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原発事故残留汚染の危険性

書名:原発事故残留汚染の危険性
   われわれの健康は守られるのか
著者:武田 邦彦
発行所:朝日新聞出版社
発行年月日:2011/4/30
ページ:159頁
定価:1500円+税

何故国は本当の事を公表しないのか!事故の起きた理由、何が問題なのか、放射線の影響は大丈夫か。著者は3年前に「原発は地震で壊れるように設計されている」と問題点を「原子力安全委員会」で指摘している。著者の立場は「安全な原子力推進派」「不安全な原子力反対派」といっています。
マグニチュード9.0の意味とは今回の東日本大震災からモーメント・マグニチュードを使い始めた。今までの気象庁マグニチュードであれば8.4程度の地震。津波も1896年の明治三陸地震のとき15m~38mということで予想外、想定外、過大でも過小でもない日本で起こりうる地震、津波だった。
これからの調査結果を待たねばならないけれど、福島原発のところの震度は6.0程度、外部電源の鉄塔が倒れたのは地震が原因とみられる。また原子炉建屋も相当傷んだようだ。津波が起こったから電源が間に合わなかったというのは???
そして「どうも日本社会というのもは、原発という巨大技術を持つまでには成熟していないのではないか」巨大な技術だけで成立するわけではなく、その技術をサポートする社会があってこそ」と仕様設計ミス(環境条件、設置条件、性能、安全基準等)、システム設計ミス。原子力発電は専門分化して徹底的に研究開発しないといけない位難しい技術、そして部分部分(原子炉、格納容器、冷却装置)の最適化は得意だが、全体としてのエンジニアリング技術は不得意分野、事故が起きたときにどうするか、その手順すら考えてもいなかった。それが実体か?

「どのぐらいの被ばくまで大丈夫か?」それは、すでに「日本の法律」で決まっていて「原子力、放射線の専門家」が3月11日まで「これが正しい」と行ってきた数値です。だから、そこで定められた数値は「原子力安全委員会」や「文科省」でも変更することはできませんし、まして、何も関係も権限もない「保安院」などはその数値と離れて「健康に影響が無い」などと口を挟むことはできません。つまり、
1. 一般人 1年1ミリシーベルト以下
2. 職業人 1年20ミリシーベルト以下(特例あり)
3. 医療  放射線をあびる損失が治療の効果を下回る範囲
4. 管理  3ヶ月で1.3ミリシーベルト以下

これをもとに残留汚染について詳しく判るように説明しています。また専門用語をなるべく使わず説明していますので専門家がそのおおざっぱなところをつく。そして武田はとんでもない奴だという人も多いのも事実です。自分で読んで判断をしましょう。

ちなみ武谷三男という人がかつていました。原子力発電というと必ず出て来る人(武谷三男は原子力推進派、反対派のいずれも武谷を原点として議論していたそれぞれの論拠はどちらも武谷三男だった)

「原子力発電」(武谷三男編 岩波新書)よると(武谷三男は原子力推進派、反対派のいずれも武谷を原点として議論
していたそれぞれの論拠はどちらも武谷三男だった)
ある許容量概念について述べられている部分は、考えさせられる。「許容量とはそれ以下で無害な量というのではなくて、その個人の健康にとって、それを受けない場合もっと悪いことになるときに、止むをえず受けることを認める量であり、人権にもとづく社会的概念である」。

「安全性の考え方」の“原子力の教訓”の章に、武谷さんと阪大・京大の先生と対談で、武谷さんは次のように述べている。
原子炉は絶対安全ということをおっしゃっている方がどうやらいらっしゃるようです。安全ということも大変疑問であります。安全でないからこそいろいろの防御設備をして、鉄の容れ物に全体を入れてみたり、いろいろ苦心惨憺するのであります。ですから、それを軽々しい態度で、こうやれば絶対安全、ああやれば絶対安全ということを言うのは非常に間違った態度であります。それは原子炉の本質的な問題を御存じない、原子炉の構造をいろいろトレーシング・ペーパーでお描きになったことはあるかも知れませんが、原子炉の根本的な態度、本質的なことについては御存じないと言われてもしようがない。すくなくとも絶対安全とか、また安全とかいうような言葉は言うべきではない。あくまで安全にしたい、する努力をするという態度で何時も言う必要があるのです。