トルコ旅行記10 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】

 

【今までのあらすじ】

友人の久保君とトルコ旅行に出かけたパイザ氏。初日は体調不良でつまずいたものの、2日目からイスタンブール市内観光に精を出す。3日目にカッパドキアへ移動。宿泊地のオルタヒサール村内を散歩中、変な老人に呼び止められ、なぜか電話工事を依頼されるが、無事修理を果たした。4日目はカッパドキアの北部の見所のギョレメ野外博物館、ウチヒサール、Pigeon's valley、Mong's valley、アヴァノス、ゼルベ、絨毯屋などを訪問。久保が絨毯を購入した。5日目はカッパドキア南部の旅に。デリンクユの地下洞窟都市探検ではまさにインディージョーンズの世界が展開されるのだった。その後、カルデラ湖の Nargoluを経由してウフララ渓谷へ。韓国人のカップルに会ったりする。そしてアドベンチャーなハイキングを楽しむ。メシを食った後、シルクロードを通ってキャラバンサライ(昔の宿場後)を訪問。ホテルへ戻った。ツアーも終わり、ネヴシェヒールへ食事を夕食をとりに行こうと画策するパイザ君だったが、ホテルのロビーで従業員とすっかり話し込んでしまった。


第10話
1997年7月9日 第5日目 ヒッチハイク編

【ネヴシェヒールへ・・・ヒッチハイク敢行】

 さてすっかり話し込んでしまい、時間があっという間に過ぎてしまった。しかしあんまり遅くまで話していると、バスがなくなってしまうかも知れないので、この辺で切り上げてバス通りまで出ることにした。

 そのバスが通る大きな通りまでは、歩いて20分近くかかった。それらしい通りが見えてきたのでバスを待ってみる。それにしてもバス停らしきものは何もない。田舎のバスだからバス停なんてものはないんだろう。適当に止まるんだろう。僕はそう思ったのだが、久保は何か納得いかないようで遠くの方にまで探しに行ったが、結局ないようだった。

 そしてしばらく待っていたが、一向にバスの来る気配がない。それに問題なのは、路線乗り合いバスが「どんな色と形と大きさをしているのか」が、さっぱり分からなかったことだ。時折バスが走ってくるのだが、どうもそれはツアー用の団体バスで、路線バスとは違うようだった。

 これは困った。もしかしたらもう終了したのかも知れない。終了したら、もう公共の交通機関は利用できない。ヒッチハイクするしかないか・・・・。ガイドブックには、わりと簡単にヒッチハイク出来ると書いてあったので、やってみようか・・・。そんな話を久保としていると、一組のトルコ人親子がこちらの方に歩いてきた。小学生くらいの男の子と、そのお父さんだった。お父さんは髭を生やしたその顔でこちらをじろっと睨んだあと、僕らと同じ場所に立った。もしかしてバスを待っているのだろうか? もしそうだとすれば、地元民がしているわけだから一緒に待っていれば乗れるかも知れない。

 しかし・・・・バスは一向に現れなかった。すでに日は西に傾き、あたりは薄暗くなり始めていた。それに気温も下がり始めた。これはやばい。でもその親子もバスを待ち続けているので、ヒッチハイクをするかどうか判断に迷うところだった。ちょっとしびれが切れてきたので、その親子に「バス? ネヴシェヒール?」と聞いてみるとうなずくので、やはりそうみたいだ。

 しかし、もうバスを待ち続けて1時間半が経とうとしていた。シュレイマン君によると「バスは1時間に1本くらい」ということなので、もうこれは終了したと判断することにして、ヒッチハイクに打って出ることにした。

 ヒッチハイクといえば、やはり猿岩石を思い出してしまうのだが、僕らにもうまくできるだろうか? そういえば猿岩石は行き先を書いた紙を持っていたけど、僕らにはそんな気の利いたものはない。仕方ないので、とにかく「親指を立てる」でトライしてみることにした。でも、猿岩石のテレビでは1時間も2時間も、場合によっては何日も止まってくれなかったりしたので、ちょっと不安が先に立っていた。

