◇教師の手腕◇

(連載第1回)
第1章 教師(その1)


 この著述を読む人は何等かの形で授業を体験したことのある人々でしょうし、学生というものが何であるかを知っています。また、すべての人々は教師という専門職のお世話になっています。そこで本稿においは、教師をよく観察し、彼等が何者であり、どのような職責を果たすのかを見ていきましょう。
 教師という職業はある意味において容易なものであり、ある意味において難しいものです。自分が抱える多くの仕事を推進するに際し、かなりの程度まで自由裁量による時間が配分できます。その点では、教師はやりやすい仕事です。例えば、決められた時間帯に行わなければならない仕事は、全体のほんの一部です。また、ビジネスマンのように、年間40週から50週も働かなければならいな教師はほとんどいませんし、毎日朝9時から夕刻5時まで、1週5日から6日も教壇に立つ教師もいません。なにしろ、小・中・高も大学も年間開講しているのはわずか9ヶ月にすぎないのですから。
 一方、教師は教室にいないときも、なすべき仕事がたくさんあります。試験の準備をしたり、さまざまな小論に目を通したり、生徒達と話したり、下調べをしたりといった具合です。こうした仕事の多くは、自宅で行う場合もありますし、都合のよい時間に図書館で行う場合もあります。教師にはまた、多くの労働者のように7月に集中して2週間の休みをとるといった制約がありません。しかも教えるという仕事は安定した仕事です。というのは、教える対象となる若者達が常に存在するからです。
 しかし、ビジネス界で活躍する人々に比べると、教師は低賃金の職業に属します。富こそが成功の象徴という地域もありますから、教師は富には見放された存在ということができるでしょう。とはいえ、あらゆる場で社会から尊敬されたり、賞賛されたりするので、教師はおおいに報われてもいます。先生であることの最大の利点の一つは、自らの心とエネルギーを重要な取り組みにささげる機会を得ることです。今日、世間のあらゆるところに、結構な給料にありつけたとしても、あまり重要とはいえない退屈な仕事に甘んじている人々がいます。それどころか、場合によっては、ある人々はお金のためだけに、そうした仕事を継続しているといったありさまです。
 教師の仕事はこれとはまったく異なります。教師は重要で興味ある課題を徹底的に追求し、自分の取り組みを他人に語れることがこのうえない喜びとなります。ときにはある課題につきまとう多くの困難に悶えますが、課題追求の過程で新たな文献に出会うなど、ある種の幸せを見出します。そしてとりわけ重要なことは、教える中で学ぶことです。 
 教えることの報酬は他にもあります。それは、若い知性を鍛えるという行為から派生する喜びです。学生達が教師のもとにやってくる際には、まだ、知性の形成は道半ばです。さまざまな事実で学生達の心を満たすばかりでなく、そうした事実の理解に役立つようサポートすることが教師の役割です。少年少女達に彼等が読んだり聞いたりする事柄(詩の語らんとする真実とか祖国への愛)について、その真実と虚偽を峻別して教えることは教師に大きな満足をもたらします。
 しかし、教師によっては、こうした喜びをほとんど、あるいはまったく体験しないも者もいます。つまり彼等は、教師という仕事がもたらすはずの報酬の一つから見放されてしまいます。それどころか、彼等は受け持ちの生徒達が反発するという災いをも被ります。もちろん、こうしたことはときとして、よき教師にも起こりますが、通常、生徒達は好ましくない教師達に反抗しがちです。どのようにしたら、受け持ちの生徒達から嫌われずにすむかを理解するためには、『よい教師の資質とはなにか』を問い質すことです。

(連載第2回)
第1章 教師 (その2)

 まず、なにはさておき、教師は教える学科を理解しなければなりません。化学の先生の場合、学校で学科の内容と試験対策を知っているだけでは十分とはいえません。彼は化学というサイエンスを心底から理解していなければならないのです。また、化学の分野で毎年成し遂げられる重要な新しい発見についても、認識しているべきでしょう。そして、ある少年が化学に関する特殊な才能を発揮したら、教師は、大学でどんなことが学べるかとか、解決すべきどのような課題が残されているかとか、いかに偉大な化学者達が歴史に登場し活躍したか等々を語りかけることで、その少年を鼓舞しなければなりません。
 ですから、教える行為は自らが学ぶ行為と切り離せないのです。ある少女がフランス語を教える道を選択すれば、本を暗記するだけで、あとは忘れてよいというわけにはいきません。彼女は人生の大部分を偉大なフランスの文学や芸術、歴史および文明の理解に振り向けることになるでしょう。よいフランス語の教師になろうとすれば、フランス語の書物を集めたり、フランスを訪れたり、フランスの大学で学んだりもするでしょう。また、フランスの映画を観たり、レコードで人気歌手の歌を聴くにちがいありません。さらに、フランスに住みついて、フランスの生活のさまざまな側面を学び取り帰国するでしょう。このような体験の結果として、彼女はよき教師になり、自らの受け持つ授業に戻っていくのです。
 人々は、『なぜ先生は自らの学科について徹底した知識を持つ必要があるのか』と、疑問に思うかもしれませんが、教師に限らず、ラジオやテレビのジャーナリストやニュースキャスターも、自分の専門分野に関する知識不足から誤った報道を行うことがあります。自分の専門分野のさまざまな問題を説明しようとして、多くの教師が同僚のサジェスチョンや自分の思いつきで説明を行いますが、こうした説明はおうおうにして間違っています。一方、教師の知識がしっかり構築されているならば、間違いは起こりえないのです。
 人の知性は新しい知識を取り込むのに十分な容量を備えています。ところが、我々大人は子供が食べられる食物の量は心得ていても、子供が学び取ることができる学習の量については無知です。ですから、ある学科の基礎を子供に教えるだけで、教えるテーマのあらゆる側面に関する子供の質問に対して、答える準備ができていなかったりします。これでは教える意味がありません。担当する学科について十分理解していない教師の場合、彼は生徒の興味を喚起することができないでしょうし、学科の基礎とそれを取り巻く複雑な各種課題について、子供の学ぶ意欲を引き出すこともできないでしょう。 
若者はいろいろな意味で、大人を嫌うことがあるようですが、大人達の知性が硬直していて、広がりに限界があることが、そうした理由の一つになっています。

(連載第3回)
第1章 教師  (その3)

