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家康はなぜ江戸を選んだか

書名:家康はなぜ江戸を選んだか
著者:岡野 友彦
発行所:教育出版
発行年月日:1999/9/2
ページ:185頁
定価:1500円+税

現代東京に首都機能が集中してしまった。少しの事では遷都、移転もままならない。その原点は「家康はなぜ江戸を選んだか」ということ。この疑問を解明する。そんな本です。秀吉に無理矢理江戸の地に追いやられた。中世の江戸は寒漁村と言われていた。芦の繁る何にもないところ、そこを家康が苦労して開発した江戸というのは従来からの説。でもそれに疑問を投げかける。11章に渡って詳細に分析している。

その中には江戸の昔は太田道灌の城、それ以前のことは誰も触れなかった。でも著者は東山道、東海道と言われた律令時代の武蔵国、上野国、下野国、上総国、下総国、常陸国、に注目して古代の府中をどう人が行き来していたか?物流はどうだったか?などを検討して、武蔵国の府中の出港として品川港が機能していたと言う。伊勢の国から太平洋沿岸を船でやって来た人々は品川に、そして日比谷の港、浅草港、その後古利根川、常陸川を上って上野国、下野国、常陸国と交易を行っていた。

頼朝が首都としては狭い地形の悪い鎌倉に何故幕府を開かざるを得なかったか?著者は北関東と南関東は昔から敵対していて、古利根川が境界線になっていた。頼朝が石橋山の戦いで敗れて、上総に逃れ、上総氏に助けられたにも関わらず、後には殺してしまう。あまり信用していなかった証拠だという。

鎌倉、室町時代、そして後北条の時代になってはじめて北関東、南関東を支配する勢力北条氏の登場によってようやく江戸は関東の中心としても可笑しくない状態になった。それまでは南関東と北関東の境界線の位置にあった。その頃家康が江戸に幕府を開いた。したがって何にもなかった訳ではなく南関東の拠点として古くから機能していた。という。

ところで江戸という地名の由来は?著者は「日比谷の入り江」の江と、港を示す戸(津)、を挙げる。最初、江戸といわれた場所は狭い狭い地域を指していた。

徳川氏は何故松平氏から改姓したのか?藤原氏と言っていたのにいつからか源氏になっている。江戸時代を通じて「伊勢屋」が多くあるのか?伊勢商人が大挙して江戸に来たのは何故、熊野の鈴木氏が江戸に多いのは何故?など中世東国の水運はどうしていたか?水運による流通を調べることで掲題の謎解きに迫る。なかなか面白い本です。一気に読んでしまった。