パイザの韓国旅行記

統一展望台訪問記 【韓国旅行記】




01束草 統一展望台への道

 一般の人が韓国側から北朝鮮を見ることが出来る場所は、有名なパンムンジョム(板門店)やソウル郊外の「オドゥ山展望台」など、ほんの数カ所に過ぎない。それら数カ所のうち、最も東よりで海岸線沿いにあるのが「統一展望台」だ。パンムンジョムなどに比べて行きにくいこともあり、日本人が訪れるケースはまれだ。今回、我々は付近への観光もかねてそこを目指すことにした。ちょうど日本でいう終戦記念日(韓国では光復節:独立記念日)で、降り注ぐ太陽が眩しい日だった。

 カンウォンド(江原道:韓国の東北部地域)の北部にあるソクチョ(束草)という街は北朝鮮の潜水艦座礁事件で有名になったカンヌン(江陵)よりも50キロ以上北に位置している。そして北朝鮮を望むことが出来る「統一展望台」はそのソクチョ(束草)よりもさらに北の休戦ライン近くに造られている。

 前日にソクチョ入りし、朝から友人2人(白ベコ・あらへ)とバスに乗って、今まさに北へ北へと移動している最中なのだ。昨日はまる1日かけてソウルからやってきた。距離的にはたいしたことないのだが、高速道路が大渋滞。バスに6時間以上揺られてしまった。

 統一展望台に行くには、まずソクチョ市内から路線バスで「統一展望台行きシャトルバス」乗り場まで行かなくてはならない。そこでバスを乗り換えるのだ。統一展望台は民統線(「民間人はこれより先には行けないよ」っていう線)より北にあるため、厳重な管理の元でようやく訪問を許されるというわけだ。もちろん自家用車で行くこともできるが、その場合でもそのシャトルバス乗り場で一旦下車して、人数等の申請をし、ある種のビデオを見て初めて訪問が許される。

 ソクチョからの路線バスはものすごくローカルでのどかだ。信じられないかも知れないけど、ソクチョから北にも海水浴場がたくさんあるのだ。もちろん町もある。民家もある。民宿もある。人々の生活が確かに感じられるのだ。ただ違和感があるとすれば海岸線に沿って金網があることぐらいだろう。海水浴に行くにはその金網を越えていかなければならない。その金網には所々に入り口が設けられていあり、泳ぎに行くときはそこを通 って海岸まで出るのだ。その入り口も、昼間は開け放たれているが夜になると閉まるという。

 ソクチョから北にも「大津」「巨津」など、比較的大きな町があった。名前から想像できるように漁港である。ソウルなどの都会とは違う典型的な韓国の田舎町のたたずまいを見せている。特に変わったところは見られない。しかし注意して見ると、軍艦らしき船がさりげなくいたりする。そういったものも何故か日常にとけ込んでしまっているのだ。

 バスはいくつかの街を越え、川を越え、海水浴場を越えていく。途中、キムイルソン(金日成)の別荘跡があるという湖の横を通過するが、それらしいものは確認できなかった。

 バスに揺られて車窓に目を投じていると、突然何もないところにバスが急停車し、運転手が我々に向かって「降りろ」と言い出した。えっ、えっ、えっ? 話を聞いてみると、どうやら「統一展望台行きシャトルバス乗り場」を行きすぎてしまったらしい。バスに乗り込むときに「統一展望台行きシャトルバス乗り場」に行くのかどうか確認をしたので、それを行きすぎてから急に思い出したのだろう。仕方なくバスを降りて、強い日差しが降り注ぐ中、バス道を引き返した。我々以外にも子供連れの夫婦がバスを降りた。同じく統一展望台に行くようだ。











北へと向かう


さびしい風景が続く。。。


02統一展望台行きシャトルバス乗り場

 「統一展望台行きシャトルバス乗り場」はすぐに見つかった。大きな駐車場があって、自家用車がたくさん停められていた。駐車場から階段を上がっていくと受付・切符売り場とかなり大きな土産物屋があった。早速受付に行って聞いてみると、もうすぐシャトルバスが出るとのこと。とりあえずチケットを3枚購入する。それにしても英語すらも通 じるかどうか怪しい雰囲気だ。当然外国人の姿も皆無のようだった。そもそもソクチョまで来るのにかなりの時間がかかるし、そこから50キロ近くも北上しないといけないわけだから、かなりの「モノ好き」しか来ることはないのだろう。

 バスが来るまで土産物屋を冷やかすことにする。土産物屋にはトンへ(東海:日本海)名産のイカから展望台がらみのグッズまでいろいろなものが売られていた。店のおばちゃんに勧められるままに、ついペクトゥサン(白頭山:中国名長白山)のTシャツを買ってしまう。展望台のビデオもあったので購入する。

 シャトルバスは予定より30分ほど遅れて現れた。バスには我々の他に何人か乗り込んできて3分の2ほどが埋まった。そして出発した。

 シャトルバスから景色を見ていて驚いたのだが、この「統一展望台行きシャトルバス乗り場」より北にも「海水浴場」が存在するのだ。路線バスが走っていったということは、やはり人も住んでいるのだろうし、あってもおかしくはないのだが・・・。当然のように民宿(韓国ではミンバク:民泊という)もある。いやはや。

 さらに先に進むと、民統線が現れチェックされる。バスの場合はほぼ素通りだが、自家用車はここで書類を提出しなければならないようだ。それからさらに進んでいき、北から攻められたときに瞬時に道をふさぐようにコンクリートの固まりを配置したゲートをいくつかくぐっていくとその先に展望台が見えてきた。



シャトル乗り場の休憩所




03展望台へ・・・

 展望台下には巨大な駐車場があって、すでにかなりの自家用車、バスなどが停まっていた。バスの運転手から帰りの時間を告げられ、バスを降りる。帰りのバスに乗り損ねるとちょっとどうなるか分からないので、注意が必要だ。韓国語が出来ないとかなりつらいのではないだろうか?

