香港ソウルオフの旅6/7 ソウル編
(1995/8/18)

 

【プゴク駅(富谷駅)】

 次の日の朝、いすさんと一緒に白ベコ&あらへ夫婦の宿泊しているプラザホテルに向かう。ホテルまでは少しあるがぶらぶらと歩いていった。プラザホテルは市庁の目の前にある。中に入り2階のベンチで待つことしばし、時間になったので1階のロビーに降りると白ベコ&あらへ夫婦が出てきたところだった。予定変更を告げると「それは仕方ないねー」とあっさり納得してもらえた。しかし急に変わったのでこれからどうするかを考えがてら飯を食いにナンデムンシジャン(南大門市場)へ向かうことにした。

 ナンデムンシジャンまで歩いて行き、市場の中に入る。相変わらず朝から人が多い。何か安心してしまう。中をぶらぶらして客引きに引き寄せられるように店の中に入っていく。そこでしこたま食って「鉄道博物館」に向かうことが決定された。しかも運が良ければ韓国国内唯一の狭軌鉄道に乗ってしまおうという、なんとも鉄道マニアな試みだ。ま、これには鉄道マニアとして有名な「あらへ」さんの希望がふんだんに盛り込まれているのは言うまでもないことである。香港では行きそこねたしね。 さてソウル駅に着いた白ベコ&あらへ、いすかんだ〜りあ、パイザの4人は地下鉄にてプゴク駅(富谷駅)に向かった。プゴク駅は地下鉄ではなく韓国国鉄の駅なのだが、地下鉄と韓国国鉄が相互乗り入れをしているので、そのままプゴク駅まで行けるのだ。

 韓国国内ではこの地下鉄と国鉄をまたがった鉄道を「チョンチョル」(電鉄)と呼び親しんでいる。地面 を走る部分は日帝時代(日本が朝鮮半島を占領していた時代)に多くが造られたため今でも基本的に左側通 行である。この辺にも日本の占領時代の遺物が残されていて興味深い。かの国の人々はそういう歴史の上に今も生きている訳なのだ。道路は右側通 行なんだけどね。

 さて電車に乗り込んだ頃は混み合っていたが、目的地のプゴク駅に近づくにつれだんだん空いてきた。駅に着く頃にはすっかりローカル線の様相を呈していた。駅に降り立ち、陸橋を渡って駅舎に向かう。陸橋の上から線路を眺めてみると広々とした大陸の風景に出会う。操車場があるようだ。おだやかな日につつまれて、ぽかぽかして気持ちがいい。

プゴク駅 陸橋を降り駅舎の外に出る。あぁ、何ちゅー田舎の駅なのだ。ソウルの喧噪とは全くの別 世界だ。韓国の場合、ソウルなどよりもむしろこういう田舎の方にこそ良さがあるように思える。でも観光客として韓国を訪れた場合どうしてもソウル、プサン(釜山)、キョンジュ(慶州)など大きな都市と言えるところに行ってしまいがちだ。韓国訪問がまだ初めてという方は別 として、リピーターにはこういう田舎を是非お勧めしたい。しかしそういう僕もまだそれほど地方都市を回ったことがないのだ。何とかもっと地方に行きたいと思う。

 駅の周りはよろず屋のような店がちょろっとあるだけで、ほとんど何もないと言って良かった。さて問題の鉄道博物館は何処にあるのだろう?案内図らしきものは無いようだ。仕方ないので駅員に聞いてみると、「あっちだよ」と教えてくれた。とりあえず駅員に示された南方向へ線路沿いに進むことにした。しばらくぶらぶら歩いていくと「鉄道博物館」と書かれた案内を発見。どうも間違いないようだ。さらに進むとポシンタン屋(犬鍋)があったりする。ベコさんはどうも気になるらしく、「パイちゃん食ってく?」と何度も言っていた。

 右側に見えている線路には国連の装甲車が何台も置かれていた。国境にでも運ぶのだろうか?さらにさらに進むとマイクロバスが置かれている駐車場があり博物館が見えた。バスにはガキ達が群がっていた。課外授業か何かだろう。


【鉄道博物館】

鉄路博物館 切符を買って中に入ると右側の野外に本物の機関車、客車などを展示していた。そして正面 には博物館の建物がで〜んと座っている。まずは機関車の展示をみて、写真なんかを撮ってから建物の中に入る。

