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二宮尊徳 財の生命は徳を生かすにあり

書名:二宮尊徳
   財の生命は徳を生かすにあり
著者:小林 惟司
発行所:ミネルヴァ書房
発行年月日:2009/12/10
ページ:351頁
定価:2800 円+ 税

小学校の校庭に二宮尊徳の像があった世代の人たちもいるのでは?ところが敗戦と共にすっかり追い払われて、今、二宮尊徳の像はどこかへ忘れ去られてしまっている。戦後の進歩的文化人、似非民主主義者、日教組によってまったく無視されてしまった二宮尊徳の本です。久々に出会った力作、また二宮尊徳に惚れ直すような本です。

貧困の中で柴を背負って本を読んでいるという姿から学問の人かと思うと全く違って、実践家、釈迦、孔子、孟子などいろいろと聖人、偉い人はいるけれど、尊徳のように実践の人はいない。大抵は理屈の人、理論の人が多い。唯一と言える実践の人。自然の中に生き、米を植えれば米が育ち、麦を植えれば麦が育つ、自然のことわりをしっかりと見つめながら、自然だけに任せておくと作物は育たない。(天道)そこに人道がある。草が生えれば草をとり、水の流れがどどこおっていれば流してやり、人が介助することでよりよく育つ。そんな当たり前のことを当たり前に勤勉に行った人。

お金の大切さを十分知り尽くした上で、高利貸しのようなお金を貸すのではなく、貧乏人には先にお金を無利息で貸す、そして自分たちの最低限の必要なお金(分度)を決め、それ以上得られたときは蓄積し、災害、饑饉でえられないときは蓄積したものを廻す。宵越しの金は持たないというのは人間のすることではない。

人に男と女があるように、生まれた時から金持ち、生まれた時から貧乏。これはしかたないこと。しかしそれは循環している。男と女が協力して子供を育てるようにそれぞれの特徴を生かして生きる。金持ちは貧乏人を、貧乏人は金持ちをそれぞれもっているものを出し合って協力していくことで世の中は回っていく。

体制に反発的ではなく、また革命思想でもなく、現状をしっかりと見極めて、百姓達を自立させること、そして自立した百姓達は自立できていない人たちを助ける。相互扶助の精神を養っていく。そんな尊徳の一生を綴っている。簡単に出来たわけではなく、旧弊に拘る役人達、家老、怠けたくなる人など壁は高い。でも時節、時を待って熟してきたところで仕掛ける。そんな人。

戦後、GHQの新聞課長インボーデンという人が論文で尊徳二宮金次郎こそは、近世日本の生んだ最大の民主主義的な、私の見るところでは世界民主主義の英雄、偉人と比べ、いささかのひけもとらなり大人物です。といっている。「二宮尊徳の教えるものは利己的な立身出世主義ではなく、社会人として踏み行うべき大道である。すなわち、いかなる人もこの世に生をうけ、生を保っていられるのは、天と地のおかげである。したがってその宏大な思いに報いる手段として、人は生ある間、勤勉にこれ努めねばならぬ」

世界を見ると尊徳と同世代に、アダムスミス、マルクス、ケインズ、フランクリン日本では水野忠邦、大原幽学、佐藤信淵、海保青陵それと尊徳に惚れ込んで小田原藩の復興を依頼した大久保忠真。この人は余りにも多才で、有能、行動の人、一人の一生を何十人分も生き抜いた人。あまりにも深く理解することは難しい。大人物。坂本龍馬なんかどこか飛んでいってしまうような人だと思う。じっくりと二宮尊徳について調べてみたい。幸いなことに神奈川県の人。

もともと財の生命は徳を生かすためである。人を恵む徳から助成された財によって高利貸しの泥沼から抜け出て自立独行の徳を積む者が、その勤行の間に恵まれた元の徳をおもい、自立できた冥加に感謝して、その徳に報いるため、新しく他の苦しんでいる人のために恵みを「善種」としてゆずり、その財を「人為」の徳を発揮させるように使うならば、まさに「公財」「天財」「国宝」であって、永久に万物を育んでゆく天日のようである。