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逆説の日本史15 近世改革編 官僚政治と吉宗の謎 

書名:逆説の日本史15 近世改革編
   官僚政治と吉宗の謎 
著者:井沢 元彦
発行所:小学館
発行年月日:2008/8/3
ページ:409頁
定価:1600 円+ 税

今まで時代劇ではヒーローと呼ばれていた吉宗、松平定信など、逆に悪役といわれた田沼意次、徳川宗春それとは全く逆の評価をしている。江戸時代は朱子学(儒教)が盛んで、商人などは軽蔑の対象、それに比べて孝が重んじられた時代。先代の行った事(前例)を大切にして先祖返りが重んじられた。

そんな中で吉宗、松平定信などは評価され、農業からだけではなく商人から税金を取ろうとして田沼意次、節約は支配者階級のものがすることで、庶民は贅沢してお金を回さないといけないと自らそれを行った徳川宗春。米を基軸通貨として1石=1両(少しの変動があったが)の固定相場。実はここに凄い矛盾があった。

お米を増産して沢山収穫すると、米で給金を貰っている武士は米の価値が下がって(インフレ)しまう。逆に米が取れなくなって高くなると価値は上がるが、米が買えなくなってしまう。そんな矛盾を解決しようとして貨幣の改鋳した政策は実は今のお札のように、米が沢山取れたときには貨幣を多くしてデフレ政策、逆の時はインフレ政策を実現しようとした先駆的な人たちもいた。田沼意次、徳川宗春などはその先駆者。

今までの定説とはかなり違った見方。なかなか面白い、松平定信は国元の人々が冷害で飢え死にしそうになったとき、他国から米を買い占めて一人の死者も出さなかったことで、幕府の老中に。でも一藩の藩主であれば自藩のことだけ、その他の藩はお構いなしでも良いけれど、幕府の要人として不合格。同じ時期の上杉鷹山は冷害に備えて備蓄をして豊かな所から買い上げた。

ところで天明の飢饉以後は冷害で餓死者が出たのは東北、北陸地方だけになった。この頃に青木昆陽で有名な「からいも」サツマイモが全国的に作られるようになった。この効果が大きい。ところで日本から餓死者が無くなったのは昭和の10年前後農林一号というお米が作られるようになってはじめて東北、北陸地方でも美味しいお米、寒さに強い米が出来たことによるとのこと。この農林一号の系譜からコシヒカリ、ササニシキなどが生まれて新潟などが米所になった。

江戸はどうして火事が多いのだろう。1601年から1867年に至る267年間に、江戸では49回もの大火が発生した。267年間で京都が9回、大阪が6回、金沢が3回。また大火以外の火事も含めれば267年間で1798回。4~5年に一回大火が発生している計算になる。「火事と喧嘩は江戸の華」はやけくそでいっているのかも。武家屋敷は大きな敷地で、庶民の住む場所は混雑していたのか。人口密度がかなり高かった。「空っ風」のせい。同じように京都大阪も人口密度は高かった。これはちょっと謎です。

この逆説の日本史を読んでいると自分なりにいろいろと疑問が出て来る。歴史学会の資料至上主義に反発している井沢の歴史学の信条は資料に無いところは知恵を働かせと。資料は後の人が残している。その行間を自分の知恵で読めと言っている。