北京旅行記1 【中国・北京旅行記】



第1話 1993年 4月27日 ゴールデンウィーク

01さあ、北京へ・・・

 悪友と2人で中国に行こうと思い立ったのは、私の場合、あの“万里の長城”“天安門広場”に立ちたかったからでした。悪友の方は、どうも腐らない様にして一般公開してる“毛主席のミイラ”が見たかった様です。なんとも悪趣味!しかしそれが中国の奥の深さかも知れないし、なにかひかれるものがありますよね。ということで、我々二人は格安航空券を手に機上の人となったのでした。宿の予約などは全く無し。自由旅行、珍道中の始まりです。

 我々が乗ったのは、AIR CHINAつまり中国国際航空公司の922便です。大阪をお昼に出発し、北京に夜着くというやつなのだ。関西方面の人ならお世話になったことあるんじゃないでしょうか? これが“とんでもない”の始まりだったのです。

 無知というのはおそろしいもんで、私ゃこの飛行機がまっすぐ北京に行くものだと思っていました。チケットにはちゃんと大阪→北京となっているので、それ以上考えることはなかったわけです。しかし、飛行機には映画などを映し出すスクリーンがあって、地図なども表示されますよね。そこに今、飛行機が何処を飛んでいるかを示したりするわけですが、どう見ても北京に向かっていないのです。

 『なんか南の方に向かってへん、この飛行機』
 『さぁ、航路の関係で迂回しとるんとちゃうかぁ。』
 『ほんまかいな』
 『大丈夫やろ』

てな具合で高をくくっていたのですが。いよいよ中国が目前に迫り、北京に“向かってない”のがはっきりしてきました。

 『どないなっとんのや』
 『さぁ』

と言っているうちに上海に着くとのアナウンス。

 『なんや、上海経由やったんか!』 (今頃気付くか!普通!)

と、納得したところで飛行機は上海に着陸しました。

 これが上海かぁなどと感心していると、どやどやと客が立ち上がり始め、降りる準備を始めました。ところがなんと、何故か全員が降りる準備を始めたのです。

 『なっなんでや』
 『わからん???』
 『これ、北京行きとちゃうの。なんで、みんな降りるんや、ここで』
 『わからん???』

と、我々はパニクッてしまいました。そりゃ、そうですよねぇ。北京行きのチケット持って、そのつもりで飛行機に乗っているのに、上海で客が全員降りようとしている訳ですから。訳がわからず困っていると、3人がけの端に座っていた人が親切に色々と教えてくれました。その人、日く、

 1. 北京に向かう人も、一旦上海で飛行機を降りなければならない。

 2. 何故なら、上海で入国手続きをするからである。

 3. といって、上海に上陸するわけではない。空港内での手続きになる。

 4. 上海で入国手続きをした後、また、同じ飛行機に乗る。

 5. 北京に向かう人は元の座席に座れる。(当然か!)

 6. その間1時間ぐらいはかかる。  

 7. 手荷物は飛行機の中にに置いたままで良い。(ちょっと心配)

 8. 上海→北京間は国内線扱いになる。

 9. 上海で降りた客の空いた席に、国内線扱いの客が乗り込んでくる。

10. 上海で乗る客については、空いている席ならどこに座っても良い。

    つまり“自由席”である。  ←ホントかよ、おいっ!

ということでした。“10”についてはちょっと信じられなかったのですが、あとでいろいろ聞いてみるとそう珍しいことでもないようでした。こんなことで驚いてしまったとは! まだまだ青いな。ところでこの親切な人はちょうど北京に里帰りをするところだった中国人で、日本で働いているのだそうです。日本語はペラペラで、日本人と区別がつかない程でした。あぁ、いい人に出会ってよかった、と思ったパイザでした。

 しかしこのあと、危うく上海に置いてきぼりをくらいそうになるとは………。この時点では、想像だに出来なかったパイザくんでした。



02上海空港で大事件が!

 とりあえず、その中国人の言う通り手荷物を置いたまま、飛行機を後にしました。手荷物が若干心配でしたが、その中国人も荷物を置いていたので、まぁ大丈夫だろうという感じでした。

 しばらく通路を進むと、前に制服を着た女の人が立っていました。何か中国語でしゃべりながら、しおりの様な青い札を配っていました。よく分かりませんでしたが、私もその札をもらいました。

 『なんやろ、この札』
 『さぁ』
 『俺たち、これもろて良かったんやろか』
 『わからん』

と、謎の青い札(旅慣れたあなたなら、もうお分かりですよね)を手に入国手続きをすべく、カウンターの列の後ろに並びました。

 手続きを済ませたら、後は飛行機に乗り込むまで、待合室で待てば良いようでした。待合室にはパナソニックのテレビが置いてあり、太極拳の番組を放送していました。
 『中国かぁ』
と、意味もなくつぶやいてしまいました。

 しばらくしてアナウンスがあり、搭乗が始まりました。待合室にいた客はゲートの方に並び始め、我々も後に続きました。だんだん自分の番が近づいてきて、あの青い札の意味が分かりました。みんな搭乗券ではなく、あの青い札を係員に渡し、搭乗ゲートを通過していたのでした。

