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日本史の誕生

書名:日本史の誕生
著者:岡田 英弘
発行所:弓立社
発行年月日:1994/10/31
ページ:254頁
定価:2524円+税

1300年前の外圧によって日本が作られた。その外圧とは唐と新羅が連合して百済、そして高句麗を滅ぼした時、天智天皇の頃、朝鮮半島から撤退、そして唐、新羅に侵略される危機の時代。そのとき日本という国の呼び方、天皇という名称。それが初めて使われた。その後の天武天皇によって「日本書紀」の編纂が始まる。ここで初めて日本という国家(現在の言われている国家ではない)を意識する。中国の天帝に対して天皇という名称を使う。そのとき初めて歴史を作る必要に迫られた。それ以後外国、世界とは関わらないように準鎖国状態を続けてきた。明治になって初めて清国と国交を持つようになった。遣隋使、遣唐使にしても国書の交換はしていない。そんな国が日本だと述べている。

万世一系の天皇にしても15代応神天皇から22代清寧天皇(河内王朝)までは継続しているが、次の23代~25代は別系統、そして26代継体天皇は応神天皇から5世と言われている。初代神武天皇から仲哀天皇(神功皇后)までは「日本書紀」と編纂したとき創作された神、天皇。また継体天皇から33代推古天皇(聖徳太子)は怪しい。王系は途切れている。また推古天皇、聖徳太子の実在も疑わしい。34代舒明天皇から天智、天武天皇この時期に「日本書紀」が編纂された。この時期から1300年ほど遡って歴史を作った。神武天皇を作った。その後の応神までは創作された天皇。また仁徳天皇などは天皇系とは違う。河内王朝、吉備王朝、紀州王朝などが王として存在していた。それを日本書紀に盛り込んだ。

今までの日本の歴史とは全く違った視点で書かれています。魏志倭人伝に出てくる卑弥呼にしても、三国志を書いた時に何故?倭人伝を書かなければいけなかったか?対抗勢力であった西域伝は書かれていない。これには中国特有の事情があった。国内を治めるためには他の国からの使節がやってくる必要があった。中国の国内問題。邪馬台国、卑弥呼が日本を統治出来るほど実力をもった部族でもなかった。しかし倭人伝にはどんなことでも書ける。中国に都合の良いように書いてあるということを頭に入れて読まないといけない。したがって倭人伝は創作物。多分中国の支援を受けていた小さな勢力が邪馬台国であったのでは?したがって長くつづく邪馬台国論争は不毛の議論。遺跡が出てきたとしてもその遺跡を見て邪馬台国だと判る立派なものでもないだろう。

違った見方が新鮮です。考古学者の森浩一教授が日本には古墳が15万あるという。約300年の間に古墳は作られたから1年に500の古墳を作っていたことになる。これは相当豊かな勢力達が居たことになる。当時から人口を養うための食べ物は豊だったのではないか。また食べ物は人口以上には必要ない備蓄しても仕方ないものだった。(これって当たり前のことですが、それを忘れているのが今の時代かも)中国は三国時代の5000万人いた人口が500万人激減した。その当時日本列島の方がもっといたようだ。中国、朝鮮半島から移民がどんどんと流れて来ていた。

それらの人々が1300年前に自分たちの危機ということで中国、朝鮮半島と縁を切って国内を充実させようとしたのが、「日本書紀」編纂だった。良いか悪いかは別にしておなじ言葉を使いコミュニケーションを図れる単一民族という国家は世界でも日本しかない。そしてそれは長い長い間鎖国状態を継続していたことによる。今の時代グローバルだと世界、世界と騒いでいるが、世界と関わりを極力避けてきた長い長い歴史があるということを忘れてはいけない。明治以後西洋と付き合って結果的に太平洋戦争へ突入してしまった。極度の西洋化をやると失敗するという教訓ではないか?
ユニークな本です。日本の誕生を語るのに東アジア世界の歴史から説き起こしています。歴史(世界史)が楽しくなってくる本です。