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難にありて人を切らず

書名:難にありて人を切らず
副題:快商・出光佐三の生涯
著者:水木 楊
発行所:PHP研究所
発行年月日:2003/9/8
ページ:270頁
定価:1500円+税

この本を読むのは2回目、でもまた新しい発見がある。出光佐三という明治・大正・昭和を生きた大怪物の波瀾万丈の生涯。同じような人は電力王、電力の鬼といわれる松永安左エ門が上げられるかもしれない。いやそれ以上かな。

16世紀西洋では観念の中から学問、哲学が出てきた。学問、制度は観念から築き上げられてきたところがある。マルクス経済学なんかも同じ、ところが日本は実践から出てきた制度、仕事のやり方。出光が他と違うのは西洋の学問、制度をそのまま鵜呑みにすることなく、自分で試して悩んで実践して来たことに寄る。株式会社にしても株の公開はしない。

借金は金融機関から、タイムカード、出勤簿、定年はなし、戦後会社が苦境に陥って全く仕事が無くなったときでも、人は一人も切らなかった。人は財産、育成するものを徹底していた。そして自分の哲学(勿論独断と偏見ではなく、普遍的なもの)に合わないところは徹底して反対している。政府であってもGHQでも、公職追放されたときでもGHQに出かけて、その理由を聞いて、反論する。それを認めさせて公職追放を解除して貰っている。

日の丸護送船団よろしく石油業界が政府によって規制されようとしたとき、ひとり業界団体には加入しなかった。(戦時中も戦後も)そして実力をつけてそれを認めさせている。戦後いち早く13万トンの日本最大のタンカーを船会社でもないのに、石油の消費者に直接販売することで、安くする。これを徹底していた。イランの石油を輸入してきたのも、ソ連から石油を輸入してきたのも他の会社が全く考えもしなかった時代。そのころは国際石油資本全盛時代。勿論いろいろな妨害がいっぱいあった。それを真正面から取り組んでいった。出光教と揶揄されたこともあるが自分の信念に向かってばく進してきた波瀾万丈の生涯。それでいて自分のための蓄財とか、良い家に住んでいいものを食べて贅沢三昧かというと全く質素な生活。仙崖という江戸時代の僧の絵を集めるのが好きで今、出光美術館に残っている。絵心があって、芸術・文化にも理解がある。現状に「ノー」と言って立ち上がり、既存のものを打ち破っていった人間である。

「企業が株主だけではなく、取引先は勿論、従業員とその家族を養い、生き生きと生活させるためにあることを忘れ、財務諸表だけに綺麗に掃除しようと奔走する。財務諸表だけ綺麗なら、従業員や取引先を切って捨ててもかまわないというやり方に飛びつく。人は細り、財務諸表は栄える。長い目で見れば、人間が生きてこそ、初めて財務諸表も生きてくるという厳粛な事実を忘れ去っているのだ。」

これとは全く違った出光佐三の生き方をもう一度振り返る必要がある。なかなかまとまった良い本だと思う。

本書(あとがき)より
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初期の資本主義は市場というプレイグランドに登場する経済人は、自らを律する廉潔な精神を備えているということが大前提になっている。だが、アメリカに渡った資本主義は、いつの間にか、何でもありの「ジャングルの資本主義」になり、カネの大小で人間の価値を決めるマネーイズムに変質していった。カネを沢山稼いだ人間は能力があるとみなされ、金を持たない人間は無能の代名詞になった。
企業も同じことdえある。貸借対照表や損益計算書のボトムライン、すなわち利益の大小が企業経営の唯一最大の目的のように、みなが考えるようになった。企業を構成する成員の心がどのように寒々と枯れ果てても、財務諸表さえ綺麗になればいいとでもいうような、近視眼的な「算術の経営」がまかり通っている。カネだけでは測りきれない価値が企業社会にあるという事実を、見逃している。
中略
自分の良さは何かを問うとき、人は必ず歴史に回帰する。そんなとき出光佐三という存在はひときは強い光彩を放つことだろう。彼が具現した「人間尊重の資本主義」、あるいは「働く人の資本主義」には、現在の経済人が学ぶべきものが数多くある。