トルコ旅行記13 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】



第13話
1997年7月11日 第7日目 ボスポラス編

 

【安宿へ移動する】

 7日目の朝を、イスタンブールのホテル「エルボイ」で迎えた。昨日はイスタンブール着が夜中の1時頃になってしまったので、仕方なく高級ホテルに泊まってしまった。早速引き払わなくてはならない。

 まずは前回と同じように中2階でバイキングスタイルの朝食をとる。前回泊まったときと違って、今日は客がたくさんいた。しかし朝食の内容は全く変わっていなかった。パンとジャム、スクランブルエッグにヨーグルトだ。とにかく腹の中に流し込む。

 朝食をとったあと、早速荷造りしてホテルをあとにした。目指すはスルタンアフメット地区だ。昨日のアメリカ人カップルがその地区に泊まっているのを見れば分かるように、そこは安宿がひしめき合っている地区なのだ。まさにピンからキリまである。僕らはイスタンブールの物価も考えて、10US$くらいの宿を探すことにした。

 「エルボイ」から坂道を上って、スルタンアフメット地区に向かう。地図を見て分かってはいたが、この地区は本当にホテルが多い。しかも思っていたよりきれいなところが多かった。安宿ももちろんあるのだが、プチホテルのような少し高級感のあるところもあるようだ。ガイドブックで何カ所か目星をつけていたのだが、そのうちの一つ「ホテル アヤソフィア」に向かうことにした。

 何でそこに目星をつけたかというと、まず安いこと。そして名前がいかにもイスタンブールっぽかったこと、それに確かに場所が「アヤソフィア」(博物館の方)に近いことなどからだった。


【ホテル アヤソフィア】

 地図を頼りにぶらぶらと歩いていき、比較的簡単に見つけることが出来た。3階建ての緑色っぽい細長い建物(右写真参照)で、半地下部分が絨毯屋になっていた。木製の階段を上ると小さな入り口があり、そのすぐ奥に階段が見えた。階段の横には、これまた人一人分くらいの小さなカウンターがあり、おじさんが立っていた。どうやらホテルのオーナーらしい。やや小柄の白髪の男性で、比較的がっしりとした体つきをしていた。顔はやはりトルコ風で、それでいてロバート・デ・ニーロ風でもあった。

 部屋があるかどうかを尋ねてみると、あっさりとOKが出た。そして値段はなんと一人5ドルということだ。や、安い。エルボイの10分の1だ。そして条件は、二人個室、風呂なし、共同シャワー・共同トイレつきということだった。それにお湯も出ると言うことなので、十分だ。とりあえず決める前に部屋を見せてもらうことにした。

 部屋は3階で、掃除のおばさんについて、狭い階段をくるくると上がって行かねばならなかった。部屋は屋根裏でかなり狭かったが、僕としては「個室」というだけで満足だった。縦長の空間にベッドが縦方向に並べられていて、ベッド以外のスペースはほとんどなかった。(左写真参照)ベッドは少し(一般的感覚では、かなり)汚いが、僕は全く気にならなかった。南京虫がいるのはいやだけど、汚いのは問題ない。
 久保は少し驚いたようだったが、特に反対もしなかった。恐らくこういうところに泊まるのは初めてだろう。でも何事も経験だよ。

 部屋はそこ以外が全部ふさがっているらしく、ここに決めることにした。明日になれば、場合によってはもう少し広いところに移れるかも知れない。でも、そうならなくても別にどっちでもいいし、とにかくこういうところに泊まりかたっかので、僕は満足だった。

 荷物を置いて一人1階まで降り、金を払ってくる。そして少し休憩したあと、街へ繰り出すことにした。

 


【エミノニュ桟橋へ】

 今日は久保とも相談した上で、「ボスポラスクルーズ」に出かけることにした。ご存じのように、イスタンブールはボスポラス海峡の両側にまたがって街が広がっている。その海峡を船で北上していくのだ。旧ソ連の国々につながる黒海も見えるらしい。ぜひ見てみたいものだ。

 ところでこのボスポラス海峡だが、ご存じの通りアジアとヨーロッパの境目で、古くから交通の要衝だった。この海峡の西側がヨーロッパであり、東側がアジアなのだ。それをシルクロードが東西に結んでいた。東西文明の大動脈だ。

 そして一方、南北に目を転じてみると別の面も見えてくる。この海峡を北上すると黒海に抜け、ロシアや旧ソビエトの国々に通じる。南下すると、そのまま地中海に抜け、西ヨーロッパ、中近東、アジアに通じるのだ。ボスポラス海峡は文字どおり「文明の十字路」だったわけだ。