博物館は入り口を入るとまず中央ホールがある。その周りの部屋には鉄道模型や小物類、写 真などの資料などがあって鉄道の歴史やその発展を見ることが出来る。もちろん日本との関係は切っても切れないもので(強制労働させてたんだもんね)、古い資料などは日本人が見ても十分理解できるものだ。ここがかつて日本の一部となっていた現実を突きつけられる思いだった。

 展示物を見て回っていて、ふと気が付くと白ベコさんがいなくなっているのだ。何処に行ったんやろ?と思っていると、何と日本語の分かる職員につかまって話し込んでいたのだ。我々も合流して話を聞くことにした。

 その日本語の出来る職員は「吉男」(キルナム)と名乗った。もうおじいさんと言って良い歳格好だ。キルナムさんは戦前は日本で生活していたそうで、鉄道の仕事をしていたとのことだ。だから日本語は達者なもの。でも韓国に旅行した人なら分かるかも知れないけど、あの独特の日本語だ。50年前の日本語を真空パックして現在に甦らせたかのようだ。恐らく戦前はあのように会話されていたのだろう。日本語研究という点でも面 白いのかも知れない。

 ところでそのキルナムさん、戦争が終わってから韓国に帰国したため、逆に韓国語が分からなくて随分苦労したそうだ。少し前に日本に旅行しに行ったそうで、その発達ぶりに驚いたと同時に物価の高さに閉口したそうな。確かに韓国の物価は日本に比べ安い。特にバス、鉄道などの移動手段は格段に安いと言える。その点をキルナムさんも指摘していた。韓国の鉄道は安くていいよと言うことなので、

「じゃ、どこがお勧め?」と聞くと

 カンヌン(江陵)からソラクサン(雪岳山)がいいよとのことだ。夜行列車もあるので、ぜひにと勧められた。僕も前から行きたいと思っている。因みにカンヌンとは朝鮮半島の東海岸に位 置している。海水浴場などで有名だ。ソラクサンはそのちょっと北に位置する韓国屈指の名勝で、山登りが大好きな国民性からも韓国人に最も愛されている観光地の一つだ。太白山脈に位 置し、大青峰(1,708m)を主峰とする山で、奇岩やら滝やら四季折々の美しい風景を誇っている。国立公園にも指定されており、ぜひ行ってみたいものだと思う。

 さてひとしきり話をした後、キルナムさんはパンフレットを持ってきて我々に渡してくれた。館内に置いていなかったので一般 的には配っていないものだ。お客様用か何かだろう。なんだか随分得した気分だ。

韓国 鉄道博物館 鉄路博物館機関車 その後、記念撮影などをしに連れだって建物の外に出る。そして門の横にある切符売り場の控え室に場所を移して引き続き話を聞いた。実は僕は前から気になっていることがあったのだが、いい機会なのでこの際、聞いてみることにした。それは蒸気機関車の『ミカ3』型の名前の由来だ。日本で言う『D51』とか『C62』のような感じで蒸気機関車の正面 に『ミカ3』とハングルと数字で書かれているのだ。韓国語で発音すると『ミカ3』は『ミカサム』となり、日本では『三笠』などと表現する人もいるとかいないとか・・・で、本当の所はどうなのだろう?キルナムさんの答えは

「昔からそうだった」

 とのことで、謎は謎のまま残ることとなった。
 しかし、日本に帰ってからいろいろ調べた結果、『ミカ3』の『ミカ』はみかど(帝)の意味らしいことが分かってきた。つまりミカドの「1型」であれば『ミカイ』となるのだ。中国の解放型(JF)が『ミカイ』だ。つまり『ミカサ』はミカドの3型で、今でも北では使っているらしい。他にも瀋陽にある『パシナ』はパシフィックの7型で、いずれも旧満鉄時代のものでその名残を名前に残しているらしい。なかなか調べてみると奥が深いのだ・・・。

 さて名残惜しいが鉄道博物館を後にして駅に戻る。お腹も空いた事だしスーウォン(水原)に行ってカルビでも食うことにする。スーウォンはカルビで有名なところだ。他に民族村などがあるけどね。

 白ベコさんが「バスで行かない?」と言い出したので近くの駄菓子屋でジュースを買いがてらバスがあるか聞いてみることにした。おばちゃんによるとバスで行くには何回も乗り換えなければならない。電車なら一本で行けるのに???という返事だった。バスはあきらめ、駅まで戻ることにする。

