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女帝 小池百合子

電子本、最近慣れてきて普通の本のように話が頭に入るようになりました。最初は頭に入ってこなかった。慣れですね。タブレットに何冊も入るし、荷物にならないのも良いです。この本で3MB程度の要領です。コピーも制限はありますが、出来ます。詠み上げも


書名:女帝 小池百合子
著者:石井 妙子
発行所:文藝春秋
発行年月日:2020/5/20
ページ:440頁
定価:1500円
Kindl版

先日、清水有高と東大教授安冨歩の電話対談で清水有高がこの本を45分で読んだと言っていた。そしてこの本を題材に小池百合子の生い立ちから、【カイロ大学歴問題】、生き様などについて語っていた。ちょっと興味を持って久々に本を買ってみた。今回はKindl版でタブレット、PCで読める本です。
読んでみて即、なんてかわいそうな人生を送ってきたのだろう。誰も怒ってくれる人がいなかったのでは。また友人もいないのでしょうね。人生を歩む上でいろいろと選択をして、それぞれそれなりに70年近く生きてきて全く、後悔はなかったように感じてしまう。人生70歳にもなればその人生がどんな人生であっても、それがやっぱり自分の選択した人生、そしてそれが一番良かった選択だったと思いたい。思うのではないでしょうか?
若い頃から男社会の中をひとり、上へ上へを求め、私が私が、と上昇志向で、嘘をついても嘘とは思わず、当たり前にはったりだけで人生を送ってきた。ヨーゼフ・ゲッベルスの宣伝術、電通の宣伝術のその上前をいく。感心してしまう。そしてなぜか、見え見えの嘘すら、それなりの人々が簡単に騙されてしまっている。これほど中身は全くなく、その組織、団体等のキーマンを言葉巧みに丸め込み味方にしていく手法は凄いと思う。そしてそれを信じさせてしまうマスコミ操縦術、小池の前にはマスコミは簡単騙されて片棒担ぎをする馬鹿記者ばかりと写ってしまう。きっちりと突っ込みに入れられる記者はいないのか?常識を疑ってしまう。

この本を読んでいると、普通の常識或る人は発狂してしまう。なんか不思議な世界、著者の石井妙子は決して、小池に批判的な書き方ではなく。多くのインタビューで語る人達の言葉を繋いでいる。だから信頼性があるように思う。提灯記事で持ち上げもない。

この本でも小池に投票しようとする人がいる世の中、なかなか面白い。ある一面を象徴しているように思う。常に敵を作り、それと戦うか弱い女(小池)という設定を常に意識して行動してきた。「カイロ大学を首席で卒業した、芦屋のお嬢さん」というイメージ作りから始まった彼女の人生これからどうなっていくのかちょっと興味ある。清水有高氏は45分で読んだと言っていたけれど私は約9時間ほどで読んだ。読みやすい本だった。

東大教授と語る【カイロ大学歴問題】小池知事から女帝小池百合子の反論。更に文春からの再反論!安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。
https://www.youtube.com/watch?v=frXNUMRqvTQ
清水有高は月300冊~1500冊読むと言われている。
『女帝』著者・石井妙子さんが明かす「私が小池百合子氏を掘り下げようと決意した理由」
https://bunshun.jp/articles/-/38802

本書より
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 小池は日本社会の、とりわけ日本のメディアの甘さを、この時、はっきりと感じ取ったことだろう。大抵の嘘は見抜かれない、ということを。自分が語ることをそのまま信じて活字にしてくれる男の記者たち。相手が何を喜ぶか、どんな話題を欲しがっているかを考え投げてやればいいだけだった。新聞で活字になれば、それは事実として世間に認定される。新聞記者はあまりにも騙しやすかった。

「テレビというのは、本来はこわい世界なんですよ。何十万、何百万という人たちに見られるんですから。そんなところに出る。普通の神経ではやれないことです。画面に出て自分の話し方ひとつ、表情ひとつで、世間を誘導できるわけで、とんでもない万能感を得られてしまう世界。大変な自信と高揚感を出演者は得る。すると、その快感から離れられなくなっていく。俳優は自分の表現として演技をするわけですから、見る側も、これは俳優が役を演じているのだとわかる。でも、キャスターは『自分』として出る。虚像と実像が溶け合ってしまう。

