トルコ旅行記12 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】



第12話
1997年7月10日 第6日目 カイセリ編

 

【カイセリのレストラン】

 さてさて・・・。バスのおじさんから荷物を受け取り、街に繰り出してみる。しかし、カッパドキアとは明らかに雰囲気の違う街だった。観光客はほとんどいない。気のせいかも知れないが、じろじろ見られているような気がする。

 とりあえず何か目印になるものを見つけないと、ここがどこなのかさっぱりわからない。通りにある行き先案内板を見ながら、大まかな見当をつけてみる。しかし、今一つわからなかった。とりあえず、どこか店に入って考えてみることにしよう。まだお昼過ぎで、時間はたっぷりある。そう焦る必要もない。

 そう思って「喫茶店」(か、それに類するもの)を探したが、どうやらそんな店はないようだった。仕方ないのでレストランに入り、コーラとトルコ式ピザなどを注文する。バスに乗る前に食事をしたので、あまりおなかが空いていなかったのだが、注文しないわけにはいかなかった。

 お店のにいちゃんに「地球の歩き方」の地図を見せて、「この店はどこにあるのか?」と、身振り手振りで尋ねてみた。すると周りにいた客やらが集まってきて、あーでもないこーでもないと口々に言い始めた。全く収拾がつかない。面白いのは、みんな悩んでいる点だった。やはり日本の地図は見にくいのだろうか? それとも、地図を見る習慣が基本的に無いのかも知れない。そのうちに、だいたいの場所を書き込んでくれた。僕の予想とほぼ一緒だったので、多分間違いないだろう。とりあえずツーリストインフォメーションのある街の中心部の方向がわかればいいのだ。

 ところで話は変わるが、この店に来て何となく違和感を感じていた事があったのだ。それが何なのか最初のうちはわからなかったのだが、時間が経つに連れてはっきりと分かるようになってきた。ぶっちゃけた話、この店には女性の客がいないのだ。いや、正確に言うと、女性の客は隔離されていたのだ。店の奥に。

 店に入ったときに、女性がいないことをそれほど変にも思わなかった。そして、そのうち女性が数人入ってきたのだが、なぜか一目散に店の奥に置かれた敷居にあるドアーを開け、その奥に入っていった。それを見て、「店の従業員なのかな? 休憩を終わって帰ってきたのか」などと思っていたのだ。しかし、そのあとにまた女性の集団が来て、その敷居の奥には入っていった。「????従業員の多い店だなぁ」と思っていると、またまた別の女性がその奥に入っていった。そこで気が付いた。

「この店では、男と女が隔離されている」

よく見ると、女性が入っていった入り口の上には、トルコ語で何か書かれていて、どうやらそれが「女性用」を表しているようなのだ。

 ガイドブックによると、カイセリの街はイスラム色の強い街だそうだ。恐らく「男女席を同じくせず」という精神が貫かれているのだろう。いや、しかしこれは驚いた。僕らはたまたま男二人の旅だったから良かったけど、女性がいたらどうなっていたのだろう。習慣の違いとは恐ろしい。恐らくイスラムの国ではこういうのは当たり前なのかも知れないが、僕はイスラム圏の旅行は初めてなのだったのだ。


【カイセリの繁華街からトルコ航空のオフィスへ】

 そうこうしているうちにピザも食べ終えたので、その店を出る。ウィンドウショッピングをしながら、そのツーリストインフォメーションがある街の中心に向かって歩いていった。街には店がぎっしりと並び、ものが溢れていた。楽器屋などもあり、エレキウードなども売っていた。

 しばらく歩くと城壁のようなものが見えてきた。どうやら昔の城跡らしい。街の中心部で、ツーリストインフォメーションにも近い。その城跡の中にはバザールもあるようだ。そしてアタチュルクの家もあるらしい。まずはそのアタチュルクの家とやらを探してみよう。

 まずその城壁に近づいてみる。石で出来た立派な城壁だ。確かに中にはバザールがあった。そして、城壁の周りにもたくさんの店が建ち並んでいた。この辺りが一番の繁華街に間違いない。

 地図に従って探してみたが、結局アタチュルクの家がどこにあるのか分からなかった。仕方ないので、ツーリストインフォメーションに行ってみることにする。カイセリ空港までの行き方を確認しておかないといけないのだ。しかし不覚にも道に迷ってしまった。仕方なく通りに行く人に英語で尋ねてみると、またまた人だかりが出来てしまい、その中の若い兄ちゃんが前まで案内してくれた。なんて親切なんだ。

