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栄花物語

栄花物語
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書名:栄花物語栄花物語
著者:山本 周五郎
発行所:
頁数:510ページ
発売日:
定価:129円 Kindle版

田沼意次は享保20年(1735年)に父の遺産600石を継いだ。そして出世を重ね、600石の旗本から5万7,000石の大名に。ちなみに柳沢吉保は家を継いだときは530石、隠居する前には15万1,200石の大名となる。横浜市で唯一の大名米倉丹後守昌尹は家を継いだとき600石から15,000石の大名に。

旗本600石で普通、増えもせず、減りもせずが普通なのでしょうが、田沼意次は異例の大出世、一人の将軍に権力が集中していると、ひいきにされるとどんどん登用されて出世する。しかし将軍が替わると、そのままの地位、石高を維持できるとは限らない。田沼意次は、次の松平定信が徹底的に嫌っていたので、財産没収の憂き目に遭っている。

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

あまりにも仕事が出来た田沼意次、松平定信のような古い固定概念でしか見ることが出来ないものにとっては田沼のやることは何でも気に入らなかったのでしょう。そして悪口ばかりを後世に残したので、田沼意次は酷い扱いを受けてきたのでしょうね。今、やっぱり見直されている一人でしょう。
この栄花物語は田沼意次も登場するが、主役ではなく、その時代を生きる周囲の人々、時代の生活などを描いている。また誤解の多い田沼意次像を著者は人間的魅力に満ちたひとりの侍として描いている。政治的手腕は認められながらも人間的には不徳漢のように伝えられる意次を暖かい目で見ています。

徳川中期、農村が疲弊し、都市部の商人が力を持ち始めた転換期。米で持ってきた経済に商業経済が入ってきた。そこでは年貢に変わる仕組みが急務になっていた。それが判っていたのは田沼意次。今で言う消費税、物品税等の景気の変動に同期した税の創出を、また印旛沼の干拓による新田開発と経済復興を目指していた。でもそれ以外の人々からは貧者への重税、賄賂政治、恣意的人材登用と非難にさらされていた。孤独に耐え、改革を押し進めた老中首座の重責を担う田沼意次、不屈の人間像を描いている。

本文より
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身心をあげて奉る心、その心が人間のねうちを決定するのだ、百姓は米を作るが、自分では多く稗麦を食べている、自分では食べないのになぜ艱難を凌いで米を作るか、……それは米を作ることが百姓の道だからだ、

ちょうど武士がおのれを滅して御主君のため国のために奉ずるように、我欲を去って世人のために道をまもる、栄達も名利もかえりみず、父祖代々その道を守りとおして来た百姓の生き方こそ、まことに、厳粛というべきであろう、七郎次……ここをよくよく考えなくてはなるまいぞ」

おはまに限らず、人間のすることはみな同じさ、献身とか奉公とかいうが、それはそのことが自分を満足させるから、献身的にもなり、奉公によろこびを感じもするんだ、男と女の感情もそのとおり、相手が自分にとって好ましく、その愛が自分を満足させるから愛するのさ、――人間はつねに自己中心だし、自分ひとりだという事実も動かせやしない、おはまはそれが自分にとって満足だから、苦労もし金品を貢ぎ、貞操をまもった、おれは単にその対象にすぎないんだよ」

「主従とか夫婦、友達という関係は、生きるための方便か単純な習慣にすぎない、それは眼に見えない絆となって人間を縛る、そして多くの人間がその絆を重大であると考えるあまり、自分が縛られていることにも気がつかず、本当は好ましくない生活にも、いやいやひきずられてゆくんだ」

「おれはそんなふうに生きたくはない」と信二郎は云った、「おれはどんなものにも縛られるのはいやだ、ついこのあいだおれは世話太平記を絶版にした、あの駄作が好評でひどく売れたんだね、それが好評でよく売れるということに縛られてはかなわないからだ、おれはいつもおれ自身でいたい、だからどんな絆に縛られることもがまんしないんだ」

「刀を差すことはやめなければいけない」と意次はよく云った、「刀というものは、ばか者が使っても狂人が使ってもよく斬れる、逆上したばか者がそうしようと思えば、その刀はどんなに有能な人間をも斬ることができる、また、ごく単純な誤解や怒りなどから、これまでしばしばそういう不条理な血が流された、――刀は廃すべきだ、できるだけ早く、凶器を身につける習慣をやめなければならない」

「われわれのやって来たことは、汀で砂の堤防を築くようなものだった」と家治は続けた、「積みあげるそばから波が崩してしまう、幾ら積みあげても、そばから崩されてしまうんだ、主殿の政策がどんなに価値の高いものであっても、それを理解する者がなく、このようにつぎつぎと毀されるのでは、いたずらに徒労を重ねるだけではないか、そのうえ情勢は悪くなるばかりだし、もっと悪くなってゆくことが眼に見えている、私はもう力が続かなくなった」

「それは人間ぜんたいのことですよ、人間はみな、自分では気づかずに、蒙昧と無知を繰り返しているものです、もちろんわれわれだってそのなかまに漏れはしないと思いますね」