無名の彼女が世に出るための売り物は、カイロへの留学体験とカイロ大学卒という異色の学歴だけだった。だからこそ、ピラミッド写真や〝首席〟が加わりその「物語」はどんどん大きく、より魅力的になっていくのである。

「テレビは何を言うかやないんや、視聴者は、そんなことよりネクタイがどうだ、とか、髪がはねているとか、そういうことを気にするんや」という言葉だったらしい。竹村は視覚が与える情報を侮るな、という意味で小池に言ったのだろうが、彼女はこれを極めて表面的に受け取ってしまう。内容ではなく、ファッションや表情が何よりも大事なのだと。
小池さんは何の疑問もなく、乗れてしまう人なんだ。平気ではったりができる。虚業に疑問を抱かない。見識や知識がなくても、それを上回る器用さと度胸があった」

この東大助教授の男性と小池には、共通点が多くあった。ともに上昇志向が強く、野心家で有名になりたいと、もがいて生きていた。故郷を離れて東京での成功を求め、テレビ界に居場所を得たが、まだ満足しきれず飢餓感が満たされきれずにいる。 ふたりの家庭環境や生い立ちにも、似たところがあった。 男は貧困の中で立身出世を願って机に向かい、そのために学歴を求めた。小池もまた「学歴」を武器にしてきた。 助教授の父親は、かつては炭鉱に関係した事業家だった。小池の父が中東で求めたのは石油、男の父が九州の山間部で求めたのは石炭である。男の父も政治家に憧れ、選挙に出たが落選。その後、生活に困窮して八百屋を営んだ。

時の人気者や実力者にぱっぱっと身を置き換えるのは、まさに小池の女としての資質ですよ。女の性っていうヤツですね。とにかく努力不足です。もっと政治のことを勉強したほうがいい。今、彼女は党内でも相手にされてません」

彼女には、自分は自力で必死に這い上がってきた、という思いがあるのだろう。公人となってからも、だから、彼女は自分に助けを求める人々に対して冷たかった。時には残酷な仕打ちをしている。昔、世話になった人でもマイナスだと思う相手は切り捨てた。秘書に居留守を使わせ、時には「追い払って」と言いつける。

「自分の人気取りのために拉致問題を利用しようとする議員が多かった。拉致問題への国民の関心が高く、北朝鮮への憤怒が渦巻いていたので拉致議連に入れば選挙に有利だと、そんなふうに考える議員もいた。拉致被害者のご家族との写真を宣伝に使ったり」

会見が終わると取材陣も政治家も慌ただしく引き揚げてしまい、部屋には被害者家族と関係者だけが残され、大きな悲しみに包まれていた。するとそこへ、いったんは退出した小池が足音を立てて、慌ただしく駆け込んできた。彼女は大声を上げた。 「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」 部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で彼女は叫んだ。 「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」 この発言を会場で耳にした拉致被害者家族の池透さんは、「あれ以来、彼女のことは信用していない」と二〇一八年八月二十二日、自身のツイッターで明かしている。

小池の中にこそ、女性軽視の感情があること。男社会の紅一点として、もてはやされることを何よりも好むという精神構造に彼は気づけずにいたのだった。 男性たちにあがめられる存在。女にしておくには惜しいと言われる女。男を魅了しつつ男たちに頼られ、尊敬され、恐れられるリーダー。屈強な男たちを率いる優秀でエレガントな女。それが彼女の求める自己イメージであり、理想だった。小池がしばしば、尊敬する政治家としてマーガレット・サッチャーの名前を挙げる理由もここにある。

「エジプトは、なんでもまかり通ってしまう軍事国家です。エジプトは日本の莫大な経済援助を受けている。百合子さんは、その日本の大臣です。エジプトの高官や軍部と当然、つながっている。私は家の外に出るのが怖くなった。仕事に出かけようとして足が震え、『今日は休む』と連絡するようなことが続きました。友人たちには私の住所を、人にむやみに教えないでくれと頼んだ。誰かが私を探しに来ないかと怯えた。市場を歩いていてもバス停に並んでいても周囲を見回すようになった」

「結局、二十五年近く国会議員をしてきて、若狭さんみたいな頼りない政治家未満の人と、野田みたいなチンピラしか小池さんの傍にはいない。彼ら二人にしたって都知事になりそうだから寄ってきただけで、利害で結ばれているだけ。同志じゃない。小池さんには仲間がいない。長く付き合っ

日本はタテ社会である。組織のトップとつながり下を掌握するという彼女の処世術がここでも発揮された。