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「邪馬台国」はなかった 解読された倭人伝の謎

書名:「邪馬台国」はなかった 解読された倭人伝の謎
著者:古田 武彦
発行所:ミネルヴァ書房
発行年月日:2010/1/20
ページ:405頁
定価:2800円+税

京都落葉工業高校の社会科の教師だった昭和49年、ショッキングなタイトル「「邪馬台国」はなかった」で世に出た古田武彦氏。それ以前も親鸞の研究で知る人は知るという市井の学者だったが。この本で一躍有名になった。当時一番に購入して読んだ。また一連の古田氏の本は殆ど読みあさった。復刻本がミネルヴァ書房より刊行された。その後の研究成果なども盛り込んである。

従来の研究の方法とは全く違ったアプローチで三国志「魏志倭人伝」を忠実に文献批判するという態度で、書かれている内容の一字一語も変えることなく解読している。そして根本的な発見は魏志倭人伝の原点の探究でした。古田氏が原点としたのが百衲本の影印が写真版。宮内庁に保存されいる。勿論その原点を選んだ理由も十分説明してあります。
いままでの邪馬台国研究は地名比定から始まってそれを越えたものはなかった。先にヤマト(大和、山門)ありきから出発している。だから自説に合わないところは著者の間違えということで南を東に変えたり、1月を1日に変えたり四苦八苦して自説に合わせてきたからどれもこれも整合性をもった説になっていない。

古田説の特徴は
・国名は邪馬台国ではなく、邪馬壱国である。(壱台双方とも旧字)
・距離1里は短里約75m(三国志当時使われていた。単位を三国志全てに渡って検証)
・楽浪郡から邪馬壱国までの距離1万2000余里、水行10日・陸行1月は同じ事を言っている。里表現、日程表現が併記されている(三国志の中にも西域のところで同じ表現が取られている)
そして著者は西晋の陳寿と魏志倭人伝を徹底的に信用するという視点で描かれている。

古田氏はアカデミックな場所には居なかった人だから余計、東大、京大の学者閥(何々村)に属していないだけ自由な発想で、研究が出来たのだと思う。ただしそれ相応の強烈な批判、避難、中傷もあったなかで、非常に特出した成果を残されいる。
邪馬壱国を北九州福岡博多近郊を比定しています。これは楽浪郡から12000里=900km(水行10日・陸行1月)から導かれています。これからの古代研究が答えを出してくれるでしょう。

学者は弟子・後輩が自分を越えること。自説と違うことを発表することを喜ばなければいけない。またそんな機会を与えてやらないといけない。という趣旨のことを述べておられます。当たり前のことだと思いますが、閉塞した日本の中で益々逆になってきているように思います。20年前の著書ですが、新たな発見がいっぱいで面白く読みました。