読売新聞大阪本社主催「第5回 旅のノンフィクション大賞」佳作入選作品 プッカンサン(北漢山)の寺を訪ねて |
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韓国の首都であるソウル市内から北の方を眺めると、奇妙な形をした岩山が見える。「プッカンサン」(北漢山)と呼ばれている山で、ソウル市の北方に鎮座している国立公園指定の名勝だ。標高がそれほど高くないわりには変化に富んだ山で、手軽に楽しめるハイキングコースがたくさん設定されており、四季を通
じて市民を楽しませてくれている。 我々一行三名は、まず「ウイドン」と呼ばれているソウル北部の街まで市内バスで移動し、そこから登り始めることした。以前、プッカンサンへの登り口があるという話を聞いたことがあったからだ。後から考えると山を登るにしてはずいぶんずさんな計画だったのだが、「まぁ行けばなんとかなるやろ」というノリで、地図も持たずにいきなりやって来てしまった。 |
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まずは看板横の緩やかな砂利道を二十分ほどぶらぶらと登っていく。すると小さな売店が現れ、その前に車が何台も停まっていた。ここまでは車が入ってこられるようだが、ここから先は徒歩のみのようだ。気を取り直して売店の横にあった山道をさらに登っていったのだが、ここからは先ほどの砂利道とはうって変わってまるでケモノ道のような細さで、木の根を足がかりにしながら登っていかなければならない険しい道だった。 登り始めて一時間ほど経ったころであろうか、木の間越しにちんまりとした建物が二つ並んでいるのが見えてきた。屋根や壁の色合いからして、お寺であるのはほぼ間違いないようだ。その建物の前でお寺の関係者らしいおじさん二人と、灰色の僧衣を着た若い男性が立ち話をしていた。この寺の修行僧だろうか? そう思いながらその横を会釈しながら通
り抜けると、お寺の建物全体が視界に入ってきた。手前の建物はよく分からないが、奧に見えているのがお堂のようだ・・・どうやらこれがヨンドクサらしい。 |
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顔をタオルで拭いながら寺の建物をじっくり見てみる。どうやら手前の建物は住居スペースのようだった。そしてその横に観音様のレリーフが彫り込まれている岩があったので、まずはそこでお祈りする。お寺を訪れたなら、見学などを始める前にお祈りするのが礼儀というものだ。 住職の話によると、昨日は「釈迦誕生日」(プチョニム・オシンナル)という韓国仏教界で最も重要な日で、このお寺でもその「釈迦誕生日」のお祭りをしていたそうだ。先ほどのおばちゃんたちはその後かたづけをしていたらしく、たくさんの洗濯物もお堂内の提灯も、その名残だそうだ。 |
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住職に従ってお堂から出て、もう一つの建物である住居の方に移動した。長屋のように部屋が一列に並んだ平屋だての建物で、その中の一つを住職が居間として使っているようだった。黄色い土壁が美しく仕上げられていて、とても清潔な感じがする。招き入れられるまま中に入った。 お茶を一緒に飲むごとに心もほぐれていき、自然にお互いのことを話し始めていた。住職は三十代の後半で、一人でこの寺に寝起きしながら寺を守っているとのことだった。当然のように独身で、仏に一生を捧げるらしい。日本と違い、韓国の僧侶は妻をめとる習慣がないのだ。仏教の成り立ちを考えてみれば当然のことだと思うのだが、日本の仏教に慣れてしまった僕には、ちょっと厳しすぎるように思えた。しかし、一生仏に仕えると決心したその心は一体どこから、どういうきっかけで出てきたのだろう。八十歳まで生きるとしても、まだ四十年以上あるのだが、僕にはとうてい想像できない世界だった。何かきっかけがあるだろうと思うのだが、結局聞くことは出来なかった。しかし、そういいながらも、お茶のような趣味を持っている。お茶に関するシンポジウムなどにも参加しているらしく、英文で書かれた研究報告のコピーなども見せてくれた。英語の方も堪能のようで、山寺の仏の道を究める住職というイメージとのギャップが激しい。僧侶としてはあくまでストイックな生き方をしながら、趣味に関してはとことんアクティブなのだ。 「今度は抹茶はどうですか?」 全員が抹茶ミルクを飲み終えると、その住職は 登山口のウイドンまで降りてくると、もうあたりは薄暗くなっており、喧噪が支配するいつもの日常が待っていた。何だか不思議で非日常的な体験だったが、どんぶりと数珠があるからには現実に違いない。
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お茶を入れてくれる住職 |