書名:姫の戦国(上)
著者:永井 路子
発行所:日本経済新聞社
発行年月日:1994/6/3
ページ:321頁
定価:1456円+税
書名:姫の戦国(下)
著者:永井 路子
発行所:日本経済新聞社
発行年月日:1994/6/3
ページ:317頁
定価:1456円+税
今川義元というと織田信長と対比して、常に公家風に染まった愚鈍な殿様、というように描かれていることが多いが、今川家は当時は日本の最先端の組織運営、商業振興(商人には免税)、貿易、港の振興、検地など後に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が行ったことの見本となるようなことを行っていた。という事実は中々明らかにされていない。
この物語は京都の公家中御門家の家に生まれて、今川氏親の元に嫁いだ悠姫の物語。氏親の母は北川殿(伊勢新九郎=北条早雲の妹)も公家の出身。将軍足利家が弱体化し、天皇、公家なども困窮の中にあるころ地方の豪族たちが力を持ってきた時代。大内氏も公家、将軍家の支援をすることで地歩固めを使用としている。名門今川家も同様に公家、天皇家へのコネクションを求めていた。そんな中、中御門家の姫が駿河の今川家に嫁ぐことになった。
駿河今川の周りには小田原北条氏、甲斐の武田氏、武蔵には公方の両上杉氏、三河には国人衆、尾張には国人集の織田氏それぞれが領地を争って群雄割拠している。氏親の父義忠は勝ち戦の凱旋途上で命を失ってしまう。それでも母北川殿の兄北条早雲の支援でなんとか今川の地を守り続けていた。氏親の代になって遠江、駿河を安定支配して氏親は亡くなる。その後を継いだのが氏輝。まだ元服前後の若い領主。そこで悠姫が髪をおろして寿桂尼として今川家の実質的支配者として領国経営に乗り出す。何故?「そうするよりしかたないじゃないの」と作者は寿桂尼に語らせている。
氏輝が成人になるまでの寿桂尼を女戦国大名などと言われている。病気で氏輝が亡くなるというハプニング、五男芳菊丸(義元)が僧籍から還俗して今川家を嗣ぐ、芳菊丸の師として九英承菊(後の太原崇孚・雪斎)も政治顧問として参画する。ここに今川家の盤石の礎が築かれた。でも歴史はそのままでは終わらなかった。
戦国の世を必死に生き抜いた公家出身の姫の生涯を永井路子の視点で描いた長編歴史小説です。中々面白い。