トルコ旅行記15 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】



第15話
1997年7月11日 第7日目 イスティクラール編

 

【タキシム広場】

 このまま終点まで乗っていけばエミノニュに戻ることが出来る。しかし、それでは面白くないので、久保と相談して途中で下りることにした。このあとイスタンブール新市街にある「タキシム広場」に行くつもりだったので、ドルマバフチェ宮殿横で下りることにした。もちろん宮殿を見学できればしたかったのだが、既に閉館している時間だった。残念だが、まっすぐタキシム広場に向かうことにしよう。

 船は1時間ほど航海して「ドルマバフチェ宮殿横」に到着した。船着き場は思った以上ににぎやかだった。船を下りて少し歩くとバスやドルムシュがたくさん並んでいる広場に出た。バスターミナルのようだ。

 ターミナルの横に切符売り場があったので、切符を購入する。50,000トルコリラ(約38円)だった。そして大きな通りに出て「タキシム広場方面行き」バスを待つった。しかし意に反して、バスがなかなか来なかったのだ。バスの数自体はたくさんあるのだが、タキシムとはっきり書いてあるものはなく、かなり待って乗り込むことが出来た。初めての地でバスに乗ると、往々にしてこういうことになるのだが、それにしても効率が悪かった。単に研究不足だったのか、それともバスという乗り物はこういうものなのか・・・或いは、トルコがこういう国なのかも知れない。これくらいでいらいらしていたら、やっていけないのかも知れない。そう思うと気が楽になった。

 バスは坂道をいくつかこえて、タキシム広場に到着した。広場に来るのは初めてだったのだが、ほとんどの人がここで降りたので迷うことはなかった。

 写真で見たのと同じで、とても近代的な広場だった。周りの近代的なビルの雰囲気からすると、ヨーロッパのビジネス街といった感じだ。広場の大きさはそれほどでもなく、比較的こじんまりとしていた。

 バス待ちで疲れていたこともあって、ベンチに座って久保と話をしていると、早速、靴磨きの子供が集まってきた。カモだと思ったのだろうか? その子供たちは知っている英語を総動員して話しかけてくる。トルコ語で「ヨク」(ない、いらない)と何回も言って、やっと追っ払うことが出来た。

 さて、休憩も終わったことだし、ここから歩いて「イスティクラール通り」を散歩することにしよう。イスティクラール通りはタキシム広場から南に伸びているのだ。

 タキシム広場を南の方へ歩いていくと、路面電車(トラム)の線路が見えてきた。(写真)円形になっており、ここで180度方向転換するようになっている。そしてちょうど電車がぐるりと回っているところだった。この路面電車は、このタキシム広場を起点にイスティクラール通りの上を走っているのだ。


【イスティクラール通り】

 イスティクラール通りは基本的に「歩行者天国」だ。車は走っていない。そしてその歩行者天国の真ん中を路面電車がのろのろろ走っているのだ。道幅はそれほど広くはなく、ヨーロッパの普通の街並みを想像してもらえればいいだろう。地面は石畳で覆われていて、この点でもヨーロッパ的な雰囲気を感じることが出来る。

 通りの両側は背の高いビルが並び、その1階部分が店になっていた。僕らはそれらを見ながらぶらぶらと歩いていった。

 そしてCDショップを見つけたので、中に入ってみる。ヨーロッパのCDもたくさんあったが、もちろんトルキッシュポップスもたくさんあった。ぜひ手に入れたいと思っていたのだ。

 音楽というのは、やはりその国の文化を知る上でとても重要なものだ。現地の人たちがいったいどんな曲を聴いているのか。どんなメロディーに心を動かされているのか。それらを知ると、彼らのメンタリティーの一端をかいま見ることが出来るような気がするのだ。

 店の中には客がたくさんいて、しきりに物色していた。CDももちろんあるのだが、トルコではカセットテープの方が主流のようだった。値段も安いようなので、テープを何本か買って帰ることにしよう。

 そう思って棚に並んでいるカセットを眺めてみたのだが、どれがいいのかさっぱり分からない。当たり前だ。仕方ないので、ちょうど横に若い店員(男)に聞いてみることにした。

「あのー、今トルコで流行っているのはどれでしょうか?」

 店員は少し考えると、いくつかの候補を選んでくれた。女性のものもあるし、男性のものもあった。なるほど。

「では、あなたのお薦めはどれですか?」

さらに付け加えてこう聞いてみると、その店員はとても嬉しそうな顔でニッと笑い、

「私の・・・ですか?」

と言いながら、さらにいくつか選んでくれた。僕はそのお勧めの中からいくつか選び、さらにジャケットのきれいなやつをいくつか選び、購入した。

  

 CDショップを出て、さらに南に向かってイスティクラール通りを歩いていく。その途中で市場の入り口のようなところを見つけたので、少し道をそれて寄ってみることにした。そこはエジプシャンバザールのような食料品や香辛料が中心の市場で、レストランもたくさんあった。夕食はこのへんのどこかってことかな。

 食事の時間までには少し時間があるので、お茶でも飲もうかという事になった。しかし、カッパドキアやカイセリでも苦労したように、イスタンブールでもいわゆる「喫茶店」「カフェ」というものはなかなか見つからない。このイスティクラール通りも同じだった。レストランはたくさんあるのだが、「お茶」がメインの店がないのだ。これも文化なんだろう。しかし、本屋の2階が喫茶スペースになっている店があったので、そこで休憩することにした。