 このカッパドキアは何回も書いているとおり、車の数が少ない。幹線道路にもかかわらず、2〜3分間に1台程度しか走ってこないのだ。1台目を待つ・・・・お、かなたから近づいてきた・・・・よしよしこっちに向かってくる・・・・そして勇気を出してアタックしてみた・・・。でもその車はすでに何人も乗っていたようで、止まってくれなかった。仕方ない。そしてそのあともパラパラと車が来るのだが、意外にたくさんの人が乗っている場合が多く、少人数で乗っている人はほとんどなかった。

 そして遠目からでも二人しか乗っていない車が走ってきた。よし2回目のトライ。そして道路に身を乗り出すようにして手をあげると・・・・あっさりと止まってくれた。おお、なんということだ。簡単だという噂は本当だったのか。

 その車には中年のおじさんと、その奥さんと思われるイスラムのベールをかぶった女性が乗っていた。早速話しかけてみる。しかし、その車はウチヒサールにいく車だった。ウチヒサールは、今いるオルタヒサールとネヴシェヒールの中間点だ。ネヴシェヒールをやめてウチヒサールでもいいかと思ったりもしたけど、こんなにあっさり止まってくれるのなら、ネヴシェヒール行きもつかまるだろうと思い、その車にお礼を言って、もう少し粘ってみることにした。

 それからは要領も分かったし、調子も出てきたのでどんどんアタックしていった。しかし驚いたことに、ほとんどすべての車が何らかの反応してくれるのだ。たいていは「人数がいっぱいでもう乗れない」といった感じで減速して「ダメ」というポーズを示してくれたりする。これは思った以上にヒッチハイクしやすい環境のようだ。

 そして間もなくして車が止まってくれる。するとなんと!! 僕らより先に一緒に待っていた例の親子がその車に駆け寄っていったのだ。おいおい! その車は僕らがヒッチしたんだぞ! しかしその親子はすでに運転手と交渉を始めていた。そして車にどかどかと乗り込んで、僕らにも乗れというのだ。おいおいそれは逆だろう。そう思ったが、もう完全に主導権を握られてしまっていた。たまたまその車は運転手一人しか乗っていなかったので、4人乗り込むことが出来たのだ。まぁ、いいか。乗れたんだし。そして車は快調に走り出した。

 そのおじさんは、ちょうどネヴシェヒールに戻るところだったようで、英語も少し話すことができた。僕らが日本から来たことを告げると、興味深そうにしていた。しかし親子の方はというと押し黙ったまま、窓の外、遠方を眺めていた。

 日没になり、あたりはかなりうす暗くなってきた。遠くに街の灯が見えてくる。ウチヒサールだ。ウチヒサールの砦がぼうっと浮かび上がって見えた。幻想的な風景だ。そしてそのウチヒサールを右手遠くに見ながら車は走っていき、ビルの建ち並ぶ街へと入っていく。ネヴシェヒールのようだ。そして適当なところで降ろしてもらった。運転手にお礼を言うと、その車は親子を乗せたまま走り去っていった。


【ネヴシェヒール到着】

 さて・・・・。ここはネヴシェヒールであることは間違いないのだが、今いるところが街のどこなのかさっぱり見当が付かなかった。地球の歩き方の地図を見てみが、全く分からない。とにかく目印になるものを探さないと。そう思って歩いているとバスターミナルのようなところに出た。なるほど、運転手さんはここに行くのを想定していたんだ。そう思って地図を見てみると、街の中心地近くターミナルが見つかった。多分今いるところは、ここなんだろう。そしてターミナル付近にある郵便局などを確認して、場所の特定をした。場所が分かったので、ぶらぶらと歩いて繁華街まで行くことにした。

 カッパドキアの中心の街といってもそんなに大きいわけでもなく、繁華街までは歩いてすぐに行けた。街はすっかり暗くなってきて、商店の明かりが煌々と光っていた。

 僕は、とりあえずメシを食う前に電池を買っておきたかった。それもカメラ用の特殊な電池だ。実はバッテリー切れのサインが出ていたのだ。街に出ていこうと思ったのは、そういう意味もあったのだ。そしてカメラ屋さんはすぐに見つかった。

