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原発ゼロ

書名:原発ゼロ
著者:小出 裕章
発行所:幻冬舎
発行年月日:2014/2/20
ページ:270頁
定価:900円+税

原発事故から3年、「この事故は無かったことにしよう」という空気を危惧したとして本書を書いたとのこと。国を挙げて取り組むべきはオリンピックよりも被害者救済と放射能汚染対策。40年以上一貫して原子力反対を訴え続けてきた著者が今、もっとも伝えたいこと。原発を廃絶させるまで、私は闘いたいと本書に書いている。今までのことともに今後について書いている。

2012年9月まで毎日のように種蒔きジャーナルでコメンテーターとして電話で出演、その後小出裕章ジャーナルで1週間に一回、福島第一原発事故、放射能汚染、などについて他の評論家などとは全く違った学問の裏打ちのある納得いく解説で原子力発電の原理(熱発生装置2/3は熱で排出、水暖め装置)、地下水汚染(地下ダムが必要と)、タンカーを持ってきて汚染水を柏崎刈羽原子力発電所に輸送して汚染処理を行え。など今になっても全くコントロールの出来ていない状態を予想して提案していたが、誰も動かなかった(一部国会議員は動こうとしたが)。

福島の風評被害ということが強調されているが、「1kg当たり100ベクレル以下だから大丈夫」という欺瞞、事故前は0.01ベクレル以下だったということを忘れている。100ベクレルは以前に比べて1000倍の値です。日本全国汚染されてしまった。福島だけでなく、周辺の県、東京都内も放射線管理区域に指定しないといけないところが残っている。「除染で元の場所に戻れる」という幻想を与えていてはいけない。戻れないことをハッキリと言うべき。

除染で出てきた核廃棄物、原発の廃棄物の処分は発生したところで処理するのが一番良い。具体的には福島第二発電所内に永久貯蔵施設を作って、今後監視しながら見守り続けることしか手がない。
廃炉にしても何年かかるか判らない。使用済み核燃料の取り出し(これもかなり難しいが)、メルトダウンした核燃料の取り出し(これは出来ない)と石棺で閉じ込める方法しかないのではないか。凍土壁による地下水の遮断は電気が切れたら地下水が漏れるという危ない方法、これで何万年も続けることが出来るとは思えない。

この事故は人類が経験したことがない大事故、未だに20万人を超える人が元の家に帰れない。戦争で領地を奪われたときと同じでは。メディアが伝えない事故3年を振り返るのに良い本だと思う。科学者の前に人格者であれ、出世と金ばかり、競争に勝てばかりの人とは全く違った著者の落ち着いて冷静な言葉は一つ一つに重みがある。世間に諂わないで本当のことを自分の知る範囲のことを真剣に語っている。

この大事故あったにも関わらず、責任を感じることもない、果たすこともない。どんどんと脳天気になってきて、事故処理より経済だ、お金儲けだ。お金第一主義が蔓延ってきた。政府が責任を持って汚染水問題、除染、復興を行うとウソをついて東京オリンピックの誘致に成功した。でも政府が責任とは詰まるところ国民の税金を使うということ。東電の責任は問わないこと。と宣言してしまった。これについてマスコミは殆ど黙り。七つの社会的罪と照らし合わせて今を鳥瞰すると見えてくるものが多いと思う。太平洋戦争後と同じ、国民は被害者、責任を取る人もいなかった。戦争を反対した人もいなかった。(いやな世の中だな、戦争なんてやりたくないのにと言う気持ちだけはみんな持っていた。でも戦争をやってしまった)原発なんていやだな?安全?なんて思っていた人はいただろう。

しかし政府、電力業界、原子力マフィアはどんどん推進してきた。それに思ってだった反対する人はごく一部だった。そして福島第一の事故。ここで反原発の声を上げた人もいた(空気につられて)が、マスコミが原発がないと電力が足りない。経済が回っていかないと言われただけで、一時の空気は変わってきている。面だって福島第一のこと。放射能のことを言うことが出来なくなってきた。これは大衆心理学の題材としてとても面白いと思う。第三者の立場にたって世論を眺めてみるのも面白いかもしれない。

本書より
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原爆の投下の知らせを受けたアインシュタインは「もし生まれ変わることが出来るなら、自分は科学者にはならない」と言って嘆いたと言います。

七つの社会的罪(マハトマ・ガンジーの遺訓
・理念なき政治
・労働なき富
・良心なき快楽
・人格なき知識
・道徳なき商業
・人間性なき科学
・献身なき崇拝

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」
レイモンド・チャンドラー「プレイバックより」

「一人殺せば悪党だが、百万人殺せば英雄だ」殺人狂時代チャップリン