書名:役行者
修験道と海人と黄金伝説
著者:前田 良一
発行所:日本経済新聞社
発行年月日:2006/10/24
ページ:402頁
定価:2500円+税
役行者(役小角)は謎の多い人、日本の山岳は役行者が登ったという伝承が多く残っています。修験道の開祖、山岳宗教の創始者といわれていますが、謎の多い人物。著者が自分の足で各地を歩いてこの謎に挑んでいます。キーワードは吉野、紀ノ川、上流の吉野川、大峰山、金峰山、山岳宗教メッカの吉野地方(奈良・和歌山・三重・滋賀)を中心に日本書紀、古事記、各地の風土記の記述を追いながら古代の神話時代。天智天皇・大海人皇子(天武天皇)の時代などの謎解きを行っています。
神武天皇が東征のとき紀伊の国に着いたとき、重要な八咫烏、土蜘蛛族の先祖を海人(奴国の末裔)-葛木氏、賀茂氏
が役行者の先祖と比定する。奴国は邪馬台国より120年も前に漢に認められいた国。その後航海術を駆使して瀬戸内海、紀州半島、伊豆半島、常陸の国までの海のルートを開拓していた。また紀州半島船の底に腐食防止のために朱を塗るその朱を探して紀ノ川、吉野川を上って大峰山、金峰山の山の道(サンカ)を開拓していた。朱は水銀とともに出る。
吉野は水銀の鉱山があった。水銀のあるところ金がある。修験道は宗教だけではなく金銀銅など鉱物を探し、鉱山開発をしたのが山伏。そして鉱脈がなくなると次の山に移っていった。古代の天下分け目の戦い壬申の乱のとき大海人皇子が吉野に籠もった。これは吉野資金、組織を見方につけるため、そして勝った。その後でも南北朝時代でも吉野に南朝が、そしてその勢力はなかなか衰えない。資金源が尽きずに供給されていたのでは。それも山伏、猿楽師、薬売りなど全国にネットワークを持っていたその中心に吉野があったのではないか。など面白い説がいろいろ出てきます。
何故、東大寺は平城京の端に作られたのか?東大寺のお水取りは東大寺にとっては重要な行事。二月堂の行事で本尊十一面観音に香水を捧げられる。奈良の大仏ではない。天皇の住む御所を見下ろすところに東大寺がある。これは少し不思議です。二月堂ももとは修験道の聖地、若草山、その周辺の森も同様。春日大社は常陸の国の鹿島神宮から招聘した神によって祭られている。
修験道は山人の山師達の活動ということで考えると女人禁制というのも説明がつく。金銀銅などの鉱山は秘密の場所。従って鉱山に町を作って人々が住んではいけないところ。鉱山の入口はあくまで秘密の場所ということで女人禁制、戒律などが作られていた。説明している。吉野の風景と歴史が生き生きと描いてある。大作です。
(帯表より)鬼を使い、空を飛び、天皇転覆を謀った呪術師の正体
吉野には何が隠されているのか?修験道取材30年のジャーナリストが日本古代史最大級の謎を追う。
(帯裏より)修験道も吉野も謎に満ちている。忍者のルーツは小角に遡る。安倍晴明の陰陽道も小角に辿り着く。
空海は吉野で修行した後、真言宗を開いた。それだけではない。マジック、サーカス、曲芸、芸能、占い、医術、薬学、果てはごろつき、腕貸し、博打打ちまで、社会の裏も表も起源は小角かその周辺に辿り着く。小角の正体を知ることは「日本のからくり」を知ることになる。-「はじめに」より