 意表を突く話や、変わった世間話、あるいは退屈だと思っていた日常生活を興味津々にする話に出会うと、生徒達はそうした話をしてくれた人をおおいに賞賛します。特に、その人が若者に負けないくらいエネルギッシュで生き生きしていれば、なおさらです。正直いって、誰も四六時中エネルギッシュであったり、創造的であったりすることはできません。しかし、教師は自分の専門分野については熟知していますから、さまざまなことを多種多様な視点から話すことができます。そして、健康診断する医者の確信と同様に、教師は自分の専門分野が、学ぶに値し、興味深いということを確信していなければなりません。この原則が崩れると教育は萎え、各種の価値ある知識領域に分け入って学ぶという生徒達の意欲は損なわてしまいます。
 教師は本質的に、自分の専門学科について熟知するだけではなく、その専門分野が大好きでなければなりません。これら2つの要素(よく知っていて大好き)は表裏一体です。というのも、興味も持たずに何かを何年も何年も学び続けるということはほとんど不可能だからです。私には株のブローカー(他人のために株の売買をする商売)を生業とする友人がいます。彼は来る年も来る年も、プロの腕前を磨く学習に余念がありません。さらに、彼はあまり有名ブランドではない小規模な会社をたくさん知っています。正直なところ、彼はできる限りの学習をすることに楽しみを見出しているのです。フランスに滞在しているときには、新聞でフランスの株式についてのすべてを読み取ります。そうした努力の結果、彼は極めて優れた株ブローカーとしての地位を築いています。彼の株に対する関心は着実な専門知識の増加につながり、株売買の判断を強化します。彼は単に上手く商売しているだけでなく、ビジネスをすることに幸せを感じています。
 株ブローカーになりたいという希望を持って、社会人になった若い人に出会った場合、彼は言動や態度から、ある重要企業が価格政策を変化させつつあることについて、その若者が事態を把握しているか、あるいは関心を寄せているかを明確に判断し、そうした現状認識がなければ、株のブローカーではなく、他の仕事に就くようアドバイスすることでしょう。これとまったく同様に、歴史の先生として生計を立てたいと考えている少女が、政治や各界の偉大な指導者および大きな歴史的事件について関心を示さないとしたら、歴史の先生になりたいという希望を持ち続けても無駄です。そんな調子で先生になってもおそらく、教え方が下手で、教えることに嫌気がさすようになるでしょう。もちろん、ほとんどすべての先生が、自分の仕事のある部分について『いやだな』と思っていることも確かです。例えば、数多くの素晴らしい歴史の先生が、中世の初期について教えることを苦手としていますし、各時代の賃金や価格体系について著述した経済関連図書も嫌いです。しかし、教師たるものは少なくともそうした課題の本質を教える責任があります。
 教師が自分の専門科目をあたかも好きであるかのように装ったとしたら偽善者、つまり言行不一致の人というリスクを犯すことになります。生徒達はエネルギッシュで腕力に自信のある教師を我慢して受け入れ、ときとしてはその教師から何かを学び取るかもしれませんが、結局は偽善者を憎みかつ軽蔑するものです。また、本当は化学が好きでもないのに化学を教えているとしたら、「化学を勉強しないとひどい目にあわせるから、それがいやなら化学を勉強しろ」というか「化学を勉強しておけば将来、よい職業を見つけるのに役立つから化学を勉強しろ」といったことしか教師は生徒に語れないでしょう。あるいは、「化学はちょっとしたゲームだよ」といった生徒達へのうけねらいで、化学素材を混ぜ合わせたりすれば爆発を誘発しかねません。
 確かに、脅せば少しは勉強するかもしれませんが、よく学ぶことにはなりません。また、将来の就職のためなどといえば、生徒によってはそのように語った教師を信じ、よく学ぶことがあるでしょうが、ゲーム感覚で展開した授業の結果、爆発を引き起こしたりすれば、誰も教師を信じなくなります。

(連載第4回)
第1章 教師 (その4)

 意表を突く話や、変わった世間話、あるいは退屈だと思っていた日常生活を興味津々にする話に出会うと、生徒達はそうした話をしてくれた人をおおいに賞賛します。特に、その人が若者に負けないくらいエネルギッシュで生き生きしていれば、なおさらです。正直いって、誰も四六時中エネルギッシュであったり、創造的であったりすることはできません。しかし、教師は自分の専門分野については熟知していますから、さまざまなことを多種多様な視点から話すことができます。そして、健康診断する医者の確信と同様に、教師は自分の専門分野が、学ぶに値し、興味深いということを確信していなければなりません。この原則が崩れると教育は萎え、各種の価値ある知識領域に分け入って学ぶという生徒達の意欲は損なわてしまいます。
 教師は本質的に、自分の専門学科について熟知するだけではなく、その専門分野が大好きでなければなりません。これら2つの要素(よく知っていて大好き)は表裏一体です。というのも、興味も持たずに何かを何年も何年も学び続けるということはほとんど不可能だからです。私には株のブローカー(他人のために株の売買をする商売)を生業とする友人がいます。彼は来る年も来る年も、プロの腕前を磨く学習に余念がありません。さらに、彼はあまり有名ブランドではない小規模な会社をたくさん知っています。正直なところ、彼はできる限りの学習をすることに楽しみを見出しているのです。フランスに滞在しているときには、新聞でフランスの株式についてのすべてを読み取ります。そうした努力の結果、彼は極めて優れた株ブローカーとしての地位を築いています。彼の株に対する関心は着実な専門知識の増加につながり、株売買の判断を強化します。彼は単に上手く商売しているだけでなく、ビジネスをすることに幸せを感じています。
 株ブローカーになりたいという希望を持って、社会人になった若い人に出会った場合、彼は言動や態度から、ある重要企業が価格政策を変化させつつあることについて、その若者が事態を把握しているか、あるいは関心を寄せているかを明確に判断し、そうした現状認識がなければ、株のブローカーではなく、他の仕事に就くようアドバイスすることでしょう。これとまったく同様に、歴史の先生として生計を立てたいと考えている少女が、政治や各界の偉大な指導者および大きな歴史的事件について関心を示さないとしたら、歴史の先生になりたいという希望を持ち続けても無駄です。そんな調子で先生になってもおそらく、教え方が下手で、教えることに嫌気がさすようになるでしょう。もちろん、ほとんどすべての先生が、自分の仕事のある部分について『いやだな』と思っていることも確かです。例えば、数多くの素晴らしい歴史の先生が、中世の初期について教えることを苦手としていますし、各時代の賃金や価格体系について著述した経済関連図書も嫌いです。しかし、教師たるものは少なくともそうした課題の本質を教える責任があります。
 教師が自分の専門科目をあたかも好きであるかのように装ったとしたら偽善者、つまり言行不一致の人というリスクを犯すことになります。生徒達はエネルギッシュで腕力に自信のある教師を我慢して受け入れ、ときとしてはその教師から何かを学び取るかもしれませんが、結局は偽善者を憎みかつ軽蔑するものです。また、本当は化学が好きでもないのに化学を教えているとしたら、「化学を勉強しないとひどい目にあわせるから、それがいやなら化学を勉強しろ」というか「化学を勉強しておけば将来、よい職業を見つけるのに役立つから化学を勉強しろ」といったことしか教師は生徒に語れないでしょう。あるいは、「化学はちょっとしたゲームだよ」といった生徒達へのうけねらいで、化学素材を混ぜ合わせたりすれば爆発を誘発しかねません。
 確かに、脅せば少しは勉強するかもしれませんが、よく学ぶことにはなりません。また、将来の就職のためなどといえば、生徒によってはそのように語った教師を信じ、よく学ぶことがあるでしょうが、ゲーム感覚で展開した授業の結果、爆発を引き起こしたりすれば、誰も教師を信じなくなります。

(連載第5回)
第1章 教師 (その5)

