書名:信長死すべし
著者:山本 兼一
発行所:角川書店
発行年月日:2012/6/2
ページ:402頁
定価:1800円+税
「ときは今天が下しる五月哉」は勅命だった。武田勝頼を滅ぼした織田信長は大坂に城を築いて、御所まで大坂に、大坂遷都を正親町帝に迫ろうとしていた。天下統一に大手をかけた信長に帝の忍耐は限界に達し、ついに重大な決断を下す。本能寺の変まで、残り三十八日。「信長を粛清せよ」天正十年夏。正親町帝の密勅が下った。明智光秀をはじめ、近衛前久、吉田兼和、勧修寺晴豊、里村紹巴、徳川家康ら、織田信長を取り巻く人々の動きから、本能寺の変までの濃密な時を描いている。未だに明智光秀の謀反は原因が分かっていない。その主役に正親町帝と公家を持ってきて描いている。なかなか興味ある構成です。亀山城から明智越を登って愛宕山へ。老いの坂を通って本能寺へ。このときの明智光秀の心境は?戦国時代の武将の中では頭も良く、礼儀作法も心得ている。教養をもあり、武力もある明智光秀。しかしその時代の慣習、天皇を敬うという思想は越えることはできなかった。でも信長は天皇の存在をなくして自分が天皇に取って変わろうとした。この発想は信長しか持ち得なかった。一つの「本能寺の変」解釈。なかなか面白い。