トルコ旅行記11 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】

 

【今までのあらすじ】

友人の久保君とトルコ旅行に出かけたパイザ氏。3日目にイスタンブール経由でカッパドキアへ。宿泊地のオルタヒサール村内では、変な老人になぜか電話工事を依頼されるが、無事修理を果たした。4日目にはカッパドキアの北部の見所であるギョレメ野外博物館、ウチヒサール、Mong's valley、ゼルベ、絨毯屋などを訪問。久保が絨毯を購入した。5日目はカッパドキア南部の見所である地下洞窟都市デリンクユ、ウフララ渓谷などを訪問。アドベンチャーなハイキングを楽しみ、シルクロードを通ってホテルへ戻る。そのあとヒッチハイクでネヴシェヒールへ移動し、そこのカメラ屋でなんと!あの絨毯屋のムスタファーに偶然再会。そして絨毯屋の主人の言われるままにハマムへ行く。さっそくアカスリをしてもらうが、案の定「エクストラマッサージ?10ダラー?OK?」と声をかけられる。気を取り直して食事を済ました。タクシーで送られてホテルに戻る。さて、今日は朝から移動だ。カッパドキアを去る日が来た。


第11話
1997年7月10日 第6日目 カッパドキア脱出編

【オルタヒサール村 探訪】

 さて、今日はカイセリ経由でイスタンブールへ移動する日だ。予定としては、まず中継地点であるユルギュップまで出て、そこから長距離バスでカイセリに向かうのだ。ここで問題なのは、カイセリ市内に自力で出て行くのは初めてなので、その長距離バスがカイセリ市内のどこにつくのかよく分からないこと。そして市内から空港までどうやっていけばいいのか、全く分からないことだった。行きは空港からツアーの送迎を受けたので、この辺の情報が決定的に抜けていたのだ。そもそもカイセリ市内の地図にしても「地球の歩き方」のせこい地図しかない。

 久保はこういう状態になるのは初めてなのか、少し緊張しているように見えた。ま、なんとかなるもんだから、気楽に行こう。実際、飛行機に乗り損ねても大丈夫なように日程を組んでいたので、それほど気にならなかった。その気になればバスで移動してもいいし。 

 朝から移動するわけなのだが、その前に一仕事することにした。それは僕らが宿泊している「オルタヒサール村」にある砦に行くことだ。前にオルタヒサールの「ヒサール」がトルコ語で「砦」を意味していることを書いたと思う。そして岩山をくりぬいて造った砦があることも書いたと思う。以前、その砦に行こうと近辺を散歩したことがあるのだが、例の「ハッサン氏」につかまってしまい、電話工事やら時計の修理を依頼されてしまって、結局行きそびれていたのだ。それで出発の朝に登ることになったのだ。

 それから砦に行くのにはもう一つ目的があった。これも前に書いたと思うが、砦の前にはモスクやら広場があって、街の中心となっている。どうやらバスがそこから出ている形跡があるのだ。昨日は、結局そこではなくて幹線道路まで出ていって失敗したので、本当にバスが出ているのかどうかを確かめるわけだ。 

 とりあえず朝食をとり、散歩に出かける旨フロントに言い残してホテル前の坂道を下っていった。チェックアウト時間までは、まだある。じっくりと見て回ることにしよう。今日も天気が良く、朝だというのに、もう太陽が照りつけるのを感じていた。

 途中に郵便局があったので、絵はがき用の切手などを買う。ついでに久保の購入した絨毯を日本まで送れるかどうか聞いてみたが、無理のようだった。やはり抱えて移動するしかないようである。 

 坂を下りきるとそこが広場になっていて、正面に「オルタヒサールの砦」(写 真:手前の塔はモスク)が見えた。巨大な岩山だ。そして広場には予想通りバスがとまっていた。早い時間(多分、お昼過ぎか夕方ぐらいまで)ならば、この広場から各地へバスが出ているようだった。バスの行き先は「ユルギュップ」になっていた。パーフェクトだ。 

 バスも確認できたので、早速岩山の砦に登ることにした。砦の入り口に行くと、まだ閉まっていた。開館時間なのにおかしいなと思っていると、おじさんが現れてドアを開けてくれた。どうやら、こんな朝っぱらから来るやつはいないらしい。

