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1986年に朝日中学生ウィークリーの『きみだけの心
の宇宙』という詩のイメージ画として表紙を飾った学
習漫画家・坪井 幸(現在のペンネーム“つぼい  こ
う”)氏の作品です。
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私の少年時代や青春時代は現在のように、誰も彼もが習い事などできる世の中ではありませんでした。今は習い事として“陳腐”な印象さえあるピアノにしても、よほど家庭に余裕がある家でなければそのレッスンを受けるなどということは高嶺の花でした。そんなわけで、子ども達にとって西洋音楽のイメージは楽器が沢山ある(子どもの時分はそのように思っていました)地域の公立小学校の音楽室に直結していました。そして音楽室といえば、バッハ、ヘンデル、モーツアルト、ショパン、・・・等々の肖像画が我々児童達を睥睨する薄暗く広い非日常性に溢れた教室でした。そこでは、ピアノ、オルガン、アコーディオン、大太鼓、小太鼓等々のこれまた非日常性の風景とそれら大作曲家達の肖像画が一体となり、なにか高貴な場所でもあるかのような威圧感を我々子ども達に与えたものです。つまり、この頃の子ども達にとって、芸術は日常生活とあまりにも乖離したところにあって、一部の特権的大人達の“私有物”のようなものだった気がします。
しかも、そのころの授業では、音楽室などはめったに使わなかったのが実態です。通常行われる音楽の授業では、担任教師の弾くオルガンにあわせて唱歌を歌うのがメインでしたが、戦後の代用教員の多い時代でしたから、オルガンを弾けぬ教師も多く、時折、専科の音楽教師が複数クラス合同の授業などを行うのに音楽教室を使っていました。なお、今では懐かしい思い出ですが、当時配布された音楽の教科書には横長の折込ページに“印刷されたピアノの鍵盤図”が添付されていて、子ども達はこの音の出ない鍵盤に指などを置いて弾くまねをするような指導を受けましたが、いつもチンプンカンプンで要領を得なかったのを思い出します。 
そんな私が自ら意識して、芸術の一端に触れたのは小学校6年生の時だったと思います。10月1日の都民の日(私が小学校1年生になった1952年に制定された祝日)に、初めて東京上野の国立博物館に一人で出掛けました。京浜急行の平和島駅から国鉄へ乗り継いで上野に一人で行くなどということはなかったことなので、ずいぶん緊張していたのを思い出しますが、都民の日には記念日を祝して売り出される河童の図柄のバッチを着けていれば、都が経営管理する施設への入場が無料になるというを知っていて、一念発起して母の許可をとり、冒険旅行にでかけたのでした。今の児童にとっては京浜急行の平和島駅から上野まで出掛けるのは冒険でもなんでもないかもしれませんが、その当時の子ども達は自分の家族の住む地域の隅から隅までを徒歩で移動しながら“野良犬の群れ”のように日々を過ごすのが通常で、電車などに乗るのは親とのこれまた非日常的なオデカケ以外はありえないような時代でした。ですから、国鉄の上野駅に降り立ち、改札を出て、大人に道を聞きながら国立博物館に到着した時はほんとうにほっとしたものでした。また、実際に“無料”で博物館に入館できるのかどうかもビクビクものでしたが、守衛の人や受付の人がニコニコして通してくれたときには、これまた嘘偽りなく安堵して、物語に出てくる西洋の宮殿のような大理石がピカピカしている館内に目を見張る思いで足を踏み入れてゆきました。
このときには実に雑多な芸術品を目にしました。今のように企画展示などという形式をとらない時代でしたから、所蔵しているものの全体がわかるようにいろいろなものが公開されていました。教科書でしか見たことがなかった飛鳥時代や平安時代の実物大コピーも含めたたくさんの仏像彫刻、はたまたさまざまな時代に製作された形状の異なる刀(特に、刀の刀文−はもん:鉄の槌で鍛えた刀を砥石で研ぎ出すと現れる文様−の美しさにはうっとりしました)、さらには風景や人物を描いた巨大な油絵(その圧倒的な迫力とリアリティーにはびっくり仰天)等々、身体全体が不思議な興奮と戦慄にも近い感動に覆われていったの今でも鮮明に覚えています。そしてこの時の体験を起点に、美術品を鑑賞するという行為が、非日常性の密かな楽しみとして自分の内なる世界に定着していったのです。
ところで、当時はいろいろな美術館に早朝割引というサービスがあって、大学生の時分は、午前中に出席する授業がない日にこの割引サービスを利用し、古今東西のさまざまな名画展を鑑賞したものです。今のようにラジオ、テレビ、インターネット等々のメディアが名画展の紹介をすると、中高年層がどっと押し寄せて、企画展を軸に、美術館を“にぎにぎしく”かつ“せわしなく”金銭的に潤すような社会の在り様ではなかったので、早朝の館内を歩く自分の靴音のみがコツコツと響く静寂のなかで、一点々々の絵画と対話でもするかのように鑑賞できたのを思い出します。また、フロアーを時折巡回してくる美術館のスタッフの方が「今は誰もまだいませんから、あなたの独り占めです。ゆっくり御覧なさい」といった意味の言葉を気軽にかけてくれたのも人情味溢れる懐かしい思い出となっています。
こうした美術に接する体験は、やがて音楽や舞台芸術に接する心の広がりへとつながっていきました。そして、このような経験の積み重ねのなかから、さまざまなモノやヒト、そして自分自身に対する観察および評価を必要に応じて行う“能力” が養えたように思えます。もちろんそうした能力は誰もが備えているものであり、大袈裟にいいたてることではありませんが、七十歳代の日々を送る今日、まったくの個人史的な懐かしさゆえに、かつての青春の日々に愛着を込め、遭遇した印象深い絵画やそれにまつわる画家の印象などを、当時を思い起こしながら散文的にメモしてみたい願望に駆られるのも事実です。
そんなたわいのない動機で、今後、ホームページに『青春反照−美術散歩』なるページを設け、気の向くおりに、気の向くままに、短文をしたためたいと計画しました。興味のある方は覗いてみてください。