書名:古代蝦夷を考える
著者:高橋 富雄
発行所:吉川弘文館
発行年月日:2010/7/20
ページ:326頁
定価:2300円+税
蝦夷とは何か。その呼び名はなぜエミシ、エゾでなく、エビスでなければならないのか?いままであまり気にしていなかった疑問を古代東北史の研究から再検討した大作です。日本古代のあづま、東国を記紀、風土記などを参考に読み解いていく。結論の出ていない問題提起もいろいろあって興味深い。初期の頃には、足柄の関、碓氷の関より東は東夷の国、それが時代が下るにつれて段々東、そして北へ。
神話の世界、ヤマトタケルミコトの頃の常陸の国は蝦夷(えみし)、そして日髙見国と呼ばれていた。その後白河の関、菊多の関より北。そして現在の盛岡(陸奥六郡)あたりに日髙見国は移動する。その日髙見国は日の本の国として旧唐書にも出て来る国。日本という国の名前の原形になったのはエミシの国(日髙見国)だった。坂上田村麻呂の説話の中にも日本中央という石碑を埋めたという話が出て来る。戦後青森県で発見されたとされている。
2つの倭の国。西のヤマト、東の日の本の国ロマンがあって良いですね。
蝦夷(エミシ)とアイヌは別だというのが著者の主張。蝦夷は騎馬軍団などのように馬を扱うのが得意。またヤマトへの馬の供給基地としての役割があった。ところがアイヌは馬は一切扱わない。熊の文化。したがってエゾ=アイヌというヤマト側から勝手に定義されていたことは間違いであると言っている。このあたりの研究は文献研究、実地研究も全く手が付けられていないところ。中央集権史学の見落としているところだと指摘している。
ちょっと難しい本ですが、時間をかけてゆっくりと読んでいくと著者の意気込み、息吹が伝わってくる名著だと思います。著者の一生の研究の集大成だと思います。