 早速チケットを買い、岩山を登り始める。規模としてはウチヒサールよりも少し小さいようだ。それから、ウチヒサールの場合は岩山の表面、つまり普通の山を登るようにして上がっていくのだが、オルタヒサールの場合はくり抜かれた岩の中を徐々に上がっていく感じだ。こちらの方が面白い。

 程なくして岩山の山頂に到達した。こちらも360度のパノラマが楽しめる。眼下には先ほどの広場やホテルブルジュなどが見て取れる。ホテルと反対側にあるハトの巣をつくった谷も見えた。そして遠くにはウチヒサールの砦も見えた。そして・・・ハッサンの家も見えた。こうしてみると、ハッサンの家はほとんどこの砦の真下と言ってもいい位置にあった。いったい何代前から住んでいるのだろう? ふとそんなことが頭をよぎった。 

 風に当たりながらオルタヒサールの村、そしてカッパドキアを眺めていると、本当に幸せな気分になる。ここに来て本当に良かった。そして、ここを去らなければならないのは本当に辛い。トルコ旅行に来て、そのまま住み着いてしまう日本人が多いと聞くが、そういう気分になるのも分かる気がする。カッパドキアはとても穏やかで、時間がゆったり流れている。それは何にも代え難い貴重なものだ。この前、韓国人留学生のヨンミと話をしていたのだが、彼女は「日本に来てから1日が過ぎるのがとても速い」と嘆いていた。もしかしたら日本は1日が世界一短い国なのかも知れない。

 余韻にばかり浸っているわけにもいかない。久保と二人で写真を取り合ったあと、砦を下りることにした。 

 砦の入り口には絵はがきコーナーなどの、ちょっとした小物が売られていた。僕は最後の記念にとカッパドキアの地図を購入した。するとおじさんは絵はがきを1枚おまけでくれた。ラッキーだ。そしてオルタヒサールの砦をあとにしたのだ。


【ホテルブルジュをあとにする・・・ユルギュップへ】

 急いでホテルまで戻り、チェックアウトを済ませる。ここにはずいぶんとお世話になった。特にウェイトレスのサキネ嬢と、英語を話せるシュレイマン君にはスペシャルサンクスだ。本当に別れ難かったがそれを振り払い、彼らに見送られながらホテルをあとにした。もう二度と会うことはないんだろうな。旅にはそういう別れがつきものなのだが、さすがに寂しかった。 

 さて、先ほどの坂道を下っていき、広場まで出る。先ほどのバスが停まっていた。ミニバスではなく、通 常の大きさの乗り合いバスだった。行き先が「ユルギュップ」になっているのを確認して乗り込む。そして一番後ろの席を陣取った。

 まだ車掌や運転手は乗っていないようだが、客はちらほらと乗っていた。時間になるまで待つのだろう。僕らも荷物を降ろしてイスに深々と座った。

 すると小学生くらいの子供達が5〜6人バスに乗り込んできた。そして僕らを見つけると珍しそうに集まってきた。みんないわゆるはな垂れ小僧どもだ。そして笑いながらこちらの様子をうかがっている。本当にこの地方の子供達は人なつっこい。そのうちの一人が近づいてきて、 

「チン? チン?」 

と聞いてきた。この単語はすでにホテルブルジュで確認済みだ。この子達は僕らのことを「中国人か?」と聞いているわけだ。僕らが「ジャポネ」と答えると、子供達の中で「ジャポネ、ジャポネ・・・」とひそひそ話しているのが聞こえる。

 このくらいの子供達とコミュニケーションを取るのに言葉はあまり必要ない。あっという間に打ち解けてしまい、僕と久保の間に座り込んでなにやら必至に話しかけてきた。おお、そうだ。地球の歩き方に「トルコ語ミニ会話」が載っていたはずだ。それを取り出してみると、子供達の奪い合いが始まった。そして一段落したところで、子供達はその例文を上から順番に読み出した。そしてそのたびに大笑いしている。そのうち、その中の例文から「あなたは結婚していますか」とかそういう例文を選んでこちらに聞いてくるのだ。それに一つずつ「Yes No」で答えていくと、そのたびにどっと笑いが生まれた。 