 カメラ屋に入り、電池を探してみる。それはちゃんと売られていた。よしよし。早速それを購入しようとしていると、不意に奥の方からチャイの小さなコップを持った中年男が現れて、笑いながら久保の方に声をかけて来た。「Hey you!」ってな感じでだ。???何なんだこのおっさん? そして握手を求めてくる。いったい何者なんだ? そう思ってよく見てみると・・・・なんとその男は「ムスタファー」だった。覚えているだろうか? 昨日、久保が絨毯を買ったあの絨毯屋で主人の手伝いをしていた男だ。しかし、何でムスタファーがカメラ屋でお茶飲んでいるんだ?これはいったいどういうことなのか分からないで混乱していると、ムスタファーは、

「さぁ、カーペットショップに来てください。お茶をお出しします」

と英語で話しかけてきた。この男、なかなか達者な英語をしゃべる。いやしかし、そんなことはどうでも良くて・・・・カーペットショップったって?・・・・そう思いながら電池を購入し、カメラ屋を出てみると・・・・なんと! 3軒隣が昨日の絨毯屋だったのだ。何という偶然だ。

 早速絨毯屋に入ると、主人が出迎えてくれた。そしてすぐにお茶を出してくれる。主人は久保にに向かって言った。

 「昨日カーペットを買ってくれたあなたは、私のお客さんだ。ゆっくりとしていってくれ」

 どうやら商売は抜きらしい。そして僕らが夕食を食べに出てきたことを話すと、その絨毯屋の主人は少し考えてから付け加えた。

「どうせなら、ハマムに行ってきたらどうだ? ハマムには行ったか?」

「ええ、イスタンブールで行ってきました」

「そうか、どうだったか?」

「ええ、良かったですよ。マッサージもしてもらいましたし」

「そうか、良かったか。それから、ネヴシェヒールにもハマムはあるぞ。いいぞ。ここのハマムは何百年も前に建てられた伝統のあるハマムだから、ぜひ行ってみるといい。場所はムスタファーに案内させるから」

ムスタファーも大きくうなずきながら言った。

「まずはハマムに行ってから、夕食を食べるといいネ。夕食を食べてからハマムに行くと、オエッと吐きそうになるからネ」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ、オエッとなるんだよ」

ムスタファーと絨毯屋の主人はお互いに顔を見合わせて大笑いしていた。

「お茶を飲み終わったら、まずはハマムだ。ハマムの主人は知り合いだし、頼んでおくよ。その次に食事に行くことにしよう」

 何だか知らないうちに、我々の行動はスケジュール化されていくのだった。お茶を飲み終えた僕と久保は、ムスタファーと一緒にハマムに向かった。ハマムにはもう一度行きたいと思っていたので、ちょうど良かった。イスタンブール以外のハマムにも興味があるところだったので、本当に渡りに船だ。ただ、本当に大丈夫なのか? 最終的にぼられたりしないだろうかという不安が、やはり少しあったのも事実だ。このパターンで過去ぼられたことがあるので、少しナーバスになっていたのかも知れない。


【ハマムへ】

 もうすっかり日の暮れてしまったネヴシェヒールの街を3人で歩いていく。もともと人通りは多くないのだが、夜ともなるとよけいに人通りがまばらになっていく。それに日本と違って、トルコの都市は暗い。それに田舎町なのでよけいに暗いのかも知れない。ムスタファーはそういう僕らの不安な空気を察したのか、いろいろと声をかけてきた。彼は見かけは40そこそこのようなのだが、実は50歳代ということだった。そして普段から体を鍛えているらしく、その体つきを自慢していた。そして小学生の時から絨毯屋に入って、絨毯屋一筋で働いてきたらしい。誇りを持っているようだった。それに海外で暮らしたこともあるらしく「イタリア名も持っているんだ」などと話していた。なるほど。郷にいれば郷に従え方式で、現地の人の発音しやすい通名を持つわけだ。これは案外いい考えかも知れない。というのも、トルコに来てからさんざん名前を聞かれたのだが、本名を言っても何回も聞き返されるし、ちゃんと発音してくれないし、いささかうんざりしていたのだった。

 余談になるが、僕の経験した範囲ではあるが、トルコ人は初対面の人と話を始めるときは、必ずと言っていいほど「私は*****といいます。あなたの名前は?」と切り出してくる。名前を名乗りあって初めて会話が始まるような感じだった。日本人同士の場合は、旅先で出会ったときなど名前を名乗りあわなくても十分会話を続けることが出来るし、情報交換も行ってしまう。「どちらから来られたんですか?」とか「どこに行かれたんですか?」とか、そういう会話に終始する場合が多い。ところはトルコではそれが通用しない。まずは名前だ。だったら、僕らもトルコ風の名前を考えておこうか?そうするとスムーズかも知れない。