 現在もこの南北ルートは重要な航路になっており、東西に至っては二つの大きな橋「ボスポラス大橋」「第二ボスポラス大橋」で結ばれて、交通の要衝となっている。その一方で、昔ながらの渡し船類も活躍している。橋はあくまで「車」のためのものであって、人々は相変わらず船で行き来しているのだ。この方が便利で安上がりなのだ。

 この光景を実際に見ると、イスタンブールは香港に似ていると感じる。今僕らが泊まっているイスタンブール旧市街と新市街の間にある「金角湾」に向かい合うようにたくさんの船乗り場があるのだが、これが香港の九龍半島と香港島の間にある「ヴィクトリア湾」とイメージがだぶってくるのだ。

 ただ、金角湾に関しては、ガラタ橋など歩いて渡れる橋がいくつも架けられており、船で渡ることはない。そこがちょっと違うのだが、イメージ的には近いものがあるように思う。

 そのたくさんある「船乗り場」の中の一つ「エミノニュ」からボスポラスクルーズの船が出ている。まずはそこを目指す。

 金角湾にまっすぐ向かうのなら、一旦「シルケジ駅」の方に向かった方が良さそうだが、これでは面白くないのでだいたいの方向だけ決めて、ぶらぶら歩いていくことにした。

 歩いていって分かることなのだが、改めて「イスタンブールは坂が多い」と感じてしまう。急な坂道がいくつもあるのだ。アヤソフィアやブルーモスクは比較的高いところにあるので、どんどん海岸に向かって下っていく感じになる。

 急な坂道の途中に本屋があったので寄ってみた。

 もちろんトルコ語は全く分からないので、いわゆる「本」を買うつもりはないのだが、辞書をキープしておきたかったのだ。カッパドキアでは現地の人と交流する機会が多かったので、辞書の必要性を痛感していたのだ。辞書さえあれば、オルタヒサールのハッサンや、子供たち、ホテルブルジュの従業員たちとも、もっといろいろ話が出来たはずだ。今後トルコに行かれる人があれば、必ずキープして欲しいものの一つだ。

 本屋の中を探していくと、手のひらサイズで、いわゆる「まめ単」タイプの英語−トルコ語の辞書が見つかった。これがいいかも知れない。しかも「英土」「土英」の双方向タイプだ。本格的に勉強するわけではないので、これで十分だ。すかさず購入する。


【エジプシャンバザール】

 その本屋のある通りをさらに下っていくと、にぎやかな通りに出てきた。やたらと人が多い。その人の流れに乗って海岸線と並行に歩いていくと、大きな郵便局が見えてきた。それを横目に見ながらさらに進んでいくと、正面になにやら見えてきた。市場のようだ。

 地図で確認してみると、どうやら「エジプシャンバザール」のようだ。早速中に入ってみよう。

 トルコのこの手の市場は屋外ではなく、屋内に出来ている。「グランバザール」の映像を見たことがある人は分かると思うが、比較的くらい通りの両側にひしめき合うように店が並んでいるのだ。この「エジプシャンバザール」は有名な「グランバザール」に比べて庶民的で、売り物も食料品や香辛料など、生活に密着したものが多いらしい。確かに見てみるとそれらの賞品の他、蜂蜜であるとか食器なども売られていた。

 道を歩いていると、盛んに声をかけられる。ここも観光地化されているという事なんだろう。しかし、売られているのもは興味深いものが多く、歩いていて飽きない雰囲気だった。また薄暗いところが怪しさを演出していて、何とも言えない独特の雰囲気を作り出していた。

 ぶらぶら歩いていると、前方に門が見えてきた。明るい光が射し込んでくる。どうやら出口の一つらしい。とりあえず建物の外に出てみよう。

 そう思ってその門をくぐると・・・急に明るく広い大きな広場に出た。(写真参照)そしてその広場の向こうには金角湾と、行き来するたくさんの船、ガラタ橋、新市街の丘が目に飛び込んできた。目的地だ。

 出口の広場には人がたくさん集まっていた。露天の物売りなども所狭しと店を開いている。食べ物や、衣類、アルバムなどが売られていた。そして右手にはモスクが見えた。「イェニ・ジャミイ」のようだ。入り口の広い階段にはたくさんの人が腰掛けて、話に花を咲かせている。

 その喧噪の中を抜けていくと、この広場と海岸との間は、広く大きな道路で仕切られているのが分かった。路面電車も走っている。ええ? 待てよ、地図には載ってないぞ。例の「地球の歩き方」の地図には路面電車が記載されていなかった。新しくできたんだろうか? そう思いながら道路まで出てみる。路面電車の駅は大きな道路に挟まれていた。地下道をくぐって駅まで行くようだ。と言うことは向こうの海岸に出るのも、その地下道をくぐっていけばいいようだ。