 そして今度はこちらが聞く番で、子供達に年齢を聞いてみた。するとだいたい小学生の低学年で、中には高学年の子供もいた。でも、見た目は全員低学年にしか見えない。それほど小さいわけなのだが、栄養が足りてないんだろうか? と心配になってしまう。あのハッサン家の食事というか、そういうものを見ているだけに考えてしまった。

 そうこうしているうちに客も集まりはじめ、そして運転手が現れた。運転手は走り出す前に、客の間を回って運賃を集めだした。(写真)オルタヒサールからユルギュップまでは40,000トルコリラ(約30円)だった。子供達も当然金を払うのだが、中にはお金がなくて追い払われる子も出た。そしてバスは出発した。 

 天気も良かったので、バスの旅は快適だった。子供達とのやりとりも楽しい。おもしろ半分にカバンに残っていた日本のレシートとか、そういうゴミをあげるとみんな不思議そうにして見ていた。子供にあげるような、ちょっとしたお土産を持ってくればもっと面白かったかも知れない。この手の国に来るときには用意しておかなければ。

 そう思いながらふと前を見てみると、驚いたことに前方のドアを開けたままで走っていた。暑いから風を入れるために開けているのかとも思うのだが、もしかしたら「路線バス」の目印になっているのかも知れない。韓国にしろ台湾にしろ、ある程度はドアを開けっ放しにして走るのを見たことがある。しかし疾走中でも開け放ったままというのは初めてだ。ここではそういうものかも知れない。いや、ドアが壊れているだけなのか? 

 そういう疑問を解決できないまま、バスは走っていった。そして田舎の何にもない道から、街の中へと入っていく。どうやらここがユルギュップの街らしい。オルタヒサールとは違い、ちゃんとした街だ。商店などが建ち並んでいる。ホテルなどもたくさんあるようだ。

 そしてバスは、こじんまりとしたターミナル(写真)に入っていった。到着すると、子供達は騒ぎながら一目散にバスを降りていった。さて、僕らも降りるとしよう。


【カッパドキアの中継点 ユルギュップの街】

 僕は背中に背負っているバッグ一つなのだが、久保は絨毯を重そうに抱えていた。それにアヴァノスで買ったコーヒーセットなどもある。やはり彼はバックパッカー向きではないのかも知れない。仕方ないので、手提げの荷物は持ってあげることにした。 

 バスを降り、ターミナルの建物の方に目をやると、その後方にある奇妙な大きな岩山が目に飛び込んできた。頂上には旗が立っている。どうやらこの街のランドマークらしい。しかしオルタヒサールやウチヒサールのような砦にはなっていないようだった。旗が立っているということは、登れるということなのだろうか?時間があれば近くに行ってみようと思った。 

 さて、とりあえずターミナルの建物の中に入ってみる。すると中にはバス会社のブースが並んでいて、長距離バスのチケットを売っているようだった。ベニヤでつくったようなチープなブースだ。壁に値段表が張り出されていたので確認してみると、カイセリ行きはここから乗れるようだった。他にもアンカラとかトルコ各地の名前が張り出されていた。バス移動に関してはなかなか発達しているようだ。本数もそれなりにあるようだ。 

 いかにも旅行者という格好の我々に、ブースの中から盛んに声がかかる。その声に引かれるままにブースによってみると、「どこに行きたいんだ?」とかしつこく聞かれてしまった。いろいろ見て回ったが、どのブースでも値段は同じようだった。出発時間が微妙に違うところを見ると、バス会社はいくつかあるようだが、実態は定かではない。

 迷ったあげく、お昼過ぎの出発のチケットを購入することにした。ユルギュップの街を少しぶらぶらしてみたいと思っていたからだ。ユルギュップからカイセリには2時間ぐらいで到着する。カイセリに3時か4時頃までに着けば問題ないだろう。飛行機の出発は9時頃だ(詳しい時間は忘れた8時頃だったも知れない)。

 とりあえずカイセリ行きの切符を購入した。300,000トルコリラ(約 230円)だった。では、ユルギュップの街を少しぶらぶらしてみよう。しかしまずは荷物をなんとかなければ。僕はリュック1個なのでそれほどではないのだが、久保はかなり荷物を持っている。

