記事一覧

本に出会う

国民の道徳

書名:国民の道徳
著者:西部 邁
編者:新しい歴史教科書をつくる会
発行所:産経新聞
発行年月日:2000/10/30
ページ:673頁
定価:648円+ 税

西尾幹二の「国民の歴史」の続編として発行された本です。厚さ4cm位になる大判の本です。「自由」「平等」「博愛」はフランス革命以降出てきた概念。また民主主義多数決で決めるシステム。それらは出てきた当初は当然「自由」「平等」「博愛」を訴えないといけないほど酷い状態だったところだから多くの人々に受け入れられてきた。もっとも日本はそれをただ言葉だけアメリカ経由で入ってきただけ。それを金科玉条に戦後知識人は絶対的価値のように宣伝してきた。

でも「自由」だけ考えても個人の視点からの自由、共同体の中の構成員の視点からの自由、そんなことすら定義されていない。多数決で物事を決める。多数派に属する人は一応、世間なみ、少数派はいじめの対象(子どもたちのいじめ)。本当は議論を尽くして双方の着地点を見つける。それでも決まらないときはやむを得ない手段としての多数決。勿論少数意見も尊重する。こんなことはまずほっておかれてしまった。

自由も個人の欲望、それを権利として主張するばかり。平等も本当はみんな一人一人違う、でも基本的人権(生存権)だけは平等ですよ。だったはず、でも今まで差別されてきた人が逆に優遇されないといけないとなってきた。

昔の日本は「恥の文化」があった。でもいまは外でものを食べながら歩く若者?、電車の中で化粧をする女性、恥は感じないらしい。いま恥を感じるのは多数派に入っていなかった時のようだ。政治家も人気投票、いかに気に入られるか?芸能人、スポーツ選手などが当選してしまう仕組み。

等々成る程と思うところもあるが、本筋が違っているのではないかと思うところもある、色々な視点が雑多に並べてある。したがって論理的に整合していない部分もあるので、批判、非難をしようと思うところもあるけれど、自分で考えてみる人には良い素材を提供してくれているように思う。

慣習、伝統、文化、家族の営み、隣近所のつき合い。コミュニティの合意、そして歴史としての経験知などを総称して道徳が作られてきた。その道徳が粉砕された。人間は尊厳のあるものとして憲法にも第一番にきているが、実は成長して尊厳のあるものにならないといけない。結果が先にきたものだから人権、人権と幼児、子供まで人権と育てる、躾けすら出来ていない。社会の構成単位の最小の形態が家族。それぞれに役割分担がある。日々の活動は毎回の繰り返し(本当は日々変わっている)の中でそれぞれの役者、子供は子供の、父親は父親の役割を果たしながら、近隣、共同体とのつき合い方、人と人のコミュニケーションのやり方などを練習している場が家族。そこから出てきたのが道徳だと。

一夫一婦制はなぜ一般的に認められているか?実は死と関わりがあって、相方の死、自分の死を見つめたときに偶然知り合った男と女が一緒になって共有する時間、空間を一番長く連れ添ってきた。双方がやっぱり自分の事として相手の死に対することが出来る。これが一夫多妻、多夫一妻であればその思いは気迫になっていまうと。著者の言っている。

そんなに難しい本でもないのですが、読むのに少々時間が掛かった。多分重さのせいかな。ノートパソコンより思い。つかれて長い間読んでいられない。