 電鉄でスーウォンまで移動し、駅に降り立つ。この駅も久しぶりなのだ。スーウォンは「民族村」への玄関口になっていることもあり、訪れたことがある人も多いかも知れない。かく言う僕も数年前「民族村」を訪れるためこの駅に降り立った。それ以来のことだ。因みに前回来たときは「民族村」行きのバス乗り場が駅の斜め向かいのビルにあったのが、今は駅前広場前に変更になっているようだ。ま、今回の旅には関係ないんだけどね。


【スウォン(水原)でカルビを食べる】

 さて駅からカルビの店が集まっているという食堂街を目指すことにした。ガイドブックによると八達門(パルタルムン)の奥にあるらしい。バスで移動することにした。
 さてバスの乗り場が良く分からないので人の集まっているところを探す。人がいっぱい集まってきょろきょろしている一帯があった。どうもバス停らしい。とりあえずそこでバスを待つことにした。もちろん何番のバスがその八達門に行くか分からないので、疾走してくるバスの横に書いてある路線を書いたプレートを頼りに探すことにした。八達門は有名なはずなので必ず表示があるはずだ。しかし探せども探せども「八達門」と書かれたバスが来ない。これはどう考えてもおかしい。それにちょっと気になることがあって、「ナンムン」(南門?)と書かれたバスが非常に多いのだ。もしかしてナンムンとは八達門のことではないのだろうか?地図で見ると位 置的にもぴったり来る。

 きょろきょろしているとおばちゃんが「どこ行くの?」と韓国語で聞いてきたので「パルタルムンです」と答えると、目の前に停まったバスを指差して「このバスが行くよ」と教えてくれた。あわててそのバスに乗り込む。やはり「ナンムン」とは「パルタルムン」のことだったのだ。さてナンムンでバスを降り、うろうろとする。もっと「カルビ」という看板がおどっているのかと思っていたけど、そうではなく、普通 の市場と変わりがなかった。なんとかカルビ屋を探して中に入った。

 お店は階段を上がった2階にあった。お昼時を過ぎていたこともあり、店内はがらんとしていた。なかなかの大きさで椅子席と桟敷席とが用意されていた。我々4人はとりあえず桟敷席へと向かう。

 どっかと座り込むと、おばちゃんが冷えた「ムル」を持ってきてくれた。暑かったこともあり一気に飲み干してしまう。さらにもう一杯。ふー。さてさて、ほっと一息ついたところで大カルビ大会は始められた!カルビ大会といっても、カルビ以外のキムチやら何やらの小鉢、小皿がいろいろ付くのが韓国料理の常である。その小皿にのって出てくる総菜がまた美味しい。キムチもカルビも美味しい。しかし僕は一つの小皿に釘付けになっていた。それは「トットリムック」という、ぷるぷるとした ところてん状の黒っぽいお餅のような食品だ。市場などで見たことがあって、

「どうやって食べるのだろう?」

などと思っていたのだ。韓国人の女の子に聞いてみたら

「日本の豆腐みたいにして食べます」

と言っていた。益々興味がかき立てられ、一度食べてみたいと思っていたのだ。訪韓6回目にして初めて食べることが出来たのだ。

 「トットリムック」は別に美味しいものとは言えないかも知れないけど、珍しいものだ。「トットリ」は「どんぐり」のことで「ムック」とは小学館の韓日辞書によると「ソバ・ドングリ・緑豆などの粉末をゼリー状に煮固めた食品」とある。要するにドングリで作ったところてんといったところか。しかし渋くはない。おやつとして、なかなかいけるんではないかな?ドングリの粉は韓国では食料品を含めていろんな用途に使われているらしい。日本ではすっかり廃れてしまったようだが、韓国では今でも現役だ。しかし、これがドングリから出来ていようとは普通 の日本人なら気が付かないだろう。韓国にも照葉樹文化が日本のようにあったのだろうか?興味深いところだ。

 ということで、特にベコさんと僕でぱくぱく食っていたら、それを見ていた店のおばちゃんがおまけしてくれた。日本人から

「これトットリムックでしょう?」

なんてにやにやしながら言われて、ぱくぱく食べられたなんてのは恐らく初めてだったに違いない。だからかな?それに朝鮮(韓国)語で色々話をしたので好感を持たれたからかもしれないなぁ。

 さて、たらふくカルビ、キムチ、トットリムックなどを食った4人はまた街中をふらふらとする。八達門(南門ナンムン)まで戻って観光したりする。それからさっきのバスで駅まで戻る。