 荷物を置かせてもらうことも期待して、まずはインフォメーションに行ってみよう。考えてみれば、これだけトルコを旅行しているのにインフォメーションに行くのはイスタンブールの空港に次いで2回目だ。僕流の旅としては極めて希なことになっている。不思議な感じだ。

 地図で確認してみると、インフォメーションはバスターミナルから歩いてすぐのところにあるようだった。バスターミナル横の通りを横切り、数ブロック歩いてから商店街のようなところを抜けると、木のたくさん生い茂っている一角に出た。公園のようになっている。この奥にインフォメーションがあるようだ。地図によると美術館もあるらしいので、ちょうどいいかも知れない。 

 インフォメーションはその公園の一番奥にあった。大きな家を改造して、その中に入っているような感じだった。ベランダが付いていて、典型的西洋建築だ。ベランダに上がる階段を4、5歩とととっと登ると、開け放たれていたドアの奥に人がいるのが見えた。

 部屋の中に入るとパンフレット、写真、地図などがところせましと置かれていた。なかなか大きなインフォメーションだ。早速、おねーさんにこのユルギュップの見所などを教えてもらおうと話しかけてみた。もちろん英語で。すると、おねーさんは何を勘違いしたのか、ユルギュップの周辺の解説を始めた。

「いえいえ、そこはもう行きました。ユルギュップの周りではなくて、ユルギュップの街の中についてなんですが・・・・」

と話し始めて気が付いたのだが、どうやら街の中にはこれと言った見所がないようなのだ。しかもついてないことに、唯一とも言える博物館は休みだった。今さらあちこちに歩いていくのは時間的にも厳しいし、この街でのんびり過ごすしかないようだった。 

 街の地図をもらい、荷物を置かせて欲しいと願い出ると「その辺に置いといて」と言われてしまった。ちょっと心配だが、取られて困るようなものもないのでここに荷物を置いて街中をぶらぶらすることにした。 

 建物の外に出ると、お昼近くになっていたこともあって、日差しがじりじりと照りつけてきた。乾燥しているので過ごしやすいのだが、それでも暑いのには変わりなかった。目的もなくぶらぶらしてもしょうがないので、バスターミナルから見えた岩山に登ってみることにした。 


【ユルギュップの岩山】

 とりあえず登り口がどこにあるのか分からないので、まっすぐ山に近づいてみた。しかしすぐに家にぶちあたってしまう。ぐるっと回ってみると、けもの道のような感じの人の歩いた跡があったので、それを伝って登っていく。ほとんど山登りだ。岩山には崩れかけた城壁のようなものが残っていた。ここも昔は砦だったのかも知れない。

 それから、途中に洞穴のようなものが何カ所かあったのだが、そこにはなんと人が住み着いていた。家なのか何なのかよく分からなかったのだが・・・。 

 そこをやり過ごしていくと、頂上が見えてきた。僕らがバスターミナルから見ていたのは、どうやら野外喫茶のようなものだった。コンクリートなどでちゃんとベランダのようなものをつくっている。塀もちゃんとある。雰囲気としてはビルの屋上のビアガーデンといった感じのものだ。でも客は1人しかいなかった。これだけ暑いのだから当たり前だろう。

 しかし、そこよりもさらに高い場所があって、そこは昔の城壁の跡が残っていた。ほとんど崩れかけているが、昔何かがあったことを匂わせていた。

 とりあえずそこに登ってみる。そこには僕ら二人の他にも親子連れが一組訪れていた。そこに上がってみると、ユルギュップの街全体がよく見えた。バスターミナルからは見えなかったのだが、今登っている岩山の奥には、実はかなり大きめの山が控えていた。そこにも砦の跡が見える。ユルギュップの街は意外なことに、山に囲まれていたのだ。 

 反対側の、先ほど登ってきた道の方を見てみると、下の方にバスターミナルが見えた。そして家がごちゃごちゃと立ち並んでいるのが見える。建物などは都会的雰囲気で、車も多いのだが、街の規模としてはオルタヒサールとあまり変わらないかも知れない。写真などを撮り、休憩したあと山を下りた。