 『なるほど、そういうことな訳ね』
と、私もその札を出そうとして……、
 『なっ、無い〜〜〜〜っ!!!!』

そっ、そんなあほなぁ〜〜〜。確かにもらったはず。無い訳は無い。と、探しているうちに、私だけが取り残されてしまいました。ま、青い札が無くとも、搭乗券があればなんとかなるでしょう。という訳で、搭乗券を見せたのですが、
 『NO!』
一言で終わりでした。そそそそそんな〜。なんで。私は再びパニック状態になってしまいました。なぜ、搭乗券じゃ駄目なのか。必死に抗議しましたが、
 『NO!』
の一点張りでした。恐るべし中国! 融通という概念はないのかっ、と思ってみてもはじまらず、膠着状態になってしまいました。私は仕方なく、床に大の字になって寝転び、手足をばたばたさせて抗議しました。だだをこねてみたのです。するとさすがに、相手もあきれたらしく(かな?)ぼそぼそとは話し合いをした後で、搭乗券を確認した上で搭乗を許されました。 

 危なかったです。(^^;

 飛行機に戻ってみると、悪友と親切な中国人が、心配気に待っていました。とりあえずその経緯を報告し、良かったと胸を撫で下ろしたのでした。その後、北京までの間、3人で話に花が咲きました。しかし、宿の予約を取ってない事に話がいくとその中国人は、
 『えっ、本当ですか。それはまた大胆と言うか、………無謀と言うか……。』
などと、おっしゃるじゃ〜ありませんか。北京に住んでいる人に、そんなこと言われてしまって、我々は大いに弱ってしまったのでした。

 そうこうしているうちに、飛行機は北京に到着しました。タラップを降り、そのまま人の流れに沿って歩いて行き、建物の中に入りました。中にはいると、通路が二股に分かれており、その角に人が立っいました。中国語で何かしゃべって右に行く人と、左へ行く人を分けていましたが、またまた意味が分からず、例の親切な中国人の後に付いて行くと、“外に” 出てしまいました。

 『ぜっ、税関は?』
 『無かったねぇ。』

 我々は既に税関の外に出ていました。その中国人の言うには、我々が通った方は、国内線客用なので当然税関が無いのだそうです。こんな、いいかげんなのでいいのかっ、中国。ノーチェックで入国してしまったではないかっ。

 という訳で、訳が分からんうちに北京入りしたが、既に夜8時前後。外は真っ暗。電話しようにもタクシーに乗ろうにも“元”が無い。(中国の通貨のことね)エクスチェンジ(両替)しようにも銀行は黒山の人だかり。果たして、これからどうなるのか………。運命やいかに。



03北京市内へ

 電話をかけまくるなどして、とりあえず宿をキープしたいところ。しかし、エクスチェンジしようにも銀行が混んでいて、いつ自分達の順番が回ってくるか分からない状況でした。すると、例の親切な中国人さんが、

 『私が、聞いてあげましょう。』

と言って、正面にあるインフォメーション(もどき?正式のものか不明)に宿があるかどうか、聞いてくれました。しかし、答えは“わからない”でした。なにそれー、という感じですが、これが中国なのだと思いました。しょうがないので元に換金し、電話をかけまくろうかと思っていると、

 『少しお金を持ってますので、私がかけてあげましょう。』

と、例の親切な中国人さんが言ってくれたのです。“なんて親切なんだ”と、頭が下がる思いです。ここは、お任せすることにしました。

 中国ではまだ電話は貴重品で、一般の家庭にはあまり普及していない様です。(1993年当時)公衆電話もいわゆる“コイン式”や“カード式”ではなく、普通の電話が置いてあり、電話番の人が時間を計ってお金をもらうといった方式です。中国語がしゃべれない人にとって、群がる人を押し退け、その電話の受話器争奪戦に勝つのは、至難のわざだと思います。

 北京空港の公衆電話は、フロアーの一番左はしにありました。7〜8台の電話機がカウンターに並べられてあり、奥に電話番が座っていました。どうも、市外電話と市内電話が分けられているらしく、市内の方に並び、電話をかけていただきました。

 あらかじめ、泊まりたいと思っていた、竹園賓館があいていたので、そこに予約を入れてもらいました。

 それでは、移動ということになったのですが、銀行は混んだまま。どうしようかと思っていると、

 『私の家とこの旅館は同じ方向にあるので、一緒にタクシーで行きましょう。両替はホテルでできますから、とにかく行きましょう。』

と、おっしゃったのです。なっ、なんて親切なんだ。ということで、空港の建物を出ました。

 外は真っ暗で、どこにタクシー乗り場があるのか分かりませんでしたが、中国人さんがすたすたと歩いて行くと、タクシーらしき車が並んで止まっていました。(この人がいなかったら分からんかったかもしれん)などと思いながらついていくと、その中国人さんがタクシーの運転手となにやら交渉を始めました。やがて、まとまったらしく、タクシーに乗り込みました。

 タクシーは並木道をひたすら走って行きました。結構都心から離れているらしく、かなりの時間を要しました。この時になって、少し不安(この人親切やけど、本当に大丈夫やろか)になりましたが、それを察したのかその親切な中国人さんは名刺を渡し、我々を安心させようと、気を使ってくれました。

 道をくねくねと走り、旅館に着きました。朝になれば旅館で換金出来るのですが、それも出来ないので、日本円をその中国人さんに払おうとしました。すると、受取を拒んだのです。なんとか渡そうとしましたが、

 『同じ方向だから』

と、結局払えずじまいになりました。そのまま、その人とはそこで別れました。もちろん、帰国してからお礼をしました。

 こうしてなんとか、宿にありつきました。元清朝の大臣邸だった所で、きれいな庭が自慢の旅館です。

 

北京竹園賓館(BAMBOO GARDEN HOTEL:TINGSONGLOU HOTEL)
北京市西域區奮鼓樓大街小石橋胡同24號

 

 『なんとか、無事に宿に着けて良かったね』

ということで、なんとか初日を乗り切ったのでした。乗り切ってもらったというべきか。明日は、景山公園、紫禁城(故宮)などへ行くぞっ。