 インフォメーションはなんとかぎりぎり時間に間に合ったらしく、営業していた。まずは市内の地図をもらい、カイセリ空港までの行き方を確認する。すると、トルコ航空の営業所からシャトルバスが出ているということだった。多分、ドルムシュ(乗り合いタクシー)なども行っているはずなのだが、シャトルを利用する方が確実だ。それを利用することにした。それにトルコ航空の営業所に行けば、もしかしたら荷物を置かせてくれるかも知れない。そうすれば身軽に行動できる。

 そう考えてインフォメーションのおじさんにトルコ航空の営業所の位置を教えてもらった。ん?「地球の歩き方」の地図と少し位置が違うなぁ。でもインフォメーションの方が正確なのか・・・。

 その地図を頼りに街を歩き回ってみたが、それらしい事務所は全く見つからなかった。これはどういうことなのだ? もしかして「地球の歩き方」の方が正しいのだろうか?まさかとは思ったが、「地球の歩き方」の地図に「トルコ航空のオフィス」と書いている場所に行くと、なんとそこにあったのだ。インフォメーションのおじさんは嘘を教えてくれたのだった。なんということだ。

 現地情報よりも「地球の歩き方」の方が正しい情報だった。これはもう10年以上も海外旅行をしているけど、初めての経験だった。貴重な体験だ。もう二度とないかも知れない。そう思いながらオフィスに入った。

 中に入ってみると、正面にカウンターがあって女性が3名仕事をしていた。早速その一つに行き、シャトルバスの件を確認すると、このオフィスの前から出発するとのことだ。よし。これでとりあえずイスタンブールの空港(アタチュルク空港)までの足は確保できた。あとはアタチュルク空港から市内までの足と、その日泊まる宿の心配をしなければ。夜中になるかも知れないので、前に泊まったエルボイにしておこうか・・・・。そんな考えが頭に浮かんでいた。

 とりあえずオフィスに荷物を置かせてもらい、再びカイセリの街に繰り出した。夕方近くになり、日も傾き始めていた。


【再び繁華街へ】

 まず先ほどのバザールのある繁華街に戻る。そこで市場などを冷やかしながらぶらぶらする。今度は身軽なので、歩き回るのも苦にならない。因みに僕はカメラ用のフィルムを買おうとカメラ屋などを重点的にチェックしながら歩いていた。最後の一本になっていたのだ。

 街は意外にきれいで、アーケード付きの商店街などもあり、活気に満ちていた。いろいろな店が軒を連ねていた。しかし不思議なことにカメラ屋は見つからなかった。いや、カメラ屋はともかくとしても、フィルムを売っている店もなかったのだ。カッパドキアにはあれほどたくさんあったフィルムが全く見つからない。万屋(よろずや)のようなところもいくつかあったが、フィルムは売られていないようだった。これはいったいどういうことなのか?

 意を決して、電池を売っているある万屋に入り、フィルムを売っているかどうか尋ねてみた。電池があるのだから、フィルムがあってもおかしくはない。僕にそう尋ねられた店のおじさんは、最初は電池を買いに来たのだと思い、電池をかざしながら「これでいいのか?」というような身振りを見せた。しかし、僕がカメラを指さしながら、「フィルムフィルム」というと、そのおじさんは大きくうなずくと、店の外に出て、僕らに後についてくるように身振りでしめした。おお、売っているところまで案内してくれるみたいだ。

 そのおじさんについて、商店街の中を歩いていく。歩いて歩いて・・・・・・おいおいおい。いったいどこまで行くのだ? おじさんは英語が分からないようなので会話が出来ない。それにしても、いったいどこまで行くんだ?

 そのおじさんについて、道を渡って、さらに歩いて・・・ずいぶん行った先の、とあるビルの小汚い階段を2階に上がっていった。そして事務所のようなところに入っていくと、カメラが所狭しと並べられている店があった。カメラ屋だ。まるで日本橋電気街の安売り専門店のような雰囲気だった。真ん中にガラスのショウケースがあって、カメラが並べられている。あとは在庫の山だ。

 そのガラスショウケースの向こうに中年の男が座っていて、カメラを修理していた。それに客が数人。僕らが入ってきたのに気がついた店の主人に、ここまで連れてきてくれた万屋のおじさんが何か話をすると、店の主人はカラーフィルムを取り出してくれた。