 上がってきた方向の反対側に、車が上がれるような道がついていたのでそちらを下っていった。途中の道にはネコやらニワトリやらが走り回っている。子供も走り回っていた。

 

【バックギャモン・・・そして昼食】

  再びバスターミナルの方に降りて行くと、不意に声をかけられた。何かと思って振り向いてみると、なんと「ホテルブルジュ」の中にあった「宝石屋」のにいちゃんが道端でバックギャモンをやっていたのだった。

 僕は宝石には興味がないのであまり話をしなかったのだが、光り物大好きの久保は熱心に話をしていた。トルコ国内のイスラム原理主義者の動向などをいろいろ教えてもらったり、トルコ石の基礎知識を教わっていたりしていたのだ。彼はユルギュップにも店があると言っていたけど、どうやらそれがここらしい。それにしても今回の旅は、本当にいろんなところでいろんな人に出会ってしまう。ネヴシェヒールのムスタファーしかり、ユルギュップの宝石屋のにいちゃんしかり。

 そのにいちゃんがバックギャモンをしているのを見ながら、チャイをごちそうになった。なかなか美味しい。ところで彼がやっているバックギャモンだが、このカッパドキア地方ではかなり流行っているようだった。彼以外でも街中でやっている人をしばしば見かけるのだ。このバックギャモンの他には、何か麻雀のような変なゲームをやっている人たちもいた。4人で宅を囲んでいるのは麻雀と同じなのだが、パイではなくて札のようなものを使って遊んでいた。ドミノのような札なのだが、なんという遊びなんだろうか?

 さてチャイをごちそうになって、兄ちゃんとはそこで別れた。とりあえずメシを食いたい。腹が減った。

 いろいろ探したあげく、バスターミナル横のレストランで食べることにした。ここもショーウィンドウにあるおかずを選ぶスタイルのやつだった。そして出てきたものを、パンに挟んで食べるのだ。これはもうオルタヒサールのレストランで経験済みだ。


【ユルギュップからカイセリへ】

 さて食事も終わり、バスターミナルへ戻る。カイセリ行きの長距離バスは、既にブースに停まっていた。時間が来るまでに勝手に入ればいいらしい。何時間乗ることになるかわからないので、とりあえず水を購入した。トルコの場合は、トイレよりもこちらの方を心配した方が良さそうな感じだ。

 バスは指定席のようで、あらかじめふられていた番号の席に座る。運転手後ろの一番前の席だった。荷物の方は、ターミナルのおじさんに言ってバスの荷物入れ場に入れてもらった。

 間もなく運転手が搭乗し、続いて車掌?のような感じで中学生か高校生かくらいの男の子が乗り込んできた。切符の確認が済むと、バスは静かに出発した。

 バスは少しの間、市街地を走っていたが、すぐに山の中へと入っていった。何度も言うようだが、トルコの山は日本のそれとは違い、基本的に禿げ山だ。草すら生えていない場合もある。たいていは低い草が生えていて、たまにまばらに生えている木を見ることが出来る。その木もかなりの部分が果物などの人間が収穫するために植えたものだ。このバスもそのような果樹園の中のくねくねした細い道を走っていた。

 日陰にいるからか、ぽかぽかと心地よく、久保はいつの間にか寝息をたてていた。少し疲れた顔を見せていたので心配していたのだ。少しでも眠って元気を回復してくれればと思う。しかし反対に僕の方は一向に眠くならなかった。一人、窓の外の風景をぼーっと眺めていた。

 ひたすら果樹園の並ぶ通りを走っていると、突然バスが停車した。そして、男が一人バスを降りていったのだ。周りに家は見えない。この男はいったいどこに行くのだろうか?いや、木に隠れているだけで、どこかに家があるのだろう。

 ここに来て初めてわかったのだが、このバスはカイセリに行く人だけではなくて、その途中で降りる人も含めた交通手段になっているようだった。どういう料金体系になっているのかはよくわからないのだが、車掌?の男の子に言えば、好きなところで降ろしてくれるみたいだ。

