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孔子

書名:孔子
著者:井上 靖
発行所:新潮社
発行年月日:1989/9/10
ページ:413頁
定価:不明

この本は井上靖の晩年の作品で氏の集大成といえる名作。昨年の東日本大震災の後偶然であった凄い作品。真面目に生きて、何の罪もない人が大災害で命を奪われてしまう。なんとも悔しい限り、天命とは、天は。不真面目で悪人は生き残るこれはどうしたことか。でも歴史はこんなことを河の流れのように太古の昔から続けている。天命とは?こんなときにはすぐ英雄大望説などが流れるが、英雄、優秀な人が何かできるのか。

心にびんびんとくる落ち着いた語り、二千五百年前、春秋末期の乱世に生きた孔子の人間像を描く、「論語」に収められた孔子の詞はどんな背景を持って生まれてきたのか?孔子の放浪の旅に一緒について行った架空の弟子「えん薑」が孔子の死後、33年経ってから当時を思い出しながら語る形で物語は進行する。弟子「えん薑」は実は井上靖そのひと。「論語」の詞を独自の解釈をつけている。現代にも通じる知恵が散りばめられている。孔子の人間像を余すところ無く描いている。「信」と「仁」解釈なんか納得してしまう。深い深い孔子の理解がそこら中に漂ってくる長編歴史小説です。何度も何度も読み返して見たい作品です。
人生の深いところを教えてくれる。「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず」の解釈には感動してしまう。じっくりと読んでみたい。

本書より
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人間は嘘を言ってはいけない。口から出すことはなべて本当のこと、真実でなければならない。これはこの地球上で生きていく上での、人間同士の約束である。暗々裡の約束である。人間がお互いに相手の言うことを信ずることが出来て、初めて社会の秩序というものは保たれてゆくのである。このように人が口から出す言葉というものは”信ずるもの”、”信じられるもの”でなければ。それ故に”人”という字と”言”という字が組み合わされて”信”という字が出来ている。
”仁”という字は人偏に”二”の字を配している。親子であれ、主従であれ、旅で出会った未知の間柄であれ、兎に角、人間が二人、顔を合わせれば、その二人の間には、二人がお互いに守らなければならぬ規約とでもいったものが生まれてくる。それが”仁”というものである。他の言葉でいうと”思いやり”、相手の立場に立ってものを考えてやるということである。

本書より
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◇―逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず  
 川の流れも、人間の流れも同じである。時々刻々、流れている。流れ、流れている。長い流れの途中にはいろいろなことがある。併し、結局のところは流れ流れて行って、大海へ注ぐではないか。
 人間の流れも、また同じであろう。親の代、子の代、孫の代と、次々に移り変わってゆくところも、川の流れと同じである。戦乱の時代もあれば、自然の大災害に傷(いた)めつけられる時もある。併し、人類の流れも、水の流れと同じように、色々な支流を併せ集め、次第に大きく成長し、やはり大海を目指して流れて行くに違いない。

君子、固より窮す。小人、窮すれば、斯に濫る。
道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。
巧言令色、鮮なし仁。
死生、命あり、富貴、天にあり。
未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。