山本亡洋(やまもと ぼうよう) - つみかさね
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山本亡洋(やまもと ぼうよう)
先日BSNHKの番組で初めて知った「山本亡洋」江戸時代の植物学2万巻の資料が保存されている山本亡羊読書室を運営していた儒学者、本草学者で、この塾で物産会を60年継続して開催している。博識の人であり、この塾に集う人も1600人を超える。武士、公家、幕府役人、勤王の志士、いろいろな人々が集っていた。どこか塙保己一(はなわ ほきいち)の精力的な面影を感じる人物です。ペリーが浦賀に来た年にはアメリカの防寒具の資料、実物を物産会に用意したり、松浦武四郎の蝦夷での物品などを展示したり、そしてそれらの索引目録が綺麗に保存されている。勿論物品も保存されている。博物館の初期に仕事を行っている。ものを媒介として人と人を繋ぐ、そして知識、智恵を繋ぐそんな場を作っていた人だと思う。江戸時代後期にこんな人がいたのかと感心せざるを得ない。一般に知られているような幕末の人物は明治維新の勝ち組の薩長に好かれた人、でもたいしたことがない人物が多い。それと違って新政府に嫌われた人物は骨がある。そんなことが判ってくる資料類です。彼の残したものは国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来る素晴らしい世の中になったものですね。
歩く博物館、貪欲に事蹟を集め、知識、智恵を身につけていた。また知り合いも多い。「京都の本草漢学塾山本読書室」現代にも欲しい場です。
山本 亡羊(やまもと ぼうよう)は江戸時代後期の医者、儒学者、本草学者。高槻藩臨時御用医。父山本封山に経学、医術、小野蘭山に本草学を学んだ。京都の自邸・山本読書室に西国各地から多くの弟子を迎え、講義、採薬、物産会を行い、多くの著作を残した。
日本には硝石がなかった。輸入に頼るしかなかった。でも硝石を作る方法を考えた「京都の本草漢学塾山本読書室」の人達が、また大砲の作り方なども幕末の動乱期にしっかりとした知識を持っていた。そんなことがわかる。番組では綾部市の農家(蚕農家)の床下に潜って土を集め、その土から硝石を取る実験をやっていた。600gの土を集めて、15gの硝石が採れた。それを使って火薬にして爆発することを確認。でも気の遠くなるような時間と手間が必要だということが判った。これで大砲の火薬を作るには100倍以上の土を集めないといけない。でも硝石の作り方は正しかった。確かに出来た。
塙保己一(はなわ ほきいち)『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。記録や手紙にいたるまで様々な資料を蒐集し、編纂した
山本亡羊採薬目録 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539371
山本亡羊読書室旧蹟
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si034.html
山本亡羊読書室旧蹟 江戸時代の植物学2万巻の資料が保存されている
https://blog.goo.ne.jp/korede193/e/c9454ad4bfb25a69f37f1b7ee92fa755
横断検索 [山本亡羊] [編]
https://jpsearch.go.jp/item/dignl-2535790
佐田神社・反射炉跡 | きちょくれ よっちょくれ 国東半島
https://plaza.rakuten.co.jp/meter/5014/
硝石製煉秘訣
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhp/54/2/54_77/_pdf/-char/ja
梅迫(綾部市)
http://tangonotimei.com/ikrg/umezako.html