 駐車場から長い長い階段に向かい、ゆっくりと登っていく。日差しが眩しい。これは汗をかくなぁ。改めて階段を見てみると、それはまるで天に昇って行くかのごとく上に向かって伸びていた。その階段を一歩一歩踏みしめながら登っていく。階段を登りきると展望台の建物があった。脇には簡単な売店などもある。振り返ってみる。あぁ、景色がとっても良い。しばし休憩。眺めをしばらく堪能した後、とりあえず建物の中にはいることにした。

 建物の中はまず展示スペースがあった。北朝鮮のものなどを置いておりソウル郊外の「オドゥ山展望台」などとパターンは一緒なのだが展示しているものは、比較的良心的(?)だ。ここでまず北に対する知識を植え付けてから、展望台に向かうといった案配だ。しかし展示スペースは「オドゥ山展望台」と比較すると、かなり小さい。こちらの方が古い施設なのでしょうがないのかも知れない。

 階段を上がって外に出ると・・・・北朝鮮の大地が目の前に広がった。ただただ山河がそこにある。そう言った風景だった。よく見れば人工物もあるのだが、韓国側から続く海岸線は当然のように北朝鮮に向かって続いていて、それを区切ったり仕切ったりする明確なものは何もなかった。風が吹き、波の音がするだけだ。とても不思議な感覚だった。天気も良く、夏にしては緯度が高いためか比較的涼しく、いつまでも眺めていたい気分だ。

 基本的に撮影禁止なのだが、韓国人観光客はそれを気にとめることもなく記念写真を思い思いに撮っていた。そしてそれをとがめだてる雰囲気もなかった。そういうものなのだろうか? 特に重要な軍事施設もなさそうだし、そういう時代でもないのだろう。

 白ベコさんが双眼鏡を持ってきていたので、北をよく見てみることにする。ソウル郊外の「オドゥ山展望台」の場合は、ケソン市(開城市)も近かったし、宣伝用と思われる北朝鮮の街が見えたのだが、こちらはそのようなものは見えなかった。山・海・柵が見えるばかりだ。しかしよく見ると看板が立っていて、そこには「セグムオンヌンナラ」(税金のない国)と書かれてあった。双眼鏡がないとちょっとつらいほど遠くて小さい看板だ。

 しばらく景色を堪能して、帰途につく。間違えないようにバスに乗り込み、人数がそろったところでバスは帰り道を急ぎ始めた。




展望台への階段


遥か遠くに北朝鮮が見える

04展望台近くの海水浴場

 帰りに時間があったので「統一展望台行きシャトルバス乗り場」の近くの海水浴場に寄ってみた。金網の入り口から中にはいると、多くはないが海水浴客が思い思いに楽しんでいた。白い砂浜できれいな海だった。Gパンの裾をめくって海に入ってみる。緯度も高く日本海のためかちょっと冷たかった。そのまま砂浜に座り込んで風にふかれていると、時間の経つのも忘れてしまう。

 本来このあたりは長い砂浜が続いて絶好の海水浴場地帯なのだ。しかしそれを人の手で分断してしまっている。この海の水も、砂浜も、風も、もともと一つのものなのだ。香港と中国の境界線に立ったときにも感じたのだが、大地に線を引くことが一体どういう意味を持つものなのか、未だに良く分からないのだ。

 砂浜には子供たちの声がこだましていた。日の光を浴びながら風にふかれていると、海岸を囲み分断している「鉄」と「心」の「二つの柵」を早く取り除くことが出来れば、と思わずにはいられなかった。


統一展望台訪問記 (了)
1996年8月15日






砂浜に座るパイザ氏

番外2009年1月追記

 この旅行記は、1996年当時の模様を書いている関係上、展望台への具体的な行き方についてはかなり変わっている可能性があります。韓国観光公社、束草の観光案内所等で確認してから訪問することをお勧めします。

 従いまして、まだ韓流が影も形もなかった時代の「アーカイブ旅行記」として、この旅行記をお読みいただき、お楽しみいただければ幸せに思います。
 この旅行記以外にも、1990年代中盤の旅行記を数多く掲載しております。現在と見比べていただくことによって、いかに韓国が変わってきたのか、その変化のスピード感、凄まじさも感じることが出来るのではないかと思います。
 また、2000年代に入ってからの旅行記もあります。そちらでは、旅行中に韓国の変わりようについて驚いたり、場合によっては惜しんだりしております。そのあたりの心の動きなども丁寧に書いたつもりですので、韓国情報topのページに戻っていただいて、お選びいただければ幸いです。(管理人敬白)




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