 ゲーム感覚で行った化学の実験等で爆発を引き起こしたりすれば、誰も教師を信じなくなります。教師のいい加減な気持ちは、化学の授業を単なる遊びとは考えていない生徒達や真剣に取り組む場であると考えている生徒達を落胆させることでしょう。
 しかし、教師が自分の専攻学科を心から楽しめるならば、疲れている日にも教えることが大儀になったりしないし、心身がすっきりとして元気な日には、教えることが素直に喜びとなるはずです。そんなときには、新しい『図式』や『議論すべきテーマ』あるいは『興味深い視点』等々が、面白いように次々と脳裏に浮かび上がってくることでしょう。そして、すべての教師がそうであるように、失敗したり、答に窮した際も、生徒達の尊敬を失うことなく、自らの過ちを認めることができます。若者は教師の知識が完璧であることを要求しているのではありません。彼等は完璧などということが達成できないことを知っています。若者達の求めているものは、まさに教師の誠実さなのです。
 ところで、もし先生になろうとしているならば、科目を慎重に選ばねばなりません。学校の場合、たいていの新任教師は当初、さまざまな授業を通じて、多くの学科を体験しなければなりませんが、後になって、科目を選べる時期がくると、自分が好きな科目が何であるかを判断できるようになります。ところが歴史的にみて、新進気鋭の学徒といわれた人々の中には、自らの専門分野を注意深く選ばなかった結果、前途につまずいた者もいました。そうした人々は資質を最善の方法で開花させることができず、あたら才能をつぶしてしまったのです。つまり、賢明なプランニングをしなかった結果、社会にあまり貢献できなかったわけです。
 ちなみに、ドイツ人達は彼等流に研究分野をプランニングします。まず、若い学徒は自分の道を歩きはじめますが、通常、興味のある三つか四つの専攻科目を選択します。こうした専攻科目はすべて互いに関連しており、おのおのを勉強し続けるなかで、講義録を書き溜め、そうした研究および学習の成果はやがて、書籍として出版されることもあります。しかし、これで終わりというわけではなく、以後も研究は続き、講義録もさらに充実してきます。各研究分野について学べば学ぶほど、包括的な専門領域の確固たる知識を取得するようになります。このような学習のプロセスを念頭に置く学徒達は通常五十歳までに、関心をいだく分野の三つあるいは四つの方向(専攻科目)に関して十分な知識を持つことになります。
 学者の場合とは異なり、教師の場合、自分の専門学科を選ぶだけでは十分といえません。賢い教師は専門学科の中でも、興味がありなおかつ取り組みがいを感じる特別な領域を選ぶことになります。こうした関連領域についての知識が増えることで、ある知識領域に精通するようになり、同時に『自分が生計をたてるためにのみ働いているわけではない』と実感できるようになるのです。そして、こうした教師の意気込みを、生徒達はすぐに感じとってくれます。
 私は、ヴィクトル・ユーゴー(1802〜1885年まで生存したフランスの詩人兼小説家)の詩を心から味わっていた私の恩師(フランス語の教師)を思い出します。ユーゴーを愛する教師を見つけるなどということは、フランスにおいてさえきわめてまれなことです。しかし、私が教えを受けたフランス語の教師、マックグローン女史はそうした一人でした。彼女がワーテルローの戦いのエキサイティングな記述を読むときには、インスピレーションが充満していました。また、子ども達についての詩を朗読する際、我々は不安な気持ちに導かれながらも、密かに魅了されたものでした。もちろんときには、予習していない科目に話しが及ばないよう、わざとユーゴーについての議論を先生から引き出すこともありました。しかし我々は、先生の顔に輝きを与えている情熱を賞賛していましたし、その授業を介して、詩歌がとてつもなくエキサイティングなものであると同時に、心を暖めるものでもあることを実感したのです。しかも、それから何年も経た今なお、ユーゴーの文章を読む豊かでいきいきしたマックグローク先生の声が、私の耳にこだまし続けているのです。 

(連載第6回)
第1章 教師 (その6)

 優れた教師は、自分の専攻学科を好きになるだけでなく、自分の受け持つ学生達をも好きになります。確かに、除籍しなければならないような一部の例外的な若者はいるものですが、無知で未経験な存在である若者達を非難するにはあたりません。このことに気付けば、『優れた教師が学生達を毛嫌いしない』という意味がよくわかるはずです。さまざまなグループの若者達を好きになることがなければ、教師としては決して成功しないでしょう。2〜3人だけの受け持ちで済ませたいとか、しつけが行き届いた若者の受け持ちになりたいと思っても、それは無益なことです。青年達はつねにあくまでも若く、いろいろなキャラクターが大勢いるものなのですから。
 ある種の研究機関とか、なにか特別な条件のもとでなら、大集団の子供達を嫌ったりする教師や若者に囲まれていることでイライラするような教師も、先生として受け入れてもらえたり、尊敬されたりするでしょう。例えば、長年にわたって難しい学問に取り組んできた学者などは、学ぶことはできても、そうした学科をどのように教えてよいかは知らないかもしれないのです。そして、若い聴溝生達を目の前にすることが煩わしいということもあるでしょう。しかし、その学者が高名で、卓越した知識を持っているならば、講義が単調だったり、声が聞き取りにくくても、授業は注目を集めるでしょう。そして彼の教え子達は、大いに鼓舞されて、教室をあとにすることでしょう。もっとも、この場合、若者を鼓舞したのは、彼の教え方ではなく、彼の卓越した知性であることはいうまでもありません。
 世界中の名だたる大学の多くは、こうした学者達を雇っています。通常、20年から30年の教師経験を持っていても、学者は驚くほど教え方が下手くそです。そして、キャリアを積んである地位に到達しても、教え方は下手くそなまま、教師を続けることになります。実際、いつの時点でも、彼等の授業を成り立たせていたものは知織というパワー(知っていることの膨大さ)だったのです。クラスの学生達はこのパワーに圧倒されて、おとなしく座り、耳をそばだて、刺激を受けたのです。
 このように、それぞれの職業には特有の雰囲気や場の設定といったものがあります。そしてある職業に従事する人々は、自分にあった場所で、くつろいだ気持ちになります。ですから、家にいるのが好きな人物が役者になるのは馬鹿げたことですし、だだっぴろく騒がしいオフィスで仕事をしたり出張や未知の体験をするのが苦手な人は、ジャーナリズムの世界に足を踏み入れるべきではありません。また、化学好きで、研究所勤務を望む人が、なにかの拍子で、若者に化学を教えてみようかなどと方向転換してはいけません。
そんなわけで、教師は若者が好きでなければなりませんが、教師だからといって、年がら年中、若者達に取り囲まれていてはたまりません。教員生活で不可欠なこと(あるいは楽しみなことは)、大勢の子供達の騒々しさや圧倒的エネルギーからたまには逃避することです。ですから、来る日も来る日も、少年少女にかかりっきりになるような暮らしを求められる学校に勤務する教師は、職業とはいえ、なかなかに辛いものがあるでしょう。しかし通常、教師の仕事は一つ事に縛られるものではなく、仕事を受け入れる際には選択が可能なものです。自分の役割をしっかり心得た教師は仕事を楽しむことができます。例えば、教師はグループのリーダーであって、若者の不品行を取り締まる警官ではないということを認識していれば、その人は教師として成功するでしょう。そして、日常的にインスピレーションを与えてくれる若者達の熱いエネルギーの流れを感じながら、日々生活することができるはずです。
 この点については、『どうしたって好きになれないクラスはあるものだ』という深刻な反論が予想されます。つまり、女子生徒はセックスのこと以外なにも考えず、男子生徒はセックスと喧嘩以外になにも考えない学校だってあるというわけです。こうした学校では、生徒が先生や学校そのもの、そして教育を毛嫌いしており、こんな生徒達をどうして好きになれようかというわけです。
 確かに、こうした学校の少年少女は学習意欲がありません。彼等にとって学校は牢獄のようで、学ぶことは時間の浪費であると考えます。賃金を稼いで独立する大人の男や女でありたいと願っているのに、自分たちよりも幼い少年や少女たちと一緒に学校という施設に拘禁されているのを苦々しく思っているのです。彼等は世界の地理や大陸の歴史、および民族の文学等を学ぶことなんか、なんの役にも立たないと考えています。
 また、クラス分けや人種差別はしばしば学生の怒りを増幅させます。世界中いたるところの学校で、或る子供達は先生を嫌っています。その理由は、労働者階層の子ども達である彼等の目に、教師が中流階級の人々として映るからです。
 こうした問題は、反対する向きはあるにせよ、『教育がもはや特権階級のものではなく普遍的に必要なものである』と考えらた時点から、発生しました。少ないパーセンテージであるにせよ、あらゆる地域の学校はそれなりに深刻な問題を抱えています。田舎には、農民になることを望んでいて、農作業以外のことを学ぼうとしない子供達がいます。また、都市には、工業労働者になることを望んでいて、機械についての修練にしか興味のない子供達もいます。
 さらに、社会には自分達の居場所がないと感じている子供達が無数にいるという状況もあります。将来の人生設計や定職が報酬をもたらすという人生から自分が食み出しているという実感をもったこうした人々は、解決が最も難しい問題を抱えた人間のグループを形成します。こうした問題の解決には、学校のみならず、協会や市民、そして警察官や地域組織の連携が必要です。
 こうした難しい子供達の扱いはどうしたものでしょうか。教師は彼等に憐憫の情を覚えますが、そうした哀れみを表情に出すべきではありません。もしそんなことをすれば、子供達の怒りをかうだけです。
 教師は医者が患者へ接するように、こうした子供達に接するべきです。病気しをしているほとんどの人々にいえることですが、彼等の病がもたらしているさまざまな障害を正しく理解していません。こうした人々を処遇する最善の方法は、医者のように思いやりを持って、彼等が自らはもちろん、他のいかなる人をも傷つけないように気配りすることです。
 女性の教師の場合は特に、さまざまなクラスでこのような難しい生徒の処遇に手をやくことになります。女子生徒は女教師が年老いているのをいやがります。また、男子生徒は女教師がひよわなのを嫌います。こうした傾向の強い学校では、男性教師のみを採用すべきでしょう。というのも一般的に、女子生徒は大人の男性に敬意を払うものであり、男子生徒も、その男性教師が親切だったり、彼のユーモアのセンスに共感できたりすれば、決してそうした教師を毛嫌いすることはないからです。
 多くの国で、首尾よく大胆な取り組みを試行し、学習を拒絶する若者達の矯正に着手し、社会の有用な一員とすることに成功してきています。 