 おお。そこで万屋のおじさんにお礼を言うと、笑いながら去っていった。なんていい人なんだ。感謝感謝。

 フィルムは何種類かあったけど、コダックのカラーにした。しかし、カイセリのこんなに大きい商店街の中で、カメラ屋はもしかしたらここだけしかないのかも知れない。そんな感じがした。ガイドブックに「トルコではカラー写真は貴重品。撮ってあげたら送ってあげましょう」と書かれていたのを、改めて実感した。ハッサンの時もそう感じたのだが、本当にそうみたいだ。カラーフィルムは一般的に売られているものではないのだ。カッパドキアにしても、イスタンブールにしても外国人が多い大観光地だ。トルコに来てまだそういうところにしか行っていないので、よく分からなかったわけだ。観光地化されていない、一般的なトルコの雰囲気を感じることが出来た。


【イスラム圏のトイレ】

 歩き回るうちにトイレに行きたくなったので、近くの公衆便所らしきものに入ってみた。それは広場に面したところにあって、地下に造られていた。長いスロープを降りていくと、左右に分かれて広い空間が配置されていた。

 とりあえず右に曲がってみると・・・そこで僕の足ははたと止まってしまった。なんと「白い洋式便器」のようなものが、壁際に「仕切り」などが全くないオープンな状態で、等間隔に並べられていたのだ。そして壁に向かうようにして男たちが座っている。えええ?トルコの大便用って、仕切りが全くないわけ? しかも明るい空間で、もろ見えじゃないか! 中国を遥かにこえるビックリなのか!!

 僕はあまりの衝撃に一瞬、立ちくらみしそうになった。トルコって本当に侮れない。恐ろしいまでのオープンさだ・・・・と思っていたのだが、しかしよく見てみると・・・その白いものは便器ではなかった。それは単なるイスで、おじさんたちはそこに座っていただけなのだ。なんだ、びっくりさせるなよ。でも、じゃ、いったいこれは何なのか? そう思ってさらにじっくり観察してみた。すると、おじさんたちは足や手、顔などを洗っていたのだ。つまりこれは足を洗うための「イス」だったわけだ。

 足を洗うといってもかなり本格的で、みんな靴と靴下を脱いで洗っている。ズボンの裾をまくり上げて洗っている人もいる。この時点で気がついたのだが、これはイスラム教の「清めの儀式」じゃないのか。確かモスクに入る前などに水で洗うのだ。

 イスタンブールやカッパドキアでは見なかった光景なので、すっかり忘れていたのだが、確かイスラム教ではこのような儀式をするはずなのだ。なるほど・・・。

 それが公衆トイレの中に設置されているところは、かなり斬新だ。改めて文化の違いを噛みしめてしまう。

 トイレを済ませてから、商店街を抜けてモスクの方に移動してみた。モスクの横にはベンチがあって、そこに座りながら道行く人を眺めたりした。歩いている人をぼーっと眺めるのも、なかなか楽しい。そうこうしているうちに日はかなり傾いてきた。

 時間も遅く、特に何もすることがなくなってきたので、トルコ航空のオフィスに戻ることにする。


【フレディ・ビショップ君】

 戻ってみると、空港行きのシャトルバスを待つ客が既に5〜6人いた。僕らもイスに腰掛けてバスが来るのを待つ。時間もあるので、久保とこれからのことなどを話し合ったりした。特に今日の夜の宿は問題だ。

 そんな話をしていると、オフィスに白人の若いカップルが現れた。がっしりとした体つきの男性と、少し華奢な女性だ。二人とも大きな荷物を背負っている。

 男性は金髪で、典型的なアメリカ人といった顔つきだった。少し面長で、くっきりした目をしていた。大きめのミネラルウォーターのペットボトルを手に持っている。

 女性の方は栗色のウェーブヘアで、目のギョロッとした「西部開拓ドラマ」に出てくる女教師という感じだった。白人の歳はよく分からないが、二人とも20代の半ばといったところだろう。

 そのカップルがトルコ航空のおねーさんと話をしているのを漏れ聞いたところ、どうやら僕らと同じイスタンブール行きに乗るようだ。しかし、トルコ航空のおねーさんの話を聞いていて気になることがあった。どうやら飛行機は遅れているらしい。ただでさえ夜遅くに着くというのに、これでは夜中になってしまう。しかも、はっきりとした時間が分からないようだ。

 それをみんな聞いていたのか、待合室の中が少しざわつく。

 その白人男性は部屋の中にあった公衆電話に行って、「ロンリープラネット」を片手に電話を始めた。イスタンブールの宿に予約を入れているようだった。我々も予約を入れた方がいいだろうか? 夜中に着くのだったら、そうしておいた方がいいだろう。やはり高いけど場所がはっきりしている「エルボイ」にしておこうか。そんな話を久保とかわす。

