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コロビマス

書名:コロビマス
著者:山本 音也
発行所:文藝春秋
発行年月日:2003/5/15
ページ:382頁
定価:1905円+税

 キリスト教の考え方に天(神)が人を創る。万物を創造するというがある。イエズス会の宣教師として1610年30才で日本にやって来たクリストヴァン・フェレイラは上方地区の布教責任者として20年以上の長きに渡り活躍した。ザビエル以来、豊臣秀吉の伴天連追放令(1587年)までは順調にキリスト教の布教が展開していたが、フェレイラ来日はそれ以降、布教は地下活動をしていた。1633年宗門奉行に捕縛され、拷問にあってキリスト教を棄教(ころんでしまう)してしまう。

棄教したフェレイラは沢野忠庵を名乗り、日本人妻をめとり(子孫までいる)、幕府の目明かし、他の転び伴天連(棄教した聖職者)と共に キリシタン取締りにあたった。また通詞としても活動し、以後17年存命したという。遠藤周作の「切支丹時代」にも描かれている。ポルトガル、スペインの当時のキリスト教の役割(侵略のための先兵としての役割)、日本の中で急速にキリスト教が普及していったのか?日本の制度の問題(家、一族、領主)が大きく関わって伴天連追放令が出ても隠れキリシタンが各地で地下活動を行っていく。フェレイラから見ると日本のキリスト教はどこかで枝が違って、違った宗教になってしまっている。そんな戸惑いを持ちながらキリスト教への疑惑。そして日本にはキリスト教の考え方があわないと。緑の国土にはキリスト教は合わない。砂漠と灼熱の地がよく似合う宗教と。日本では人が天(神)を創り。佛を創る。全く逆の考え方だと。日本には100人いれば100人の神がいる。なかなか鋭い見方で綴っている。遠藤周作の「沈黙」より良い作品ではないかと思う。