(連載第7回)
第1章 教師 (その7)

 そんなわけで、教師は若者が好きでなければなりませんが、教師だからといって、年がら年中、若者達に取り囲まれていてはたまりません。教員生活で不可欠なこと(あるいは楽しみなことは)、大勢の子供達の騒々しさや圧倒的エネルギーからたまには逃避することです。ですから、来る日も来る日も、少年少女にかかりっきりになるような暮らしを求められる学校に勤務する教師は、職業とはいえ、なかなかに辛いものがあるでしょう。しかし通常、教師の仕事は一つ事に縛られるものではなく、仕事を受け入れる際には選択が可能なものです。自分の役割をしっかり心得た教師は仕事を楽しむことができます。例えば、教師はグループのリーダーであって、若者の不品行を取り締まる警官ではないということを認識していれば、その人は教師として成功するでしょう。そして、日常的にインスピレーションを与えてくれる若者達の熱いエネルギーの流れを感じながら、日々生活することができるはずです。
 この点については、『どうしたって好きになれないクラスはあるものだ』という深刻な反論が予想されます。つまり、女子生徒はセックスのこと以外なにも考えず、男子生徒はセックスと喧嘩以外になにも考えない学校だってあるというわけです。こうした学校では、生徒が先生や学校そのもの、そして教育を毛嫌いしており、こんな生徒達をどうして好きになれようかというわけです。
 確かに、こうした学校の少年少女は学習意欲がありません。彼等にとって学校は牢獄のようで、学ぶことは時間の浪費であると考えます。賃金を稼いで独立する大人の男や女でありたいと願っているのに、自分たちよりも幼い少年や少女たちと一緒に学校という施設に拘禁されているのを苦々しく思っているのです。彼等は世界の地理や大陸の歴史、および民族の文学等を学ぶことなんか、なんの役にも立たないと考えています。
 また、クラス分けや人種差別はしばしば学生の怒りを増幅させます。世界中いたるところの学校で、或る子供達は先生を嫌っています。その理由は、労働者階層の子ども達である彼等の目に、教師が中流階級の人々として映るからです。
 こうした問題は、反対する向きはあるにせよ、『教育がもはや特権階級のものではなく普遍的に必要なものである』と考えらた時点から、発生しました。少ないパーセンテージであるにせよ、あらゆる地域の学校はそれなりに深刻な問題を抱えています。田舎には、農民になることを望んでいて、農作業以外のことを学ぼうとしない子供達がいます。また、都市には、工業労働者になることを望んでいて、機械についての修練にしか興味のない子供達もいます。
 さらに、社会には自分達の居場所がないと感じている子供達が無数にいるという状況もあります。将来の人生設計や定職が報酬をもたらすという人生から自分が食み出しているという実感をもったこうした人々は、解決が最も難しい問題を抱えた人間のグループを形成します。こうした問題の解決には、学校のみならず、協会や市民、そして警察官や地域組織の連携が必要です。
 こうした難しい子供達の扱いはどうしたものでしょうか。教師は彼等に憐憫の情を覚えますが、そうした哀れみを表情に出すべきではありません。もしそんなことをすれば、子供達の怒りをかうだけです。
 教師は医者が患者へ接するように、こうした子供達に接するべきです。病気しをしているほとんどの人々にいえることですが、彼等の病がもたらしているさまざまな障害を正しく理解していません。こうした人々を処遇する最善の方法は、医者のように思いやりを持って、彼等が自らはもちろん、他のいかなる人をも傷つけないように気配りすることです。
 女性の教師の場合は特に、さまざまなクラスでこのような難しい生徒の処遇に手をやくことになります。女子生徒は女教師が年老いているのをいやがります。また、男子生徒は女教師がひよわなのを嫌います。こうした傾向の強い学校では、男性教師のみを採用すべきでしょう。というのも一般的に、女子生徒は大人の男性に敬意を払うものであり、男子生徒も、その男性教師が親切だったり、彼のユーモアのセンスに共感できたりすれば、決してそうした教師を毛嫌いすることはないからです。
 多くの国で、首尾よく大胆な取り組みを試行し、学習を拒絶する若者達の矯正に着手し、社会の有用な一員とすることに成功してきています。 
   
(連載第8回)
第1章 教師 (その8)

 ロシアでは革命以後、大都市の街路にはホームレスの少年達が数多くたむろし、喧嘩や盗みをしながら暮らしていました。そうした少年の中には補導されて、国の学校施設で矯正指導を受ける者もいましたが、そうした子供達は指導に当たる教師がさし伸べるあらゆる支援に反抗して、施設や菜園を破壊しまくりました。そして、結果的に、悪天候から身を護る術もなく、ひたすら飢えるばかりでした。
 やがて少年達は自らの不遇と怠けた気分を払拭するために、しでかした悪さの後始末を始めました。この際、少年達に道具の使い方を指導するといった、教師の積極的な支援があったわけではありません。生徒達は指導教師を憎む代りに、その教師の逞しさと技能に感服したのです。こうして、2年前までの悪党は、今や社会に役立つメンバーになることを学んだのです。
 アメリカ合衆国においても、フラナガン神父が『ボーイズタウン(少年の町)』で、これとほとんど同じような取り組みをしました。1917年フラナガン神父は、アメリカ合衆国中部のネブラスカ州オマハで、5人のホームレス少年達とともに、私的な学校を開設しました。そして、同年の末までには、少年達の数はさらに増え、彼等はもっと大きな建物に引っ越さなければなりませんでした。この学校では、人種や宗教で差別することなく少年達を受け入れ、技能訓練をしたり、歌や楽器演奏の指導もおこなわれました。
 オマハの町の市民は彼等のオーケストラ演奏を聴き、多くの人々がフラナガン神父の支援に立ち上がりました。フラナガン神父と教師および150人の少年がオマハ近郊の広大な農地に移動できるよう、実業家達が多額の寄付を行いました。そして、多くの施設が建設され、新しい各種の商取引を学習する一方、農業プログラムの充実も進みました。また、こうした少年達のトレーニングには、さまざまなスポーツも重要な役割を果たしました。
 1936年までに、ボーイズタウンは自分達の郵便局や発電プラント、種々の商店が備わった、人口275人の町になりました。少年達は自治について学び、手作りの法律を作り、それを執行しました。こうしてフラナガン神父を中心としたプロジェクトは全体として発展し続け、放置すれば問題児になりかねなかった少年達を、首尾よく、有能な社会人へと育て上げたのです。
 こうした矯正の取り組みを成功に導くためには、若者達を悪い生活環境から切り離す必要があります。しかし、学校が貧民街の真っ只中に位置するような場合には、教師に何ができるというのでしょうか。知っていて知らん顔をするという行為は、社会的な問題を引き起こす一つの温床になりますから、そうした事態が少なくなるように、情報を提供することで支援してゆかなければなりません。ベテランの教師がソーシャルワーカーや種々の福祉団体と連絡を密にし、問題の所在を明確に告げ、その解決策についてサゼスチョンをおこなえば、有効な手を打つことができます。
* * *
 教師が生徒達を好いている場合も、教師が生徒達を知るということはとても大切です。教師たる者は、若者が教師自身や教師の知人と似た者同士であるようなことを期待してはいけません。教師は若者の考えや心の動きのパターンを読み取る必要があります。このうに努めれば、若者達の変わった行動の多くを理解したり、許しがたい行いの或ものについては、忘れてあげることもできるようになります。
 ではいったい教師はどうのようにすれば、生徒達を熟知できるのでしょうか。これには、まずなによりも、生徒達との緊密な交流が前提となります。