 その白人カップルは荷物を置いて、外に出ていった。考えて見れば、まだ「少なく見積もっても」2時間ぐらい余裕があるのだ。

 僕らも出ていこうかと思ったが、もう外は暗くなっているし、カイセリ市内はもう十分歩いた。今さら特に行ってみたいところもないし、おなかも空いていなかった。ここで体を休めておくことにした。

 それから数時間が経った。しかし、飛行機が飛ぶ気配はなかった。というか、イスタンブールをまだ飛行機は飛び立っていなかったのだ。

 僕らが乗る予定の「カイセリ発イスタンブール行き」は、まずイスタンブールから飛行機が飛んでこなくてはならない。カイセリ空港は小屋があるだけで、整備の施設なんてものは存在しないからだ。しかも聞いたところによると、遅れの原因は「メカニカルな問題」とのことだ。大丈夫なのだろうか? いっそ飛ばないで、ここで一泊してもいいかも知れない。でも、そうなった場合は航空会社が宿泊を手配してくれるのだろうか? しかし、あまり期待できない雰囲気ではあるのだ。

 そうこういいながらも、刻々と時間は過ぎていく。そのうち食料を買って戻っていたさっきの白人カップルと話をするようになった。白人のにーちゃんが話しかけてきたのだった。彼の提案は、

「恐らく飛行機は12時過ぎにイスタンブールに着くので、もしスルタンアフメット近くに宿を取るのなら、タクシーを相乗りしないか」

という事だった。僕らにとっても望むところなので、OKした。

 ところでその男の名前は「フレディ・ビショップ」(以下ビショップ君と呼ぶ)と言うアメリカ人だった。驚いたことに少し日本語をしゃべることが出来た。以前、大阪の本町あたりで働いていたことがあるらしい。そしてその会社を辞めてアメリカに戻り、大学に入り直して資格(MBA?)を取って、今年(1997年夏)に就職する予定らしい。

 今回は就職前の最後の長期休暇ということで、フィアンセとギリシャの各都市を回り、トルコの南部地中海側のアンタルヤのあたりからエフェスなどを回ってカッパドキアに来たという事だった。・・・なるほど。そのうち、

「英語で話をしているが聞こえたから・・・・」

ということで、フィアンセさん(名前は聞き漏らした)も参加して、話に花が咲いた。ビショップ君が僕らの旅の日程などを聞いてきたので教えてあげると、

「それはいい選択をしている。今まで行ったトルコの地方の中では、カッパドキアが一番良かった。もし、イスタンブールともう一つどこかと言われたら、間違いなくカッパドキアにするよ」

ということだった。彼らは現地のツアーに入って見所を回ったようだった。それから、カッパドキアでの宿泊代は1泊10ドル程度のようで、僕らとは際だった差があった。

 彼らの話によるとトルコ全体として基本的に泊まりっぱぐれることはなく、だいたい10ドル前後で泊まれるらしい。田舎はもちろんかなり安いようだ。海もきれいだったし、とても満足しているようだった。ただしフィアンセさんは

「しかし、とにかく食事だけはとても退屈。来る日も来る日もケバブケバブケバブ・・・」

と不満を漏らしていた。確かにそうだ。実は僕らも「ウフララ渓谷」で食べた魚以外は基本的にケバブ(羊の肉料理の総称)ばっかり食っていた。彼女の話によると、ギリシャも基本的にケバブらしい。味付けや香辛料が少し違うだけで、基本的にケバブなのだ。

「その点、日本料理はいい。刺身やら寿司やら・・・バラエティに富んでいる」

というのがビショップ君の評だ。フィアンセさんは日本には行ったことがないようだが、ぜひ行ってみたいと言っていた。

 そうこうしているうちにも、時間は刻々と過ぎていく。しかし、一向に「イスタンブールを出発した」という連絡はなかった。オフィスで飛行機を待っている人々にも、疲れと焦りの色が見え始めていた。そのうち誰かの言った

「いったい何時になったら飛ぶんでしょう?」

という問いに、トルコ航空のおねーさんは

「インシャラー」(神のみぞ知る)

と答える始末だ・・・。なるほど「インシャラー」って、こういう時に使うわけね。


【カイセリ空港へ】

 疲れ切って話す言葉もとぎれがちになったとき、ついに飛行機がイスタンブールを飛び立ったという連絡が入った。しかし、このままで行くとカイセリ発が夜中の12時頃で、イスタンブール着は1時を回るようだ。しかし、4〜5時間遅れってのは、遅れたうちに入らないのかも知れない。トルコ航空のおねーさんの話では、

