記事一覧

本に出会う

慈悲の名君 保科正之

書名:慈悲の名君 保科正之
著者:中村 彰彦
発行所:角川学芸出版
発行年月日:2012/2/10
ページ:282頁
定価:1600円+税

明治維新以後、日本の史学界が保科正之という存在を全く無視してきたのは、薩摩出身の重野安釈と佐賀藩出身の久米邦武が会津藩を逆徒首魁とみなす歴史観が文部省公認の官製史観とされたことに原因がある。この官製史観が今まで延々と続いている。一部の地方以外では全く無視されていた保科正之の業績、事蹟について改めて見直した書である。

二代将軍秀忠の子供として誕生した保科正之、お江の方から命を狙われる。その時武田信玄の娘見性院に保護され、その後信州高遠保科家の養子となる。三代将軍家光の異母兄弟として影の将軍として武断政治から文治政治への移行期、影の副将軍として江戸幕府の屋台骨を支えた名君。また会津藩23万石の政治も次々と改め、蒲生一族が治めていたときよりも年貢は少なく、飢饉に備えての社創米の制度(毎年備蓄米を残し、それを貸し出し、支給する)で備蓄米を増やして他国が飢饉の時でも、餓死者は出さなかった。95歳以上の老人には無償のお米の支給、親孝行な息子を表彰する制度など民意に力を注いでいる。現代の福祉行政を先行して行っている。(朱子学)

明暦の大火の時には蔵前の米を放出、江戸城の天守閣が焼けた後、天守閣の再建は止めた。その後再建されることはなかった。大火後の人口抑制策として、大名の国元への帰還(大名行列)殉死の禁止。死後養子の緩和、四代将軍家綱の補佐役への徹底。この人は足るを知っている。決して目立たぬように、己の権力には無頓着、脇役に徹した人。そして将軍家安泰のために徹した人生、そして家訓として将軍家第一を残したことが幕末の会津藩の悲劇に通じることになったのかもしれない。

知れば知るほど魅力的な人です。保科正之の研究はまだ始まったばかり今後の研究に期待したい。明治維新後の歴史観からは見えなかったものが見えてくるように思う。