敏子は二宮の知人や友達に助けられて、父親を火葬に付し、お寺にお骨を納める。(小学校六年生の少女が一人で)
戦後、次兄が復員して来るが、家が建つまで仙台の父親の親戚に預けられる。慣れない田舎の農家での生活は厳しく、学校へも行かせてもらえない。東京へ逃げ帰る。やがて養子の長兄が復員してくるが、遺産をもらって実家へ帰っていく。そんな当時の出来事を誇張も交えず、小学生の目でただあるがままに綴られいる。それだけ悲しみも、やるせなさもびんびんと伝わってくる。この本自身は反戦でも、戦争反対でもない。ただ普通の小学生、女学生として生きたかった敏子の心の叫びが響いてくる。みなさんにおすすめしたい本です。
昭和22年5月3日、日本国憲法施行当時で終わっているが、憲法第九条が引用されているこれは「金の星社」の入れ知恵か?
1981年、機銃掃射で父を失ったJR東海道線二宮駅前に、「平和と友情のシンボル」として「ガラスのうさぎ」の少女像が、平和を願う人々の浄財によって建設された。