(連載第9回)
第1章 教師 (その9)

 教師はどのようにしたら生徒達を完全に理解できるようになるのでしょうか。生徒達と時々パーティーを開いたり、ゲームに興じたりするのもよいでしょう。教師が何か他のことをやろうとしているということを生徒達が察知しているようなら、教師は生徒達の話によく耳を傾け、彼等の心と感情がどのように作用しているかを把握するよう努めなければなりません。また、自分自身が若かった頃を思い出すことで、若者達について多くを学ばなければなりません。自分の若かりし頃のことを思い出せば思い出すほど、若者という存在をよりよく理解できるはずです。
 一般科目を担当する教師でうまく教えることができない人物の中には、少年あるいは少女時代に、勉強ばかりしていて、ばかばかしいゲームや無謀な遊びをほほとんど体験したことがない者もいます。そうした人物に限って、教師のように振舞うことにしばしば無情の喜びを感じるのです。こうした人々は、若い頃によい成績を採りますが、冒険心に溢れた競争によって暮らしを立てるようなエネルギッシュな世界に踏み込むことを躊躇します。彼等は教職に就くのですが、驚いたことに、教職があまり好きではないのです。彼等はしばしば自分の若かりし頃を彷彿とさせる賢くて勉強熱心な少年少女へ、極端に肩入れします。ほとんど全精力をこうした生徒に注いで、難しい試験を突破させ、将来の金になる教育のたしにしようとトレーニングに励むわけです。その反面、こうした教師はどの授業でもその大半を占める普通の生徒達とうまく心を通わせることがありません。というのも、これらの教師は自分自身が普通の人間であったためしがなく、もはや若くもないからです。
 教師はまず、自分の過去を振り返って、若者を理解しなければなりません。そして、次に、生徒達の氏名と顔を覚えます。あっというまに覚える教師もいれば、なかなか覚えられない教師もいますが、これはどうしても成し遂げなければなりません。ロンドン大学の有名な教師が犯した最もよくない過ちの一つは、自分の生徒が覚えられないと公言したことでした。女生徒達は特にこうしたことを嫌いました。というのも、彼が生徒達のミスを正す際にはまるで個人攻撃のようでしたし、翌日、路上で出会った際も、生徒達を無視したからです。
 大学を去るに当たっての最終講演で、「私が生徒のみなさんの顔を全部覚えていたなら、それよりもっと大切なことを忘れてしまったかもしれません」といって詫びました。つまり彼は、Miss. SmithとMiss. Jonesの区別をしようと記憶することにこだわったら、例えば、もっと重要な或る文法上の規則を忘れてしまったかもしれないといいたかったわけです。我々はこうした一見謙遜したかに見える欺瞞が、路上で出会った際に無視された女生徒達にいかにうけたか想像できます。もちろん、彼の釈明にもなにがしかの真実はあるのでしょうが、彼は本当は次のようにいいたかったにちがいありません。「自分の授業を受ける生徒達の名前をいちいち覚えなければならないとしたら、時間とエネルギーの甚大な損失だっただろう。」そして、さらに次のようにもいいたかったにちがいありません。「そんな努力をするのは不要なことであり、実際、私の仕事ではないんだ。」
 若者は成長し、一人前の人間になろうと必死に努力します。ですから、もし教師が若者達によい影響を及ぼしたいと思うなら、自分が皆んなを一人前の人間とて扱っているということを、彼等に納得させなければなりません。こうしたアプローチの第一歩が、生徒の顔と氏名を覚えるということなのです。
 しかし、教師の実態ははるかにこれに及ばず、ほんとどの場合、受持ちの生徒すべてを個人として扱えてはいません。教育の手腕とは癒しのテクニックであり、そうした関わりの一部として、それぞれの個人の内にある特殊なパーソナリティや混在する性格の兼ね合いを理解してあげなければなりません。教師は経験を通してのみ、受持ちの生徒に関する普遍化されたアプローチを学びとることができるのです。

(連載第10回)
第1章 教師 (その10)

 教師になったばかりの頃は、受持ちの生徒達は個々にすべて異なっていると思う日々が続きますが、やがて、太郎という少年が史朗という少年と非常に似通っているということや、困難に直面した場合、花子が良子と同様の反応したり、類似の作文を書くということもわかってきます。そして、さらに4〜5年の経験を積むと、自分のクラスに太郎によく似た別の子供がおり、同じようなジョークで笑ったり、同じような作文を書くことに気付きます。そして、その次の年には、花子に極めてよく似た性格の別の少女に遭遇します。このようにして幾年となく過ごすうち、教師は自分なりに生徒達のタイプというものを類別するようになります。
 もっとも、一つの側面だけで似ていたり、複数の側面が絡んで似ていたりすることもありますが、平均的クラスの85%くらいの生徒は、こうした類型に当てはまります。人々について一般論をのべることは、かなり膨大なサンプル調査を踏まえても不可能なことですが、さまざまなタイプのパターン化された人間がいる軍隊のような組織と同様、大学の学生にも一様なパターンがあり、教師達は通常、受け持つクラスの学生が一定の類型に分かれることを繰り返し実感できます。
 とはいえ、若い教師が教職に就いたばかりの頃は、これで間違いないといえるほど明確に、人間の類型を把握することはできません。しかし、若い教師にとっては、W.H.シェルドンの著作『気質の多様性』という本が、こうした問題へのヒントとなるでしょう。この著作は、シカゴ(米国中西部の都市)での実践を踏まえて書かれたもので、シェルドンはこの都市で、数千名の学生に関する体型を徹底的に測定評価する一方、200名の学生に関する入念な心理学的調査を実施しました。こうして、体型と心理的特性が一致する組み合わせを系統立てていくうちに、多くの青年の精神面が、体型の3つのパターンのいずれか一つにコントロールされることに気付きはじめました。
 第1の類型は胃袋の支配しを受けやすい太り気味で緩慢な体型の若者、そして第2の類型は肩幅が広く大声で話す筋肉隆々たるエネルギッシュな若者、さらに第3の類型は、通常、頭脳と神経が鋭敏な痩せ型の若者です。
 シェルダン先生は、こうした類型に注目して、体型と心理的特性の関連をさらに詳しく調べました。その結果、太り気味で食いしん坊な若者は、通常、礼儀正しく、家庭生活に満足し、しばしば、葉巻タバコを吸ったり、大ぶりのパイプを愛用することがわかりました。一方、筋肉隆々たる人物はせっかちで、単純な望みを持ち、トラブルに遭遇しがちで、暴力に訴える傾向にあることがわかりました。さらに、神経質なタイプの若者には心配性が多く、音楽や芸術を好むほか、不眠症で夢想家、しかも計画性がなく定職に馴染まない等の傾向が見られました。
 しかし、シェルダン先生が調査したこれら若者達のほとんどは、こうした3タイプのどれか一つのみに属しているということはありませんでした。つまり、あまりに単純な類型の枠組みで複雑な人間の生活を括ってしまうと間違った解釈になるという証です。現実には、3つの類型が混在しており、ある人々は太り気味で食欲旺盛でありながら、エネルギッシュでもあるというわけです。こうした例では第1の類型と第2の類型が組み合わされています。また、別の例では、筋肉が隆々としていても神経質な人もいます。これは第2の類型と第3の類型が混在していることになります。
 そこで、シェルダン先生はこれら3つの類型のそれぞれに、1から7までのスケールを設けることにしました。つまり、7というスケールで評価される若者は、ある類型の典型に近いことになり、1というスケールで評価される若者は、類型とあまりマッチしないことになります。例えば、極端に痩せて神経質なある若者を、第3類型では7で第1類型では1というように評価するわけです。

