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モンゴル帝国から大清帝国へ

書名:モンゴル帝国から大清帝国へ
著者:岡田 英弘
発行所:藤原書店
発行年月日:2010/11/30
ページ:555頁
定価:8400円+税

この本は著者としては初めての学術書です。したがって易しいとは言えない本です。学術論文、論争などの記録が集められています。著者は今まで漢文で解読されてきた学会の常識に挑んで、朝鮮語、モンゴル語、チベット語などを学んで、原資料にあたることでモンゴル帝国の歴史を研究することで、著者独自の史観を示している。日本では無視されているし、評価されていない。でも国際的には評価されている学者です。
はじめにも「満洲語やモンゴル語やチベット語などに通じると、漢文史料がいかに史実を歪曲しているかがはっきり分かるのである。」と書いているように原資料を示しながら説明している。今でも日本の学者でこれに反論出来る人は殆どいないのではないか?

・漢族という単一の民族は元来存在しない
 最初の王朝と言われている夏王朝は、東夷(タイ系)、次の殷(商)王朝は北狄(狩猟民)次の周王朝は、西戎(西方の遊牧民、チベット系姜族)、周王朝後の春秋・戦国時代(紀元前770年~紀元後221年の約550年間)には、呉、越、楚などの南蛮系、東周、斉、晋、韓、魏、趙、燕、秦などの西戎系の諸国が乱立した。その後秦の始皇帝が統一を果たす。始皇帝は西戎。
・隋・唐は鮮卑系の王朝
 隋・唐は北狄(狩猟民、遊牧民である鮮卑系)家柄、血統ではなく才能による登用を行う科挙の制度が発達した。また、唐朝は突厥というトルコ系民族(北狄)の援軍を得て華北での支配権を獲得した。隋・唐も漢人の国家ではなかった。
・宋の建国と明、清時代
 907年に唐が滅びる。その後五代十国の時代となった。五代の内、後唐、後晋、後漢は「沙陀族トルコ(西突厥)人」系。その後北アジア系と中国系の競争の中で北アジア系が優勢となった。その後女直(女真)族(北狄、満洲の、ツングース系)が金を建国(首都は北京)し、1126年には開封を占領して、宋を長江の南へと追いやった、南京に南宋が成立。
その後モンゴルが金を滅ぼし、南宋を滅ぼす。元(モンゴル)の登場である。元が明に追われてモンゴルに移住して(このときまだ元は滅んでいなかった)明王朝が成立する。明王朝を滅ぼしたのが清(満州系)である。

このように中国は夏王朝から清王朝滅亡までの間の2/3は漢人以外の外部の部族によって支配されていた。この王朝交代にはいろいろ物語があって興味あるところですが、それはまた別著に詳しく出ているようです。歴史は文化、歴史の考え方など従来とは全く違った視点で論じています。今の学会も世代交代したら、この岡田英弘という人を見直すことでしょう。人より先を行くと現代の人には理解出来ない。したがって3歩ほど先が良いのですが、この岡田史学は10歩以上前を行っているようです。なかなか難解な本ですが、興味ある方はチャレンジしてみてはいかがでしょう。とはいえ「日本の古代国家形成と東アジア」鈴木靖民著よりは判りやすいと思います。