 早速、地下道の入り口を探し、大きな道路をくぐって海岸に出た。ガラタ橋のたもと、エミノニュの船乗り場だ。


【エミノニュ】

 船乗り場にはさっきの広場以上に、多くの人でごった返していた。物売りの声が行き交っている。その人々の中を僕らは進んでいった。物売りの中に「カセットテープ売り」がいたので、とりあえず一つ買ってみる。がんがん流しているメロディーがなんともいい調子だったからだ。トルコの民謡を集めたテープのようだった。

 さて、物売りを見て回るのもいいが、まずはボスポラスクルーズの乗り場を探さなければならない。乗り場が行き先ごとに別になっていているのだ。それぞれの乗り場にはそれぞれ建物が建っていて、行き先が大きく書かれている。そして、浮き桟橋として船が一台横付けされていた。船に乗り込むためには、その浮き桟橋用の船を通り抜けていくようだ。

 程なくしてボスポラスクルーズの乗り場を見つけた。切符売り場でチケットを購入する。650,000トルコリラ(500円くらい?)ついでに水なども売店で購入した。(50,000トルコリラ)

 クルーズの始まる時間まで少し間があったので、ガラタ橋を渡って向こう岸に行ってみることにした。エミノニュの向かいに「カラキョイ」という桟橋があるのだ。

 ガラタ橋は車はもちろんだが、歩いても渡れる。歩行者用に広いスペースが設けられている。歩いて渡れるとはいえ、かなりの長さだ。低い橋なので恐怖感とかそういうものはないのだが、時間がかかってしまう。

 橋からはたくさんの人々が釣り糸を垂れていた。はっきり言ってきれいとは言い難い海なのだが、釣れた魚はやはり食べるんだろうか? 釣れた魚をビンに入れている人もいたので、やはり持って帰って食べるのだろう。僕は魚の種類には詳しくないので、魚の名前まではよく分からなかった。

 橋を歩いて向こう側に行くと、カラキョイの桟橋が見えてきた。こちらはエミノニュに比べると、落ち着いた雰囲気だった。サングラス屋やムール貝屋などをひやかしてから、再びガラタ橋を渡ってエミノニュ側に戻ってきた。

(写真はエミノニュからガラタ橋とガラタ塔をのぞんだもの)


【鯖サンドでボスポラスクルーズ】

  戻ってきてみると、ちょうどいい時間になった。急いで船に乗り込まなければならない。しかしその前に腹ごしらえをしなければ。お目当ては桟橋近くで売っている「鯖サンド」だ。その「鯖サンド屋」は、船を岸壁に沿うようにして浮かべ、その上で営業している。船の上で鯖を開き、すぐに焼いてサンドイッチにするのだ。そしてそれを岸壁の柵越しに売るというわけだ。実にアジア的な香りのする商売だ。それでいて、どこかベネチアのゴンドラを連想させるようなヨーロッパのに負いも混じっている。トルコならではの風情を感じた。

 早速注文してみる。一つ150,000トルコリラ(約114円)だった。手渡されたそのサンドイッチは、ずしりとした重量感がある。岸壁の柵に、何か香辛料のようなものを容器に入れてくくりつけてあったので、見よう見まねでそれを振りかけてみた。そしてほうばる。

 ネタが新鮮なせいか、とても美味しかった。カッパドキアでは徹底して肉料理(ケバブ)だったので、何だか懐かしい。そう、ウフララ渓谷の時以来、2回目か・・・。ボリュームの方も、思ったよりあってこれだけで結構おなかがふくれるかも知れない。

 早速、僕らは水と鯖サンドを手に、ボスポラスクルーズの船に乗り込んだ。浮き桟橋になっている船を通り抜け、客席へ向かう。実際乗り込んでみて、思ったより大きな船なので驚いてしまった。

 船は2階建て構造になっていた。上に行ったりしたに行ったりしてみたが、結局2階席に陣取った。座席はほぼ満杯と、盛況ぶりを見せていた。トルコ人だけではなく、外国人観光客の姿も見えた。

 まずは腹ごしらえにと鯖サンドをぱくつく。これがなかなか美味しい。香辛料をもっとかけていけばよかったかなと、思いながらも一挙に食ってしまった。鯖という日本でもポピュラーな魚を使いながら、その味付けや風土がそうさせるのか、実にトルコ風であった。そしてペットボトルの水をぐびぐびと飲み干した。腹は満足した。

 そのうち船はしずしずと動き始めた。クルーズの始まりだ。

 

 

 

 

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