(連載第11回)
第1章 教師 (その11)

 シェルドン先生の書物によれば、すべての人々は、体形に関する3つの類型的特徴を兼ね備えているわけですから、個性は各類型の数値レベルを明示した3つの数字で連記可能になります。例えば、これら3類型の特徴をかなりバランスよく兼ね備えた人物の個性は、4−4−4と連記されます。また、筋肉質でもなく、神経質でもない太った体形の人は7−1−1、プロの格闘家のように腕力のあるエネルギッシュな人は1−7−1といった具合に、それぞれの個性が表されます。
 ところで、極端な性格の場合は別ですが、3つの類型を兼ね備えたケースの組み合わせ表記はそれほど容易ではなく、ともすると、こうした方法による判別そのものの有効性が疑問視されることにもなりかねません。しかも、この手法に内在する最大の弱点は、子供達の個性は一定で変化しないとシェルドン先生が思い込んでいることで、こうした3つの類型的特徴が環境とか、ダイエットとか、習慣上の変化によってどのような影響を受けるかについてのコメントが一切ありません。しかし、多くの教師達は自らの経験を通して、家庭の保護下にある間は、虚弱かつ神経質であった子供がしばしば、学校等で他の青少年達と2年間を過ごすうちに、エネルギッシュで筋肉隆々としたタフな若者に成長することを知っています。
 学生を類別するシェルドン先生の性格評価システムにはこうした弱点があるにせよ、教師にとってはなかなかに役立つものかもしれません。教師はこのシステムを使って、とりあえず、受持ちの生徒をグループ分けする目安にすることができ、或る生徒が性格的に持っている行動の傾向や、向き不向きを判定できます。
         * * *
 教師が生徒の主なタイプを把握した後も、どの類型的グループにも属さない生徒達が何人か残ります。それは奇人あるいは変人の部類で、その行動は常軌を逸しています。こうした生徒の一人は、クラスの他の生徒すべてよりも、トラブルを起こしがちですが、別のこうした生徒の一人はときとして、無数にいるいわゆる普通の生徒より、見込みがある場合もあります。
 こうした奇人・変人の若者達は極めて個人主義的で、彼等を通常のルールのもとに扱うことは困難です。ここで、ちょっとしたアドバイスをしておきましょう。まず、当初はそのように思えなくても、受け持ちの生徒の中に、一人や二人は奇人・変人がいるものだということです。生徒は誰もが決まったタイプのいずれかに属しているだろうとたかをくくって話しかけてみても無駄なことです。愛嬌のよい笑みをたたえている金髪の少女が、後になって、実はとんでもなく残忍で、扱い辛いということがわかったりします。かと思えば、なにを書くにも極めてのんびりしている一見とろそうな少年が、クラスのその他の生徒よりも頭脳的に3〜4年先行しているといった例もあるのです。とにかく、生徒達すべてをよく観察して、エキセントリックな性格を見抜かなければなりません。そして、そのような性格を見つけ出したら、そうした生徒との対話には十分配慮すべきです。教師の話した言葉がこうした生徒に対して、思いもよらぬ影響を与えることもあります。
 私が共に働いていた職場のある教師は、その道の権威であるにもかかわらず、新しい本や新しい講義に取り組む際はいつでも、深刻な不安にさいなまれていました。この教師がまだ若者だったとき、彼は先生に彼の能力の評価を求めました。すると、その先生は「君の基礎は不安定だ」といいました。おそらく、教師としては「君の知識と能力には疑問の余地がある」といいたかったのでしょう。成人して教師となったこの人物(私の友人)は今や、誰もが何らかの不安を抱えていることを知っていますし、彼を評価した教師そのものが、自分自身の中に、より大きな弱点を抱え、それに気付いてもいたと理解しています。とはいえ、その友人は、いまだに、勇気をくじかれた若き日の経験に悩まされているのです。一時期は、自分が破滅しそうになったといいます。彼が師事した教師は、よもや教え子がそんなことになるとは思っていなかったのでしょうが.....。

(連載第12回)
第1章 教師 (その12)

 最も難しいタイプの生徒は「皆が自分に敵対している」と思い込む寡黙な子供達です。こうした子供達を扱うに当たっては一つの重要な鉄則があります。つまり、個人的な感情を交えない客観的な関係を維持するということです。彼等が教師との個別の面談を望むような場合、その面談を受入れると、自分の抱えるあらゆるトラブルを洗いざらいぶちまけることができると考えますから、こうした面談は要注意です。面談をする場合でも、面談時間をしっかり取り決めてから、自分の研究室で会うようにします。もちろん、面談についてはノートをとり、ドアは開け放した状態で行います。その生徒が怒り出したりしても、教師は冷静に対処し、自分が行うすべてのことについて理路整然と説明します。間違っても、大袈裟な身振り手振りで自らの感情をぶつける方向に傾斜してはなりません。
 かつて、私の知り合いであった教師の一人は、研究室に闖入してきたある女子学生から「自分の成績をもっとよく評価してくれなければ、窓から飛び降りる」と脅されました。その時彼は、窓を開けてやったそうですが、彼女は飛び降りなかったそうです。しかし、こうした対処の仕方は極めて危険です。私なりにこのエピソードを締め括れば、この教師自身が沈着冷静で、よく自己抑制が効いた人物なので、「さあ飛び降りなさい」といわんばかりに窓を開けても、その女子学生が考え直すことを確信できたのです。誰も彼もがみさかいなくそんなことをすれば、結果は悲劇的な結末となりかねません。
 他方、才気に溢れた生徒もまた扱いが難しいものです、しかし、こうした生徒は極めて取り組み甲斐のある存在でもあります。しかし、教師は彼(あるいは彼女)を自分の分身のように思ってはいけません。また、自分の指導技術でその子を訓練することに躊躇するようでもいけません。才気に溢れた子供には、教師が持っている経験上のメリットを与えることが大切です。つまり、たくさんのなすべき課題を与えることです。たとえ課題のすべてを消化できないとしても、将来にわたって取り組むべきものがあることを認識するこでしょう。もっとも、あまり過剰なチャレンジをさせると、エネルギーを浪費してしまう恐れもあります。
 こうしたエネルギーの浪費を回避する最善の方法は、自分のなすべき仕事について、自らに適したプランを立てさせることです。仕事を適切に塩梅することで、3ヵ月あるいは半年後には、その生徒の行った取り組みを評価でき、その進展に喜びを感じたり、驚かされたりすることでしょう。まず記録することを習慣付けさせ、実施した実験等のノートをとるよう指示し、研究していることについてのレポート提出を義務付けるようにします。そして、3ヵ月が過ぎたら、一時休息を与え、褒めてやることも大切です。なお、生徒のテンションが高いうちに、彼(あるいは彼女)とともに、成果のすべてを検証しましょう。このようにすることで、生徒から予期せぬ意気込みを引き出すことができ、しばしば、教師が思いもよらぬ方向で、さらに取り組みを発展させていくきっかけをつくることにもなります。
 才能ある生徒達も時には取り組みが上手くいかず、失意の日々を送ることもありますが、こうした時期には、実践している課題のとりまとめをさせるのが有効です。新しい一連の取り組みが上手くいかず、がっくりと疲れはててしまった生徒が教師の前に現れ、すべての試みと努力が水泡に帰したといったら、まず、すでに彼の実践した仕事をすべてまとめさせてみましょう。そして、とりまとめが終わったら、第一段階の期間にその生徒がどれたけたくさんのことをなし遂げたかを指摘し、その成果が現在の取り組みとどのように関わっているかを説明してあげます。通常、このようなアドバイスをしてあげると、落ち込んでいた生徒の気持ちも安堵するものです。
 以上、いろいろと述べてきたように、教師は受け持ちのクラスに所属する生徒個々の特殊な資質を十分に認識しなければなりません。クラスにはその教師の庇護のもとにあることが不満な生徒と、教師も多いに刺激され、可能な限りの支援を与える必要がある才長(た)けた生徒がいるからです。