 そんなことを思いながら、坂道を上っていくと小さな表示が出ているのが見えた。ハマムの入り口だ。ううむ、こんなに小さな表示しかないとは・・・。これは連れていってもらわない限り見落としてしまうだろう。

 そしてムスタファーを先頭に中に入っていく。すると電気が消えていた。もう終わったのかと思ったら店の主人が現れて、電気をつけてくれた。イスタンブールで行ったハマムよりはずいぶんとこじんまりとしていた。でも、基本的な構造は同じで、入り口を入ると大きなホールがあり、壁に沿って「着替え用の部屋」が並んでいた。ロッカー兼用だ。部屋には2〜3人入れるようだった。

 ムスタファーがハマムの主人にいろいろと話をしてくれ、入浴料を払う。そして着替え用の腰巻きをもらい、「着替え用の部屋」で腰巻き一丁になった。

 そして二人して蒸し風呂の中に入っていく。中の様子はイスタンブールのハマムとほぼ同じで、円形のホールの中央に、これまた円形の台があり、そこに寝そべるというかたちだ。当然のように洗い場はない。全体的にイスタンブールより少し小振りだった。でも10人くらいは寝そべることが出来るくらいの大きさはあった。

 電気が消えていたことからも分かるとおり、客は僕らしかいなかった。二人で円形の台の上に寝そべって天井を眺めながら話をしていると、不思議な気分になった。小一時間前にはオルタヒサールの道路で来ないバスを待っていたのが、気が付いたら予定外のハマムに寝そべっている。偶然に偶然が重なったわけだが、だから旅は面白いのだ。

 しばらく寝ていると先ほどの受付にいたおじさんが、腰巻き一枚を巻いて現れた。そして、僕を蒸し風呂の外にある洗い場の方へ連れて行って、マッサージをしながら体を洗うのだ。これがまた強烈で、体中の筋を一本一本限界までのばしていくかのような感じだった。すっかり気持ちよくなっていたのだが、そのおじさんはいやな話を始めだした。

「エクストラマッサージ・・・・10ダラー・・・・OK?・・・」

ムスタファーに話をしてもらったので、こういうことがないと思っていたのだが、やはりイスタンブールと同じだ。それに10ドルとは、いかにもなめている。全く、これだけはなんとかして欲しい。

 いやな気分のままマッサージが終わり、外の受付前のホールにに出た。すると、体を拭く係りの人が来て、体を拭いてくれる。そして例によってバスタオルで体をぐるぐる巻きにしてくれた。そのあと、壁際に設けられた木でできた長椅子に座って、チャイを飲んだ。これはサービスらしい。

 しばらくお茶を飲んで休憩し、先ほどの着替え用の個室に戻る。着替えを終わって外に出てみると、久保がマッサージを終えて出てきたところだった。

 早速、チャイを出されている久保に「10ドルとか言われなかった?」と聞いてみたら、久保は言われなかったらしい。僕が無視し続けたから言われなかったんだろうか?しかし、それにしてもハマムのアカスリおじさん達の態度には腹が立つ。なんだか「ぼられ」の罠にはまりつつあるんだろうか? 正しい冷静な判断が出来なくなってきた。騙されているんじゃないかという感じがし出すと、これはもう止めようのない堂々巡りにはまってしまう。

 久保は、「とにかくムスタファーが来たらはっきり言ってみたほうがいいんじゃないか?」と言った。やはりその方がいいみたいだ。

 そのうちムスタファーが現れた。そして久保がさっきの「10ドルの話」をすると、「それはおかしい。そんな金払わなくていい」と答えて、アカスリおじさんに抗議してくれた。ううむ、騙されていたわけでもなかったわけだ。


【ムスタファーとの夕食】

 ハマムを後にして、今度は夕食を取ることになった。しかし、すでにハマムでかなりの時間を費やしたこともあって、主だった店はすべて閉まっていた。かなり歩き回って閉まりかけのスタンドに飛び込んだ。そのスタンドの主人はムスタファーの知り合いのようだった。そしてお馴染みというか、これしかないという「ケバブ」のトーストサンドを食べる。しかし、この地方にはケバブ以外の飯はないのだろうか? あるのかも知れないが、結局見ることはなかった。

