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信用金庫の歴史と小原鐵五郎

書名:小原鐵五郎伝
   信用金庫の歴史と小原鐵五郎
著者:小原 鐵五郎
発行所:金融タイムス社
発行年月日:1980/8/10
ページ:503頁
定価:3100円+税

昭和41年から43年にかけての金融制度調査会は民間金融制度を株式会社組織と協同組合に二大別して、信用金庫を否定する滝口案。これが採用されると信用金庫は息の根を止められてしまう。この調査会の委員の殆どが滝口案に賛成する中、堂々と信用組合、信用金庫の経営の前線で運営してきたこの道ひと筋の小原鐵五郎が会議の中で冷静に、委員一人一人を諭すように信用金庫は日本の99%をしめる中小企業のための金融機関であり、会員制の相互補助の組織、そして地元庶民のための金庫、株式会社組織の都市銀行、地方銀行は金儲けのために経営するが、信用金庫は中小企業、庶民のためになくてはならない組織ということを実例を交えながら説得して信用金庫組織は残ることになった。

この金融制度調査会の議論の中身が詳細に書いてある。それもただの議事録ではなくそのやりとりが生き生きしていてなかなか面白い。信用金庫というものがどんなものか全く知らなかった。都市銀行、地方銀行、相互銀行、信用金庫などどれも同じで規模が違うだけという認識を持っていた。
小原鐵五郎は大崎に生まれ、大崎信用組合の創立ら、城南信用金庫会長、全国信用金庫連合会会長、全国信用金庫協会会長と中小企業金融機関一筋に活動してきた人。その小原鐵五郎の一生と信用金庫の歴史が書いてある。

青年期大正の関東大震災前後に信用組合の設立に無給で走り回る。その頃親父さんが子供には学問は入らない。学問をすると他の人が馬鹿に見えて三多摩地区(たぶん現町田市の自由民権運動)のように政治にかぶれた理屈だけの人になってしまう。と小学校を卒業をすると、3軒の借家を建てて鐵五郎の財産としてくれた。家賃収入で90円あったとか、大卒の初任給が40円位の頃のこと。鐵五郎が無給で動けたという幸運も味方したであろう。

いつも地元の庶民、中小企業の立場を考えてその行動指針を決めたのも青年期から壮年期、太平洋戦争が終わるころではないだろうか?何度も存続の危機にあってそれをくぐり抜けてきた強さがある。
小原は
「銀行は晴れた日には傘を貸して、雨が降り出すと取り上げるというが、信用金庫はそういうことではいけない」「企業に対しては、相手の立場に立って、低利の良質な資金を安定的に供給し、その健全な育成発展に貢献することが金融機関の使命である」と述べ、これを「産業金融」といった。
当時、中小企業とはという定義が曖昧だった。中央金庫が零細な小企業に資金を供給して、成長して中企業に成長してしまうと金庫法ではその後の融資などはできない仕組みだった。それを学校を卒業した卒業生の面倒をみるのも学校の役割、それと一緒で成長した企業に融資とつきあいを続けられるように制度の改革に動いた。それを卒業金融と呼ばれるようになったとか。長編ですが、なかなか面白くて一気に読んでしまった。金融の戦後史、国会の調査会、審議会などの仕組みなどがよく分かる本ではないかと思う。時代が人を作るのか、人が時代を作るのか。今の時代にはいない小原鐵五郎の生涯です。

本書より
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「大銀行は、金融の効率化といった題目を唱えては大企業に融資する。その会社が本業に使うならまだいいんだが、それがゴルフ場や不動産の買い占め資金と・・・手当たりしだいに。なんでも投資する。力があれば、他人のことも考えずに、何をやってもかまわんということではないんで、これはとんでもない間違いですよ」