 駅に着いて「鉄道マニア」の血が騒ぐ人が若干1名いたので、例の「水仁線」に乗れるかどうか確認することになった。いろいろ駅のおじさんに聞いてみたけど、どうも要領を得ない。後で分かったことだが、1日3本しか走ってなくてこの時間ではもう無理だったようだ。因みにこの「水仁線」は、僕は詳しく知らないんだけど普通 の電車より線路の幅が「狭い」特殊な線らしい。マニアには堪えられないだろうことは理解できる。また今度来たとき挑戦してみたい。

 しょうがないのでソウルまで戻ることにした。戻って何をするか何だけど、実は前から行きたいところがあったのでそれを提案してみた。「野球場」だ。韓国プロ野球をぜひ一度見てみたかったのだ。スポーツ新聞で今日の予定は既にチェック済みだ。チャムシル(蚕室)で「LGvsヘッテ」戦が行われる。
 くー、なんだか知らないけど燃えるぜ。


【蚕室野球場へ・・・】

 我々4人は韓国国鉄から地下鉄に乗り換え、チャムシル(蚕室)の野球場を目指した。「LGvsヘッテ」戦があるのだ。楽しみだ。では本題にはいる前に韓国プロ野球について解説しておこう。

 韓国プロ野球は完全フランチャイズ制をとっている。ソウル、テグ(大邱)、プサン(釜山)、インチョン(仁川)、クァンジュ(光州)、テジョン(大田)、その他 数都市に本拠地があるのだが、その地元との密着度は日本人にはとうてい想像できない。なにしろ選手は基本的にその出身地に本拠地がある球団に入らなければならないからだ。つまりチョルラナムド(全羅南道)出身の選手は自動的にチョルラナムドに本拠地のクァンジュのチームに入ることになるようなのだ。地元出身の選手ばかりのチームなので、当然地元の応援はすさまじくなる。韓国の場合、もともと地元意識が強いので火に油を注いだ格好になっているのだ。(今もそうなんだろうか? よく分かりません(^^;)特にチョルラナムド(全羅南道)が本拠地のヘッテ・タイガースとキョンサンナムド(慶尚南道)が本拠地のロッテ・ジャイアンツとの試合はものすごいらしい。

 このチョルラド(全羅道)とキョンサンド(慶尚道)の対立は百済(ペクチェ)と新羅(シルラ)の時代にさかのぼるというのだから、韓民族の執念深さは筋金入りだ。因みに百済は韓半島の西(左)側で、新羅は東(右)側にあたる。それぞれ現在のチョルラドとキョンサンドに重なるわけだ。もともと弱小国だった新羅(現慶尚道)は唐と結ぶことにより百済(現全羅道)と北の方にあった高句麗(コグリョ)を滅ぼして韓半島を統一する。西暦676年のことだ。それ以来旧百済地域の全羅道は今に至るまで差別 、虐待され続けている。

 歴代大統領も慶尚道出身者で占められており、全羅道のキムデジュンはいつまでも野党のままだ。全羅道は開発からも取り残されている。1,000年以上たってもこれなのだから、ほんの50年前のことをすっかり忘れてしまっているお隣の民族に対していらだちを覚えるのも無理のない話なのかも知れない。そういう人たちなのだという事を心に留めておくべきだと思う。お互い滅びてなければ西暦3,000年になっても謝罪要求をされ続けてるかもね。ま、これは冗談。(^^;
 そんなこんなで複雑な民族感情が入り交じって、変に盛り上がってしまう?のが韓国プロ野球なのだ。

 さてさて、本題に戻ることにしよう。
 地下鉄の駅を降りてみるとものすごい人だった。みんなプロ野球を見に行くのだろうか?中に入れるのだろうか?不安になる。階段を上がって地上に出ると、酒やキムパプ(韓国のり巻き)を売るおばちゃんが出迎えてくれる。外はとにかくものすごい人でごった返していた。とにかくとにかく、人、人、人。足の踏み場もない?と言った状況だ。どっからこんなに湧いてきたんだろうと思う。球場の中にはいるのは無理っぽい。とにかくはぐれないように気を付けて前に進む。と、いきなりはぐれてしまったがなんとか落ち合うことが出来た。

 チケット売場まで何とかたどり着いたが売り切れだった。うーん、困った。とりあえず球場を一周してみたが、どの売場も売り切れだった。球場の周りは大混乱に陥っていており、入り口付近では子供と警備員がもみ合っていた。とりあえず一服しようとキムパプを売っているおばちゃんから水を買って飲む。さてどうするか・・・。