 メシを食い終わる頃になると、ムスタファーが「アイランを飲まないか?」と言ってきた。トルコではポピュラーなヨーグルト飲料だ。ものは試しにと飲んでみると、なんと「塩味の」ヨーグルト飲料だった。見かけはヨーグルトシェイクか白いミルクセーキなのだが、味の方は塩味。想像とのギャップに耐えられない日本人も多いかも知れない。しかし、もともとヨーグルトは酸っぱさはあるにしても「甘くはない」わけで、甘くしてデザートにしか使わない日本のやり方は偏っているのかも知れない。(もちろん料理に入れるやり方は日本でもしますが・・・)でも逆にトルコ人が日本でヨーグルト飲むと驚くだろうなと思う。豆腐や納豆に砂糖入れて食べるみたいなもんかも。

 食事が終わる頃、ムスタファーが「ディスコ」に行かないかと誘ってきた。ううむ。彼の場合は身元が割れているし騙されると言うことはないと思うが・・・しかしお断りすることにした。明日朝から移動しなければならないという理由もあるし・・・。やはり、この旅行の前に韓国でぼられていたので、少し防衛本能が働き過ぎたのかも知れない。旅としては積極的に飛び込んでいった方が面白いし、旅行記としても「ぼられたか・ぼられなかったか」にかかわらず、ついていった方が面白いだろう。でも、ここは引いておくべきだと考えたのだ。

 とにかく、ぼられる時ってのはあとから考えるとある種「一線」ってのが存在していて、そこを境に転げ落ちていくものだ。逆にその「一線」の手前までは安心していいとも言える。今回の場合は、もしぼられるパターンだとすると、この食事とディスコの間に「一線」が存在するのだ。ここまではOK。でもディスコに行ったあとにどういう展開が待っているかは、全く分からないのだ。

 韓国でぼられたときも、一緒に食事するところまでは問題なかったが、カラオケについて行ってぼられてしまった。必ず安心させといて、落とす。その安心させておくところで止めておくのが重要だし、そこまでは逆に楽しまないと損かも知れない。

 ぼられたことを旅の肥やしにするという手もなくはないのだが、やはり気分のいいものではないし、命にかかわりかねない。「君子危うきに近寄らず」なのだ。

 そういうわけで絨毯屋まで戻ると、店の主人が「タクシーを呼んでやるからそれで帰りなさい」とタクシーを呼んでくれた。これは信用していいだろう。というか、道で拾うよりは遥かに安全だし信用できる。間もなくしてタクシーが現れる。そし

て店の主人は、

「このタクシーの運転手は俺の知り合いなので、通常よりも安く行ってくれるように言っておいたから」

と言ってくれた。これはありがたい。そしてムスタファーと主人に別れを告げ、タクシーに乗り込んだ。

 タクシーは漆黒の闇の中を、ぐんぐんスピードを上げながら走り出した。もう夜も遅くなってきたこともあって、ネヴシェヒールとオルタヒサールの間はほとんど車が走っていなかった。田舎道を高速道路のように走っていく。

 ずっと黙っているのも何なのでタクシーの運転手に話しかけてみると、英語を少し理解できるようだった。そこで僕らが泊まっている「ホテルブルジュ」について聞いてみたら、この辺では結構有名な、いいホテルということだった。やはり高級なんだろう。ツアー料金の一括払いだったので、1泊いくらか?というのが分からないのが残念だ。運転手は引き続いて、この辺りの説明もしてくれた。純朴そうな人だった。

 そしてタクシーはホテルに到着した。絨毯屋の主人が言っていたとおり、かなりまけてくれた。いい人だった。トルコ人達を少し疑いすぎたかな、と思った。ま、でも旅をしていく上で、仕方のないことだ。

 ホテルに戻って荷物の整理を始める。明日はカイセリまで自力で移動して、飛行機でイスタンブールまで戻るのだ。今までが久保的旅だとすると、今からが僕的旅と言うことかも知れない。・・・楽しみだ。

 

 

 

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