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暗殺者

書名:暗殺者(上)
著者:中野 孝次
発行所:岩波書店
発行年月日:1999/10/15
ページ:229頁
定価:1700円+税

書名:暗殺者(下)
著者:中野 孝次
発行所:岩波書店
発行年月日:1999/10/15
ページ:240頁
定価:1700円+税

昭和7年はじめ血盟団による「一人一殺」のテロ、そして五・一五事件、その後二・二六事件これら一連のテロの背後に大川周明、北一輝、西田税などの名があった。これが軍部の独裁国家にした元凶だった。この最初の「一人一殺」のテロで井上順之助前大蔵大臣殺害の実行犯水沼吉五(小沼正)の半生を描いた作品です。
昭和恐慌や不作などで疲弊した農村の若者がかつての大陸浪人で日蓮正宗の僧侶である日超(井上日召)の教化を受け,テロリズムへと突き進む様子が描かれています。作者の中野孝次も同時代を生きた経験がその水沼吉五の生きてきたあゆみを主人公の立場にたって貧しい農民出身で、小作人争議、職人の徒弟制度などみんなの暮らしが貧しいのは政府を操っている奴らが悪いと思い込んでいく過程を丹念に描いています。国、国益のために自分を犠牲にして「今やらねば」と追い込まれていく過程。

でも心中では政府の指導者を一人倒してもそれが本当に困っている貧乏な農民、東京の職人達が楽にならないことも判っている。でもやらねばと追い込まれていく過程が淡々と描かれている。テロを声高に唱えているだけの輩は、その勢力を倒したらまた、その位置について前の奴らと同じことをやることが判っていて「一人一殺」のテロで井上順之助前大蔵大臣殺害に至った。その後続いて同盟団事件へと。
純真な水沼吉五は単なる殺人者(暗殺者)だったのか?水沼吉五のこころを丹念に追っている。

本書より
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教育は恐ろしい。歴史は恐ろしい。歴史は一人一人の人間がつくるものだが、それが全体の動きとなって動き出すと、もう個人の手に負えない。個人を超えた力になる。雪だるまが坂を転げつつ大きく育ってゆくように、手に負えない何かになってしまう。日本も明治維新のころは外国の侵略から国を守るために、必死で力をつけなければならなかった。が、本来はみずからを守るためにつけたはずの力、軍事力や経済力が、やがてそれを作った人の手にも負えないほどの怪物に育ってしまう。怪物が勝手に動き出して途方もないことをしでかすようになるんだ。歴史の必然と言いたくないが、人間を超えたそういう暗黙の力があることは認めないわけにいかない。だから人間は昔から数限りもない愚行をしだかして、そのたびに二度とすまいと思ったはずなのに、またまたぞろ新しい愚行をしでかす。人類は全体として何千年来ちっとも利口になっていない。悲しいことだな。

中野孝次の言葉
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・所有が多ければ多いほど人は心の自由を失う。
・世間ではともすれば金銀でも持ち物でも多く所有すればするほど人は幸福になると信じているようであるが、これくらい間違った考え方はない。
・日本にはかつて清貧という美しい思想があった。所有に対する欲望を最小限に制限することで、逆に内的自由を飛躍させるという逆説的な考え方があった。
・生きている間に生を楽しまないでいて、いざ死に際して死を恐れるのは道理にも合わぬことではないか。人が皆このように本当に生きているいまを楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない。死の近いことを忘れているからに他ならない。
・自分が生きて存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。死を憎むなら、その喜びをこそ日々確認し、生を楽しむべきである。