(連載第13回)
第1章 教師 (その13)

 とはいえ、クラスには、手間のかからない平均的なレベルの生徒達が多数いるわけであり、こうした子供達の教育は素直に行えますから、特殊な子供達とこれら平均的な子供達をあまり意識的に区別して扱う必要はありません。それどころか、先生が生徒を人格の類型としてグループ分けして見ているといった印象を与えることは、厳に慎むべきです。そして、生徒達がが個々にアドバイスを求めてきたら、教師はこれにしっかり対応しなければなりません。それはまた教師の義務でもあります。
 すでに述べたように、よい教師は自分の専門科目やものごとの限度およびクラスの生徒達について熟知していなければなりません。また、専門外のことについても広範な知識を備えるべきでしょう。そして、教師というものは、心の問題について、一般の人々よりも遥かに強い関心と熱意を持っていなければなりません。このような心構えの中で初めて、思い通りに、若者達の躍動する心を鼓舞することができるのです。
 教師は2つの特別な役割を担うことで、他の専門職や、ビジネスマンあるいは教育現場で働く他の人々と異なります。まず第一の役割は、授業で得た知識を生徒自らが人生に活かす術を具体的に示してやることです。学校や大学はまるで牢獄のようで、いやいやながら半ば強制的に数年を過ごさなければならないなどといった考え方が、生徒や学生の間で罷り通るならば、若者達は教育から何のメリットも受けないことになります。受け持ちの生徒や学生達に、『或る確かなテーマで学ぶことが、将来きっと役に立つ』ということを具体的に納得させるのは難しいことです。というのも、若者達は、自分がどんなタイプの大人になるかを知る由もないからです。しかしそれでもなお、可能な限り、授業で学んだことが将来の自分自身と深く関わってくるということを、いろいろな手法を駆使して、彼等に理解させなければなりません。
 各種の学科が大切で役に立つものであると生徒達に思わせるいくつかの方法があります。例えば、ある国語の教師達は日常的に目にする優れた雑誌を用いて、明快で説得力のある文章とはいかなるものかを解説します。また、すべての外国語担当教師は、自分が専門とする外国語の新聞や映像資料使う方がよいでしょう。しかし、不幸にして、こうした工夫がすべてのテーマに使えるとは限りません。
 いずれにせよ、教師のエネルギーと情熱はなによりもまず、ある学科を学ぶ価値を実証するのに注がれ、あれやこれやと試行します。自分が学んでいる歴史の先生が賢く、有能で、興味深い人物だとわかれば、生徒は歴史の勉強をすることで、あのような人物になれるかもしれないと考えることでしょう。そうなれば、生徒が歴史を学ぶ意欲はいやがうえにも高まるものです。
 また、彼等自身の現在を延長したところに大人としての存在があることを生徒達が直感するような手法で、大人の生活を語ることも教師の役割です。こうした教育をするには、教師が若者の世界と大人(いわゆる成人した男あるいは女)の世界の双方に、我が身を置いていなければいけません。多くの教師はこうした二つの世界に所属することを非常に難しいことだと考えています。そうした教師達は、学校のできごとばかりに関心があり、その他のことには全く注意を払わないのです。それどころか、もっと極端な場合には、若者の行動に全く関心がないという教師もいます。彼等は大学の機関誌を開いてみることもしませんし、学校のスポーツイベントを覗いてみようともしません。
 一方、優れた教師はこうした諸般の雑事にもパランスよく対応し、生徒の立場を理解するとともに、教師としての自分の視点も見失うことがありません。優れた教師は自分の若い頃に魅了されたことをいろいろと思い出す努力をし、それを自分の教育に活かします。若者は深い思考を行う存在ではありませんが、大人よりもはるかに素早く、目新しいこと(衆人環視の中の珍しい人物とか、本質的なニュースよりは特異なニュース等々)に気付きます。そこで、そうした話題にも触れながら、日常の講義を行うと、難しい議論もより明快になったりします。

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 さて、優れた教師となる最も重要な資質の一つは、ユーモアのセンスです。ユーモアのセンスは授業の様々な場面で、目的達成に役立ちます。また、ユーモアのセンスは生徒達の心を明朗闊達にし、多くの重要な科目の心象風景となります。文学を教える場合、偉大な作家のユーモアを紹介することはとてもよいことで、そうした人物達が多種多様な資質を備えた人間であったということが納得できます。その結果、作家が成し遂げたことの高潔さや失敗の悲しさをより豊かに解説することができます。  

(連載第14回)
第1章 教師 (その14)

 さて、優れた教師となる最も重要な資質の一つは、ユーモアのセンスです。ユーモアのセンスは授業の様々な場面で、目的達成に役立ちます。また、ユーモアのセンスは生徒達の心を明朗闊達にし、多くの重要な科目の心象風景となります。文学を教える場合、偉大な作家のユーモアを紹介することはとてもよいことで、そうした人物達が多種多様な資質を備えた人間であったということが納得できます。その結果、作家が成し遂げたことの高潔さや失敗の悲しさをより豊かに解説することができます。  
 もちろん、ある種の課題(例えば、科学等)については、ユーモラスな取り扱いが許されないものもあります。しかし、賢明な教師は授業にユーモアを上手く持ち込む術を心得ています。つまりそうした教師は、60分授業の中に5分間の笑いを散りばめることで、しかつめらしく行う60分の授業の2倍にも値する効果が上がることを知っているのです。
 しかし、授業を徹底的に面白おかしくやればよいというというものでは決してありません。いうまでもないことですが、よりよい成果を達成するよう生徒達を指導するのであれば、過ちを笑いでやり過ごしたり、そうした過ちをしでかした生徒達を冷やかすようなことは、適切な手法であるはずがありません。本来、ユーモアの目的は、教師と生徒達の間の親密な関係を生み出すことにあります。授業を通じて、クラスの生徒達と先生が心からの笑いの場を共有すれば、年齢や権威に阻まれない授業が行えます。そして、一体となって喜びを感じ、楽しく共に経験を分かち合えるのです。
 こうした考え方は従来からの心理学でも説明がつきます。すべての人間には2つの強力な本能があり、それらを授業に利用できます。つまり、人は他の人々と一緒にいたいと望んでおり、一緒の行動(プレイ)を楽しみたいと思っています。例えば、50人の人間に、4時間かけて、丘を登り、谷を下って、隣町へ行くよう指示したとします。この場合、もし一人ひとりを別々に行かせたならば、多くの人々が制限時間をオーバーして到着し、ほとんどへたばってしまうでしょう。しかし、もしグループを組ませて行かせたならば、人々はあまり疲れもせず、早めに現地へ到着することでしょう。さらに、グループを2つに分けて競わせたならば、彼等は疲れを知らずにやり遂げるでしょう。つまり、人々は共にあって、そうした経験を共に享受するわけです。まったくこれと同様で、教師が少年少女30名のクラスを束ねて、全員が一体となって取り組んでいるのだと感じるようにできれば、そしてまた、教師が生徒達に一緒に楽しく取り組むことの意義を明確に伝えることができれば、生徒達は受身の学習(すなわち、やらされているという状況)の場合よりも、はるかに優れた成果を上げることができます。
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 ところで、どのような人物が優れた教師になれるのでしょうか。絶対にこれだけは必要という資質は幾つあるのでしょうか。私が思うにそれほど多くはありませんが、確実に3つはあります。まずは記憶力です。教師は自分の学科に精通しているだけではだめで、授業で自分が話したことをしっかり覚えている必要があります。なにしろ、ある質疑応答に際し、前に話した内容を思い出しつつ、それを別の事実関係と絡ませて後日再び語るような場合もありますから。また、何人もの生徒達が『いつもとはちょっと違う難問』と感じる問題に遭遇したような場合には、次に同様の問題に出くわした時のために、教師はそれらの事例をしっかりと心に留めておく必要があります。また、ある学生が素晴らしい読書感想文を提出したなら、それを覚えておいて、後日、また別の感想文にチャレンジするよう促すようにすべきでしょう。このように、記憶力は他の専門職と同様、教師にとっても大切なものです。

