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逝きし世の面影

書名:逝きし世の面影
著者:渡辺 京二
発行所:平凡社
発行年月日:2012/1/11
ページ:604頁
定価:1900円+税

幕末・維新・明治時代に訪れた外国人の目で見た日本の姿を彼らの著作を14章に分けて、淡々と書かれている内容を提示している。当時の日本人の目から見ると、西欧列強の思想的な見方から自国の暮らし、制度、全ての物の価値はない事にして、こき下ろしている資料が多くあるが、自国のことは外部からの人から見た印象の方がよく見えるのではないか?

そしていろいろ日本に対して辛辣なことを書いている人であっても下記に参照するように江戸時代の古き良き時代のある一面を知らせてくれている。いままで習っていたこととは全く違った江戸時代、暮らしが見えてくる。西洋の個人主義、個性を尊重した思想に毒されてしまった我々からはほど遠い人々の暮らしが見えてくる。個人主義の視点からいうと男と女の愛は第一の視点であるかもしれないけれど、家、家族の視点からすると子供に対する母の愛、家族に対する愛より上に置く必要はないのでは。以外と自由に豊かに、貧乏に、質素に生きていた人々がここにはっきりと描かれている。中勘助の「銀の匙」の世界がここにはあった。

ダーウィンの進化論、弱肉強食の世代ではなく今西錦司の棲み分けの世界を真に実現していた江戸文明というのを見直して見る必要があると思う。そして初めて明治、大正、昭和が見えてくる。産業革命以後、貧乏=貧困、スラムが当たり前とされている視点から江戸は酷いところと見えるかも知れないが、貧乏ではあるが貧困ではない。物質文明に過度の期待を抱いてきた我々の前に質素で豊かで幸せな生き方があったという場面を現出させてくれている。灯台もと暗しで外国ばかりに目を向けるのではなく、身の回りをじっくりと見つめ直すことも必要だと教えてくれる。既存の物を全て捨てて全く新しくすれば上手く行くという思想に靡き勝ちだが、それぞれに歴史、文化、文明、民族を背負っているということを今一度思い直させてくれる書です。気負ったところもなく、淡々と当時の事を述べています。西洋と日本という対立軸ではなく、比べることもなく、こんな人がこんな事を書いていると紹介しています。これをどう解釈するかは読者に判断を預けています。押しつけがましくないのが良い。

本書より
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「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。

私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。
  日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。
  実は、1回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、18世紀初頭に確立し、19世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。

  それはいつ死滅したのか。その余映は昭和前期においてさえまだかすかに認められたにせよ、明治末期にその滅亡がほぼ確認されていたことは確実である。そして、それを教えてくれるのは実は異邦人観察者の著述なのである。

・幸福そうな日本人

『この人たちは実に日本の大きな魅力である。......幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、何時間となく続けてトボトボ歩いてあちらこちら見物しても、決してへばらない羨ましい身体と脚を持っているなどの点で、日本の楽しい群衆にひけをとらないものがあると公言できる国など何処にもあるまい』『日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう(パーマー)』

・親切で礼儀正しい日本人

『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』

『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』

・当時の日本人の暮らしぶり

『柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている(ハリス,1856)』

『日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない(カッテンディーケ)』

『貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない(チェンバレン)』

『金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。......ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである(チェンバレン)』

・当時の日本の農業水準

『郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている(リュードルフ,1855)』

『日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる(カッテンディーケ)』

・日本人の美意識

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。......庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』

・日本の封建社会について

『日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない』『自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している』『日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう(フィッセル,1833)』

・日本の子供達

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース)』

『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』

『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』