 さてどうするか。とりあえず試合はもう始まっていた。球場の周りにはものすごい人が集まっていたが、特に中継車の周りは黒山の人だかりだった。何かと思って近づくと、テレビが置いてあってそれを見ながら一喜一憂しているのだった。試合にあぶれた人達が街頭テレビで声援を送っているのだ。う〜ん、盛り上がっているなぁ。

 とりあえずこの声援、雰囲気、そして試合をしているのが「ヘッテ・タイガース」というのが泣かせるではないか。「タイガース!」関西人の私がこの名前を聞いて燃えないわけはないのだ。東北人のあらへさんは日本でもプロ野球に触れる機会が少ないためか今一つピンと来ないようであったが、広島出身のいすかんだ〜りあさんは分かってくれたようだ。さすがに韓国に「カープ」はないようだが、野球で目の色が変わるのは関西人以上かも知れない。ソウルは「ヘッテ・タイガース」の対戦相手「LG・ツインズ」の本拠地なのだが、ここはやはり「ヘッテ・タイガース」を応援したいところだ。しかし前にも書いたように完全フランチャイズ制の韓国で、地元以外のチームを応援する人なんているのだろうか? 少し不安なのだ。なにしろ地元チームが負けた腹いせに相手チームの移動用バスを燃やしてしまうようなお土地柄だからだ。これは本当の話である。

 いすかんだ〜りあさんは台湾フリークとして有名だけど、台湾でもプロ野球を見に行ったらしい。比較する上でも見たいようだ。しかし、そういいながらも時間は刻々と過ぎて行き、試合もどんどん進んでいった。断続的に歓声が上がる。

 何とかダフ屋はいないものかと注意してみていたが、それらしい人はいない。日本なら見ただけでその人と分かる格好をして、

「券ない、券ない、券ない、券ない・・・余ったら買うよ・・・」

などと言っているのですぐ分かるんだけどね。でも白ベコさんにいわせると、

「ダフ屋がいないなんて事は絶対ない!」

と言い切るので、少し観察を続けることにした。

球場の周りの縁石に腰掛けて色々話をしているとベコさんが、

「あっ、今、券を渡したぞ!」

と、言うではないか。ダフ屋か?!
 どうもキムパプを売っているおばちゃんの中の一人がチケットを渡したらしい。まさかあのおばちゃんが?さらにおばちゃんを見ていると、3〜4人が地下鉄の入り口近くをうろうろしていて、男が声を掛けるとさっとチケットを渡している。正確に言うとキムパプを売っている人ではないようだが、区別 が付かない。

「おお、あのおばちゃん達がダフ屋だったのか・・・」

ダフ屋はおばちゃんだった。あの例の典型的韓国人おばちゃん体型であるでっぷりと太ったその腹あたりにチケットを隠し持っていて、客の求めに応じて腹からチケットを取り出すのだ。うーん、奥が深い。どうも元締めのおじさんがいるようで、おばちゃんがその周りをチームで活動しているようだった。早速、接触してみることにする。ゆっくりとおばちゃんの一人に近づいて、

「チケットゥヌン イッソヨ?」(チケットはある?)

と小声でささやくと

「マノン」(1万ウォン)

と、ぶっきらぼうに答えた。1万ウォンか。安いかも知れない。どうしようか迷ったけど今回は見送ることにした。みんな疲れているみたいだったし、試合も中盤以降にさしかかっていた。今度来たときには利用しよう。と言うことで今日のところはおとなしく帰ることにした。

 

香港ソウルオフの旅   1995年8月13日 〜 19日
第1話 香港 8月13日(日)  香港入国から宿探し 友達のホテルを訪ねる
第2話 香港 8月14日(月) HISを探して、雨の香港徘徊 夕食はグース
第3話 香港 8月15日(火) KCR(九廣鐵路)でシンセンへ
第4話 香港 8月16日(水) 朝粥のあと黄大仙、鉄路博物館、大埔、元朗訪問
第5話 韓国 8月17日(木) 韓国・ソウルへ移動 旅館探し
第6話 韓国 8月18日(金) 鉄道博物館、水原カルビ、蚕室野球場で野球観戦
>>第7話 韓国 8月19日(土) 朝風呂アカスリのあと、天安の独立紀念館へ