(連載第15回)
第1章 教師 (その15)

 なにしろ、創造に結びつく記憶力は、凡庸な弁護士、医者、教師と、非凡な弁護士、医者、教師とを分かつ、極めて大切な資質の一つです。
 生徒達は講義に注意深く耳を傾けることで、自らの知識ベースへ多くの事実を追加することができます。しかし、取り込んだ事実相互を適正に関係付けることはできません。創造性に富んだ記憶力を有する教師は、生徒達の知識がいかに断片的で、ばらばらに離れたものであっても、彼等がそれらを関連付ける努力をサポートします。最も、これは先生の仕事の中でも、最も難しい仕事の一つです。こうした取り組みに成功すれば、理解したという事実が生徒達の顔にはっきりと反映されるのを確認できるでしょう。教師にとって、これにまさる報酬はありません。
 優れた記憶力に加えて、教師は強靭な意志を持たなければなりません。つまり、生徒達にありがちな学ぶことに対する反抗を克服する断固たる人格でなければならないのです。若者は勉強を好まず、フットポールをしたり、映画を見に行ったり、お菓子を食べたりしている方が好きに決まっています。しかし、彼等は勤勉さを学ばなければなりません。何故なら、彼等はこの後に残る人生の日々を、勤勉に働かなければならないからです。(『学校』を『レジャー(自由時間)』とか、個々に好きなことをする時間と受け取とるのは妙な話ですが、かって、人々は学校という言葉を口にするとき、学校に行ける奴は幸運だと思いました。そうした幸運に恵まれない少年達は、父親の切り盛りする店の掃除をしたり、牛の乳絞りをしたからです。そうした時代には、掃除をしたり、牛の乳を絞ることが勤勉なことであって、『学校』は『遊び』だったのです。)
若者はまた、権威を嫌います。若者は本質的に反逆者であり、義務とか責任とかの問われない無秩序の世界を指向します。ですから、権威(例えば、先生の職権)の原理原則を尊重するよう若者を指導しなければなりません。こうしたことを学校でしっかり学ばないと、後で身に着けるのがなかなか難しいということを、将来、実感することになります。ですから、若者達がさまざまな種類の権威を区別して見極めよう指導するのは、教師の責務です。そのことによって、権威のよしあしが判別できるようになります。なにわともあれ、毅然とした人格の教師のみが、権威を尊重するという最初のレッスンを生徒達にてほどきできるのです。そして、毅然とした人格でなおかつ賢い教師は、権威に関するよしあしの区別も教えることができます。
 若者はさらに、集中することが苦手です。学習効果を上げるには、大変な努力が必要です。先生が見ていないと思っている少年の勉強ぶりを見てご覧なさい。彼は10行位を読んでは一休みして、そのページの欄外に可笑しな顔を書いたりすることでしょう。そして、さらに10行読み進むと、今度もまた休憩して、流行歌などを口ずさむといった具合です。次に彼は、すべての教科書を机に並べたり、すべての鉛筆を削ったりします。集中すべき彼の時間帯には、あらゆる種類の無駄な動作(両足で床を踏み鳴らしたり、部屋をきょろきょろと見回したり、椅子におろした腰を落ち着きなく移動させたり等々)が伴います。
 しかし、こうした生徒も、学習することの重要性を理解した時点から、変化します。勉強が終わるときまで、ふらふらせずに、しっかりと座席に着きます。そしてしばしば、意志の強い人間になり、寝る間も惜しんで学習するようになります。 よくあることですが、生徒達は自分達が自立していることを示したいばかりに、教師の指導を拒否したりします。つまり、生徒達は、騎手が手綱を強く引くと、突然、一方向に頭を向ける馬のようなところがあります。教育する狙いの一つは、こうした抵抗を呼び覚まして、それを生産性のある思考へと方向付けてやることなのです。もっとも、生徒達は活力に溢れエネルギッシュですから、そうした抵抗が相当強い場合もあります。しかし、教師は彼等を見事にコントロールし、なおかつ彼等自身の自立心を温存してやるようにしなければなりません。

(連載第16回)
第1章 教師(その16)

 以上のような理由から、記憶力と意志力は優れた教師になるための2つの重要な資質であるということができます。さらにもう一つ必要な資質は親切さ(あるいは、優しさ)です。教師たる者は生徒達に、「自分達が進歩するようサポートしてくれる」とか、「自分達の過ちに心を痛め、自分達の成果を喜んでくれる」という実感を与えなければなりません。優れた教師の親切心以外に、学習することの難しさを和らげてくれるものはありません。
 もっとも、親切心はまさに本物でなければならないのです。ですから、教師が受け持ちの生徒達を好いているように装うことは、無用なことです。というのも、どんな年齢の生徒でも、教師が自分達を好いているかどうかは素早く見破ってしまいます。とはいえ、教師が自らの親切心をいつもいつもアッピールしている必要はありません。教師が担当科目についての知識と理解を深めようと心底から願っていれば、そして、学習の難しさを実感している生徒達をサポートしてあげられれば、先生の顔つきが謹厳で、彼の接し方が個人的な感情を殺していても、生徒達は間違いなく、自分達の先生は親切であると考えます。
 どの教師も親切さ(あるいは、優しさ)にある思いを込めています。その思いは兄のようであったり、姉のようであったり、親のようであったりすることもあるでしょう。そしてまた、あるときには、一市民としての仲間意識で同情することもあります。とにもかくにも、教師達はさまざまな場面で、こうした思いやりの気持ちのいずれかに突き動かされることになるのです。

(連載第16回)
第2章 教育の手法(その1)


 我々はこれまで、優れた教師のキャラクターについて論じてきましたが、これからは、教育の手法に話題を進めたいと思います。
 教育するという行為は3つの部分から構成されます。まず第一は、教師が受け持つ学科について授業の準備をするプロセスであり、第二は、その準備した学科の内容を生徒達に伝えるプロセスです。そして、第三は、生徒達が教えたことをしっかり理解するように復習するプロセスです。

(A)授業の準備
 教師はおそらく、翌日あるいは翌週の授業に向けての備えはぬかりないものです。しかし、教師はしばしば、学期や通年を視野に入れた授業全体のプランを怠りがちです。教師は週の終わりまでに終えるべき授業が何かについてはしっかりと把握しているものなのですが、そうした授業のパーツ(部分)が、まだ残されているなすべき部分とどのように関連しているかについては、なおざりにするものなのです。授業のプランを立て、それを最後まで全うできるのは、極めて心構えのしっかりした教師だけです。多くの教師は、試験の2週間前になって、学科を学ぶ比重が前半部分に偏り過ぎたのに気付いたりします。その結果、後半の学習部分を駆け足でこなすことになるのです。
 次に紹介するのは、こうした貧弱な授業計画の一例です。
 ニコラスM.バトラーはニューヨクにあるコロンピア大学で長年にわたり、学長を務めてきました。彼は1870年代の学生で、ギリシャ文学を専攻していました。彼が学生の頃、彼が専攻したギリシャ語の先生は、文法の詳細な説明に多大な時間を費やしてしまい、そのクラスは戯曲『メディア』を読み切ることができなかったそうです。ちなみに、戯曲は1400行もあったのですが、読んだのはたったの246行でした。ですから、学生達はその戯曲がどのような結末を迎えるのかを知ることがありませんでしたし、その物語が持つ本質的な意味や芸術的な価値についても評価できなかったのです。
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(つづく)