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本に出会う

高碕達之助集

書名:高碕達之助集(上)
著者:高碕達之助集刊行委員会
発行所:東洋製罐(株)
発行年月日:1965/2/1
ページ:350頁
定価:非売品

書名:高碕達之助集(下)
著者:高碕達之助集刊行委員会
発行所:東洋製罐(株)
発行年月日:1965/2/1
ページ:430頁
定価:非売品

ある人から高碕達之助という人の話を聞いて興味をもった。この人は大阪府高槻市出身、水産講習所(現水産大学)を出て缶詰の缶を作る会社東洋製罐(株)という会社を創業した人、また太平洋戦争中、満鉄から独立して作られた満州重工業の副総裁、鮎川総裁が引退後総裁、そして敗戦、敗戦後、ロシア、国民政府軍、共産軍と支配者の変わる満州で日本人の同胞を守るべく交渉、帰還へと奔走した。敗戦2年後本土に帰る。その後電力事情の良くない時代、電源開発総裁として佐久間ダムを3年で完成させる。アメリカのコンサルタント会社の採用、土木機械もアメリカから輸入。資金もアメリカから調達してくる。その後のダム工事のモデルに。黒四ダムも佐久間ダム方式を踏襲している。また鳩山一郎総理の下で経済企画庁の初代大臣を勤める。そして国会議員に立候補、当選。日本は4面を海に囲まれたところだから海の資源を有効に生かして富国強兵しないといけないという信念で、缶詰を産業の種に。そして一生を通じて水産をベースに、アメリカをはじめ、ロシア、中国、インド、などの要人とも友人関係でいまでいうグローバルな視点に立った活動を行った人。

日ソ漁業交渉などの場面でもその人脈を生かした活動で相手にも信用を得ていたとか。日本の立場だけにたった交渉ではなく、もっともっと大きな視点で説得できる貫禄をもっていたとか。一応、河野派と呼ばれていたが、河野一郎も高碕達之助も否定している。自分からなりたくて政治家になった政治家は多いけれど、高碕は政治家にはなりたくなかったと。政治家になっても一企業人の精神は忘れていない。役人は予算を使う計画は立案するけれど、回収、返済計画は全く駄目。起業家、銀行家は資金を投入するのは何に使うかではなく、回収、返済が出来るかが一番重要。でも政府の予算はこの視点は全くないと。また政府のお金の使い方はお金を生かす視点はない。計画は予定通りいかないないもの、その時その時見直しながらやっていくことが大事。理論派というより、実行の人。人の面倒はよく見るが、それを絶対に恩に着せることはなかった。肝の据わった人。私欲で行動しない人。

この人の逸話に、自分のこどもが中学校の頃、いわゆる不良少年でどうしょうもない子供だった。学校も退学になりそうになっていたとき。当然世界を相手に大きな仕事をやっていて忙しい中、子供のことは全くかまっていなかった。でも「日本のためだ、世界のためだ、水産界のためだと大きな仕事をやっているように見えても。自分の子供すらまともに育てられない。こんなことではいかん。」と子供に心から謝ったと。

高碕達之助というひとなかなか魅力的な人です。今の世の中、政治をあの世からどみているのでしょう。無くなった時殆ど財産はなかった。人の事業などにはお金を集めるのは得意で、いろいろなところ口を聞いて集めてきたが、自分の欲で集めたことはなかった。明治の人はどこか違う。