「先週は夜中の3時頃に出発したので、今日はましな方だ」

ということだった。ま、そういうもんなのかも知れない。インシャラーなのだ。

 そしてまたしばらく待ってからシャトルバスに乗り込んだ。

バス代は80,000トルコリラ(約61円)だった。

 シャトルバスはトルコ航空オフィス前を出発し、夜のカイセリの街を走っていく。昼間はにぎやかだった街も、今はもう暗くてよく見えない。そして十数分ほど走っただろうか?大きな通りに出て、間もなく空港に到着した。思ったよりもかなり近かった。

 空港と言っても何度も言うようだが、プレハブっぽい小屋が一つあるきりだ。その前にバスは横付けされた。

 小屋の前には既にたくさんの車が並んでいて、たくさんの人たちがぶらぶらしていた。イスタンブールからの客を出迎えに来ている人たちのようだ。

 僕らはバスを降りると、そのまま小屋の中に入っていく。この小屋の中に空港としての機能がすべて集約されているのだ。つまり、手荷物検査、金属探知器など・・・。しかし、いかんせん「小屋」だから仕切りがしてあるだけで、なにもかも筒抜けだ。本当に大丈夫なんだろうかと思ってしまう。それに一番困ったのが、「トイレ」が一個所しかないことで、金属探知器をこえてしまうと、もうその先にはないのだ。出迎えの人たちも使えるように「外」に作ってあるのだ。飛行機はこちらに向かっている途中で、まだ1時間以上も待たなければならない。行きたくなった人は逆流するしかないのだ。

「トイレに行きたいんだけど、いい?」

と係員に言うと、あっさり逆流させてくれる。検査するのに意味があるんだろうかと思ってしまう。

 先ほどのアメリカ人カップルが「食べない?」とお菓子を差し入れてくれた。ありがたく食わせていただく。しかし、とにかく暇を持て余してぶらぶらするしかない。退屈しのぎに窓を開けて外を眺めていたら、係員から閉めるように怒られてしまった。そう、窓の外は文字通り「外」なわけで、一旦チェックした人は出ちゃいけないのだ。

 それからさらに時間は流れていった。そしてついに待ちに待った飛行機がやってきた。しかし、この分で行くと本当に12時を回ってからのフライトになるだろう。

 飛行機は予想に反して、小型飛行機だった。来るときに乗った昼の便とは飛行機が違う。夜の便はこういう事も多い(たぶん)ので、人気がないのかも知れない。間もなくイスタンブールからの客が降りてくる。・・・これは時間がかかりそうだ。荷物もおろさないといけないのだ。そしてさらに数十分後、やっと搭乗となった。あわてて乗り込むと、飛行機のクルーもあわてているようだった。そしてあわただしく離陸していったのだった。


【イスタンブールへ・・・】

 飛行機は左右に2席ずつある小型のものだ。そして一応、おつまみらしきものも配られるが、すぐに電気が暗くなった。もう夜中だからね。

 飛行機は程なくしてイスタンブールに降り立った。すでに1時近くなっていた。

 アメリカ人カップルの荷物を待って、外に出る。タクシーは空港を出たところにたくさん待ちかまえていた。恐らく僕らみたいなのを見越してのことなんだろう。一番からだのでかいビショップ君が前に座り、僕と久保とフィアンセさんが後ろに乗り込んだ。

 さすがに夜中だけあって海岸沿いの道はガラガラだった。途中で逆走している車約1台に出会ったりするが、それ以外で走っているのはタクシーくらいだった。日本だったら暴走族が走りまくっているような快適な道なのだが、トルコにはそういうのがほとんどないみたいだ。

 さて車はあっという間にスルタンアフメット地区に着く。ここでまずビショップ君たちが降りた。彼が電話して予約していたのは、プチホテルのようだった。シャワー共同で15ドルほどだったと思う。なかなかきれいなたたずまいだった。女連れならこう言うところがいいのかも知れない。

 彼らとはここで別れて二度と会うことはなかったのだが、なかなか楽しいひとときを過ごすことが出来た。

 そこからさらにトプカプ宮殿の方に回ってもらい、僕らが予約をしておいた「ホテルエルボイ」に着く。とにかく疲れてしまっていたので、部屋に入るなり倒れるように眠ってしまった。

 

 

 

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