書名:泣き虫弱虫諸葛孔明
著者:酒見 賢一
発行所:文藝春秋
発行年月日:2004/11/25
ページ:485頁
定価:1905円+税
三国志の中に出て来る話を酒見流の視点で、本当の孔明はこんな人ではなかったか?という風にちょっとユーモアを交えながら綴っている。一応、三国志の中身を知っているとなんとなく話についていけるのですが、知らないとあまりにも話が飛ぶのでついていくのに苦労する。三国志では英雄諸葛孔明になっているが、実は孔明が参加してから殆ど領土を広げたわけでもなく、戦に勝った訳でもなく、平凡な軍師それを歴史と民衆が一躍英雄に押し上げてしまった。関羽にしても神様までになってしまった。この現象を酒見流に面白おかしく綴っている。
劉備・関羽・張飛の3兄弟と孔明それらはやくざの任侠の世界で繋がっていた。曹操は組織的に国家を運営していくことを目指したが、劉備は任侠の世界で情で動かすということで、人には人気があったが、強国は作れなかった。そんな違いをそこかしこに散りばめている。
本書より
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「真人は足跡を残さず」という。人類に対して、歴史に対して、真に重要なことをやった人間の名は残ることはない。逆に言えば名が歴史に残ってしまうようなやつは駄目で、じつは大した仕事はしていない、という意味である。
いいたとえではないが、最初に野菜や肉を塩漬けにすると中長期保存が可能と気づいた人間だとか、釘に螺旋を切ってネジにした人間とか、人類の多くの発明、技術は明かし人知らずである。---中略----
史書の中に男の名ばかり出てきても、それを支え助けた女性の名は希にしか残らない。昔から女が「子供をつくる道具」以上の重要不可欠なものであったことは誰しも分かっていたことであろうに殆ど無視を決め込んできた。英雄と英雌は同価値であるべきだ。偉人伝にしろ、悪人伝にしろ、歴史に名が記録されているような者は真人ではないということになる。