 その男のあとも、いろんなところで少しずつ人が降りていった。中には原野の真ん中で降りる人もいた。確かにバスの道から直角に延びる道があったのだが・・・・地平線に向かって伸びているような感じだった。バスを降りてから何時間も歩いて家にまで帰るのだろう。そうとしか考えられないケースもあった。

 地図を見ながらバスに乗っていたのだが、どうやらバスは一旦山を越えて、エルジス火山の方向に向かっているようだった。そして北上するとカイセリの街に着く。行きにアドベンチャーツアーの送迎できたルートとは別らしい。

 バスはどんどん山を登っていった。それほど新しいバスではなかったので、大きな音を立てながら登っていく。窓からは渇いた風が頬をたたいていった。さすがに単調な風景に飽きて、少し眠くなってきた。少しうつらうつらしてきた頃、バスは峠を越えた。そして下りに入ったとき、信じられないような光景が目の前に広がった。

 大きく広がった盆地のような広大な空間にエルジス山がどーんと構えていたのだ。そして大きな湖が見えた。いや、正確には湖のように見えるものだ。これはいったいどういう風景なのだろう。とても言葉では言い表すことの出来ない、息をのむような絶景だ。カッパドキアに来て数々の絶景に驚かされて来たのだが、ここに勝るところはない。文句なしにナンバーワンだ。

 湖のように見える場所は、もしかしたら干上がった湖に塩が浮いているところかも知れなかった。とにかくあまりにも広く、遠く展開されているので、今までの常識が通用しないのだ。声のでない風景だ。あまりのすばらしい光景に言葉と動きを奪われていたのだが、これを久保にも見せなければ。あわてて起こしてやる。すると久保もその光景を見るや、言葉を失っているようだった。

 あわてて写真を撮る。しかし、カメラではこの風景のすごさ、広さ、奥行きをとうてい表現など出来ないのだ。それはわかっていたのだが、撮らずにいられない。帰ってから現像してみたが、やはりそのすばらしさを記録することは出来なかった。

 そして徐々に峠を下っていくと、麓には灌漑をした畑が広がっていた。地下水を大きく汲み上げているのが見える。バスはその畑の真ん中に伸びた道を走っていった。

 その青々とした畑を抜けると、片側2車線の計4車線ある、比較的大きな道にでた。バスはその道に合流すると、今までためていたうっぷんを晴らすかのようにスピードを上げて走り出した。先ほどのエルジス山は右後方に霞んで見えなくなっていた。そしてバスはますますスピードを上げていく。

 道の右側には鉄道も引かれていた。単線だ。どんな列車が走るのか楽しみに待っていたのだが、全然走っていなかった。恐らく1日に数本しかないのだろう。

 ところでこの道には何となく見覚えがあった。恐らく「カッパドキアに行くとき」にこの道の一部を通ったはずだ。そんな感じがした。

 そこからさらに何十分か走ると、前方の地平線のかなたに街らしきものが見えてきた。そうやらあれがカイセリのようだ。こういう光景を見ると、改めてトルコの大地の広大さを感じさせてくれる。平原の彼方に見える街・・・。こうしてみると、日本と決定的に違うのは、「木の生えていない、何にも利用していないタダの平地」というのがトルコでは基本なのに対して、日本には皆無だという点だろう。気候と人口密度の差がその風景に際だった差を生み出しているのだ。

 そうこうしているうちに、その街の影が近づいてくる。そしてバスはいつしか街中を走るようになった。カイセリだ。

 カイセリのメイン通りは片側4〜5車線もある大きな通りだ。その通りをドルムシュや他のバスなどと競い合うように走っていく。カッパドキアの中ではネヴシェヒールでもかなり都会に感じたものだが、このカイセリとは根本的に違う。間違いなく地方の中核都市だ。

 さて、問題はこのバスがどこに停まるのかってことだ。そのうち次々と客がバスを止めて、自分の好きなところで降りていく。僕らはとにかく終点まで行くしかなかった。

 そのうちバスがたくさん停まっているターミナルのようなところを通過する。うやら市内バスのターミナル(オトガル)のようだ。地図を見ながら確認してみるが、今一つよくわからない。そのうちバスは大きな通りから離れ、路地に曲がっていった。そして終点。バスを降りることとなった。

 

 

 

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