競馬学校教官の指導に寄せて

騎乗姿勢


 世界における偉大な騎手については、これまで様々なことが書かれてきているが、陽のあたらない騎手については、あまり語られることはなかった。たしかに優れた騎手もそうでない騎手も、「良い馬に騎乗しなければ勝つことはできない」というかも知れないがそれでも同じ条件で競走させたとすれば、能力に差が出るのは認めざるを得ない。その要因としてはいろいろなことが考えられるが、本質的には知力、体力、度胸、反射神経、技術、センスなどによってその差は生まれてくる。
 技術的な問題に入るまえに、馬に乗ったときの正しい騎座とは何かということからはじめる必要があるだろう。騎乗姿勢はいくつかあって、それぞれの良いところに耳を傾けなければならないが、一般的に比較されるのはアメリカとヨーロッパの騎乗姿勢である。しかしどちらの姿勢もそれぞれ擁後する議論があるにもかかわらず、優れた騎手は何処で騎乗したとしても優れた成績を残している。このことからも分かるように、騎乗姿勢は個々人に自然と身に付くべきもので、むしろどういう欠点があるかによって騎手の差は生まれるので、それを探し出して取り除いてやれば、すべての騎手が優れた騎手になると考えてもおかしくはない。
 ただ乗り始めたばかりの若者が、はじめから騎座を間違えていると、あとになって能力を損なわずに変更させることは非常に難しく、かといってそのまま乗り続ければ、騎座が間違っていることによる欠点にずっと悩まされ続けるだろう。そもそも理想的な騎座とは、馬の本来の能力を最高に発揮させ、ほかではそれができないような姿勢のことで、アメリカとヨーロッパの騎乗姿勢の比較については、両方の優れている点を取り入れるべきで、特にどちらかの騎乗姿勢を強いることなく自然に乗るように生徒には教えるといい。
 最初の数ヶ月は、生徒には基本馬術でしか乗らせないようにすれば、その間に教官は、完璧な乗り方と比較して細かな部分において間違っていることに気がつくだろう。もっとも彼らがすぐに見つけるような細かな間違いを、誰もが確実に指摘できるわけではない。基本馬術はとても重要で、これによって生徒は、バランスとはどういうことであるかを学べるので、練習としてはとてもいい。これによってバランスは良くなり、軽い拳作業で、すなわち手綱を軽く、優しく持ち、馬の口とのコンタクトを強すぎないようにしっかりとすることで、手とリストの動きによって馬を制御できるようになる。それと同時に、走路を回ったり、しばし行われる基本馬術の授業などを通して、自分の脚と身体の正しい使い方についても覚えなければいけない。またジャンプの練習をすることで、馬についていろいろ理解を深めるとともに、踏み切るときのタイミングを身につけることができるのだが、これはスターティング・ゲートから出るときにはとくに重要となる。馬の動きをコントロールするために自分の身体を使うことは、将来スピードに乗ってコーナーを回ったり、緊急なときに突然違った動きをしなければならなくなったときなどにとても役に立つだろう。
 騎手になることをはっきりと目指している若者は、学校に入ったときには学ぼうとする意欲に満ちあふれているが、これは教官にとって本当に喜ばしい。なかには経験がある者もいるが、たいていは初めてで、悪い癖がついていないという意味では、経験のない白紙の状態からスタートしたほうが良い場合もある。国によっては、11才か12才でポニー・レースに騎乗してスタートを切ったりするが、このときのポニーは13.5ハンドに満たないものの、実際は競走馬と変わるところはない。公式に承認されたわけでもなく、トラックも若き騎手たちの驚くようなところで走るのだが、偉大な騎手となる者はそういう場所で実戦経験を積み、やがて15才になると卒業して、競馬の厩舎へと進学していくのである。
 しかし日本では、状況はまったく異なっている。15才か16才で入学した彼らは、最初の年はほとんど基本馬術の練習に明け暮れ、少しずつレースでの騎座を教え込まれるのだが、若き騎手の将来についていえば、この時期こそ最も重要であると私は考えている。それゆえ、彼らが自分自身に合った姿勢を作りだし、それを最も効率よく活かすように教えるべきで、集中力を欠いてたり、自分たちがしていることに確信を持てないような場合でなければ、教官が騎乗姿勢を急いで変えるべきではない。若者たちの多くは、それぞれ体格も違うので、クラス全体に同じ姿勢を課すよりも、それぞれにあった騎乗姿勢をとらせたほうが、彼らが悩まなくてすむことを覚えていたほうがいい。自分の姿勢を作り出せば欠点も出てくるので、それを教官が矯正してあげることによって、彼らに適した騎乗姿勢の効率は良くなるのである。

− 2 −


前のページへ  次のページへ

目次に戻る