書名:テレビは原発事故をどう伝えたのか
著者:伊藤 守
発行所:平凡社
発行年月日:2012/2/15
ページ:263頁
定価:780円+税
福島原発事故、3月11日~3/17日の1週間に着目してNHK、民放の原発報道を800時間、約2ヶ月視聴して分析している。事態の推移を発生、報告、テレビ報道を克明に分単位で検証している。テレビは原発事故で何を伝えたか?伝えなかったか?を詳細に検証している。
大震災、原発事故と未曾有の事件の前に、マスメディアの報道のあり方は「原子炉は安全だ」「放射能が漏れても直ちに健康被害はない」と、政府と東電の主張を繰り返した。その結果、ネットなどで、「大本営発表」との批判が噴出した。この批判が妥当なのか?著者はテレビ報道の批判、欠点を上げはつらうことではなく。テレビは誰の視点にたって報道したのか?それの答えを求めている。
「放射能が漏れても直ちに健康被害はない」と報道しながら、記者カメラマンを30km以内には送り込まなかった大手マスコミ、言っていることやっていることの矛盾に気がついていない。また専門家と称する学者、解説者のお粗末さ。矛盾だらけの発言に、鋭い質問もできないマスコミ。事が科学の領域になると全く手の出ない無能さをさらし続けた。今回の事故当初の視点は原子力発電所の事故ばかりに注目して、被災者、避難者のことはほとんどマスコミは報道していない。誰のための報道か?国も東電もマスコミも人を守るのではなく、事故を小さく見せようとする姿勢に、みんな突き進んでしまった。
本来なら高木仁三郎氏(故人)のような人を解説者に選ぶ、また記者会見の質問にたたせる。NHKなど専門家と称する優秀な人がいるはず、でもマスコミはそんな人的コミュニケーションをもっていなかった。本来東電(当事者の自己弁護)を聞いていてそれに質問と資料を出せという見識ある記者がほとんどいなかった。これは重大な問題だと思う。
そんな中、幸いにもインターネットよるドイツの放射能拡散情報、今中啓二のブログ、海外メディアの原発事故の記事、広河隆一と広瀬隆緊急報告会の動画、毎回小出裕章電話出演した「たね蒔きジャーナル」など多数の情報が流れネットワーク化された。
既存のメディアは情報の「所有」に価値を置いたが、一定のメディアリテラシーがあるネット情報は「共有」に価値を置いている。それは集合知とするきっかけを作った。既存メディアが全てダメという訳でもなく、既存メディアと一定のメディアリテラシーがあるネット情報は対立概念ではなく、共存する関係に未来が見えてくる。これからのメディアリテラシーのあり方を考える上でなかなか面白いことを言っている。この本は是非読んで欲しい良書です。
本書より
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これら無数の(ネット)情報が生産・流通・受容され、補完されることで、ますますテレビが発信する情報が相対化され、これまでは「それなりの信頼性のある情報を提供しているはずだ」と考えられてきたテレビ情報に対して、多くの視聴者が一層の「不信感」をいだく結果となった。(p.198)
かっては、ネットの情報は信頼性が乏しいと考えられてきた。今回の大震災でも、風評やデマがネット上で流れたことは事実である。・・・一定のメディアリテラシーがあれば、インターネットのほうが既存のマスメディアよりも有益な情報をもたらしてくれることが明らかになったのである。(p.205)
今回の大震災と原発事故は、ライフスタイルや文化の消費にかかわる領域にとどまらず災害や大事故といった社会の構成員全体にかかわる事態においてさえ、「マスメディアを介して、マス=大衆がほぼ同一の情報を共有するという構造」が崩れ去ったことを示したという点で、歴史的な転換であった。
そして、この構造的な変化のなかに、萌芽的なものとはいえ、従来のマスメディアがプラットホームとなった情報の生産・受容の情報回路とは別の社会譲歩うの回路が生まれ、その回路を基礎にして、「共同の知」あるいは「集合知」とでもいうべき新しい知の布置の関係が生まれつつある。(p.225)
・・原発事故に対するネット上の情報発信と移動、そしてその情報の共有という事態には、「集合知」を彷彿させる知の形態の現代的な生成の萌芽を垣間見ることができる。
原子力工学の専門家、原子炉設計のエンジニア、放射能汚染と健康被害の研究を行ってきた医学系の研究者、気象観測の専門家、過去にチェルノブイリ事故後の調査に入ったジャーナリスト、さらにこれまで反原発運動を地道に続けてきた市民運動家、放射能汚染を心配する子どもをもつ親たちなど、日常的な活動の分野も違えば、専門も違い、立場も違う個人が、それぞれに自らが伝いたい情報を発信し、それを受け取った者がその情報に価値があると判断すれば、その情報を選択し、転送し、他の誰かに伝える。複数のさまざまな情報が無限のループを描くように折り重ねられた情報環境の成立である。この環境にコミットする者たちにとっては、さまざまな知がネットワーク状につながり、そのバーチャルなデジタル空間上に「共同の知」ないし「集合知」が成立する。(p.227)