銀次郎物語 第一章 −馴致−

 銀次郎は96年、北海道は門別のとある牧場で生まれました。父親の名はゴールデンフェザント。第11回ジャパンカップの優勝馬です。銀次郎と言っても2番目の仔ではありません。母親の3番目の子であり、男の子としては長男です。また、競走馬としての名前でもありません。ただ、父親と同じ芦毛に生まれたこの仔馬を、ここでは銀次郎と呼ぶことにします。ゴロがいいだけです。

「銀次郎」 性別:牡 芦毛    父:ゴールデンフェザント
美浦S厩舎予定 S牧場生産  母:  秘密

 仔馬は、生まれたときには当歳で、年が明けると1歳になり、また年が明けるともう1つ年をとります。そんな銀次郎と私が出会ったのは、97年の秋のことでした。
 1歳の秋を迎えた銀次郎は、競走馬としての訓練をするため、生まれ故郷の北海道を離れ、千葉県にある育成牧場へと旅立ちました。もう北海道に戻ってくることはないかもしれません。丸1日車に揺られ、銀次郎は千葉の育成牧場に無事到着しました。育成牧場で働いていた私は、そこで銀次郎と出会いました。
 銀次郎は北海道で、多少馴致をしてきたそうです。人を乗せるために、多少馴れさせてあるということです。けど、まだ人に乗られたことはありません。馬小屋の中で初めて人を乗せることに挑戦です。
 人が銀次郎の横で、何度もジャンプをし、「今から飛び乗るぞ」と伝えます。銀次郎は早くもびびってます。人が銀次郎の背中に横向きに腹ばいになり、片足を向こう側へ跨ごうとした瞬間。銀次郎は暴れました。馬房の中をぐるぐる回りながら跳ねます。その日は無理でした。
 2日目。北海道で鞍を付けたこともあるようなので、馴致はどんどん先に進みます。しばらくは、私が担当です。ダブルレーンでロンギ馬場をグルグル走らせ、それが出来たらドライビングです。銜(ハミ)に付いているロングレーンを2本とも、そのまま後ろに回し、人が後ろから指示をます。それを少しやったら、そのまま馬房に戻り、飛び乗りです。昨日は出来ませんでしたが、この日は運動後で、銀次郎が疲れていたのもあってか、私は簡単に跨ぐことができました。聞いていたよりも大人しい馬だとと思いました。
 千葉に来てからの銀次郎の馴致も3日目に入りました。昨日のように、私は馬房で銀次郎に鞍を付けました。その時、いきなり銀次郎は立ち上がりました。天井の薄いベニヤ板を突き破り、横にいた私の方へもたれてきました。私は壁と馬に挟まれ、少し首痛めましたが、大事には至らず。その時、やっぱり銀次郎は、危険な馬だと知らされました。
 次の日から私は、銀次郎には特に慎重に接するようになりました。ドライビングで停止させようと指示を出すと、立つこともありましたが、あとは割合言うことを聞き、外で騎乗出来るまでになりました。初めて外で乗ったときは、銀次郎は運動後で疲れていたのかすんなり乗れました。が、次の日は最初から外で乗りました。さすがに元気がよく(?)跳ねながら走りまくりました(落馬あり)。
 そんなこともありながら、銀次郎も「人が乗る」ということが分かってきて、800メートルの走路をダクで1週する調教メニューまでになりました。これからは本当に競走馬として、体を鍛えていくことになります。

−1−

NEXT

銀次郎物語目次に戻る
この物語はフィクションであり、実際の馬、人物、団体等とはたぶん関係ありません。
写真と本文はたぶん関係ありません。