 今日はこのままどこかで飯を食べて帰るとして、明日以降どうするかを相談しなければならなかった。久保は買い物をしたがっており、「グランバザール」には行かなければならない。しかし、そのあとは特に考えていなかった。グランバザールの近くに有名なモスクがあるのでそれに行ってから、「アジア側」に渡ろうか。そんな話をした。トプカプ宮殿やブルーモスクのある旧市街も、今いるイスティクラール通りのある新市街も、両方とも「ヨーロッパ側」だ。ボスポラス海峡東側の「ハイダルパシャ」「ユスキュダル」に行ってみるのもいいかも知れない。

 休憩も終わったので、食事に行くことにした。通りに出てみると路面電車(写真)が動いていた。せっかくだから乗ってみようか。そう思って、南の終点まで歩いて行った。

 南の終点はちょうど地下鉄乗り場の真ん前だった。既に電車が停まっていて、客が何人か乗り込んでいた。地下鉄駅コンコースにある切符売り場で切符を買い、路面電車の一番後ろのデッキに体を滑り込ませた。

 この路面電車は旧市街に走っているものとは違い、とてもクラシカルな造りをしている。前と後ろにデッキが付いていて、そこに一旦上ったあと、中に入るドアを開けるのだ。つまりデッキ部分は屋根と正面の壁(窓)は付いているが、両側面は開け放たれた状態になっている。そこに蛇腹式で開け閉めできる金柵が付いているのだ。旧市街の電車は、いわゆる「軽便鉄道」に分類されると思うのだが、このイスティクラール通りの電車は、文字どおり「チンチン電車」だ。

 僕らが乗り込んですぐに、電車が動き出した。スピードはさほど速くなく、のろのろとしている。ところで、途中何カ所かスピードを緩めるたりするのだが、そのたびに子供がデッキに上がり込んでくる。或いは電車の最後尾にぶら下がるのだ。子供が飛び移れるスピードなわけで、その「のろのろぶり」が分かると思う。もちろんタダ乗りなんだが、子供はそういうわけではなく、ただ遊んでいるようだ。

 先ほどの市場近くに来たので、僕らも電車から飛び降りた。そして市場の奥の方に行き、レストランで食事をとった。僕としては、もっと庶民的なところでもいいと思っていたのだが、久保のたっての願いで高めのところでとった。本当に高かった。


【トルコにもこういうところが・・・】

 食事が終わって、再びぶらぶらとイスティクラール通りを南下していった。そして先ほどの路面電車の始発駅をこえ、さらに南に下っていった。

 路面電車の駅をこえると、急な下り坂になってきた。楽器店で有名な界隈だ。そしてこの坂を下っていくと「ガラタ塔」がある。ガラタ塔は新市街の丘の中腹、金閣湾に面して建っている、いわゆる「監視塔」だ。円筒形をしている。太い巨大な土管を立てて、それに「円錐形の帽子」をかぶせた感じだ。歴史も古く、観光名所になっている。夜もやっているようなので、ちょっと覗いてみようと思ったのだ。

 最初は建物の陰に隠れて場所が分かりにくかったが、近づくにつれてその巨大な姿が夜空に浮かび上がってきた。思ったより大きな塔だ。塔の根元まで行ってみると、その周りが広場になっていて、子供たちが夜だというのにはしゃぎ回っていた。レストランもあった。しかしかなり暗く、正直言って治安に不安を感じる雰囲気だった。僕らは男二人だからまだいいが、女の子同士で来るのには少し問題がありそうだ。

 早速階段を上って中に入ってみる。するととてもきれいなロビーがあって、正面にエレベーターが見えた。エレベーターは動いているようだ。早速切符を買おうと受付にいる兄ちゃんに確認すると、現在はレストランを利用する客しか入れないと言われてしまった。夜になるとこのようになるらしい。今さらレストランもないので、今日のところは帰ることにした。

 そこからさらに坂道を下っていく。まっすぐ行くと「ガラタ橋」に出るはずだ。しかし、ますます寂しくてまるでスラムのような雰囲気になってきた。男二人でも危ないかも知れない。周りに人などに気を付けながらさらに下っていった。するとそういう中で妙に明るく、華やいでいて、かつ猥雑な雰囲気の通りが見えてきた。ガラタ橋の方向からすこし左にそれる感じの坂道だ。さっきまで人がまばらだったのに、この細い道だけは妙に人が多く、活気がある。いったい何なんだろう? 不思議に思ったので、ちょっと覗いてみることにした。

 その細い通りの両側には食べ物屋なのか飲み屋なのかよく分からないが店があり、人も多かった。なんか変な感じだ。そしてさらに下の方に降りていくと、なんと行き止まりになっていたのだ。こりゃいったい何なんだ? 仕方ない、戻るしかないのか。そう思って坂道を戻り始めたとき、左手になにやら塀で囲まれた一角があるのに気が付いた。そして金属製の大きな門がついている。この辺りはほとんどが道に面して建物が建てられているので、このように塀で囲った一角はとても珍しい。そして子供たちがその門から中をのぞき込んでいる。はて、ここはいったい何なのか? そう思って僕も塀の中を覗いてみると、門のそばに小屋が建っていた。小屋には「警察」と書かれていた。なんと「交番」ではないか。おお、こんなところに警察が。道を聞いてみよう。そう思って二人で門の中に入り、警察小屋の方にまっすぐ歩いて行った。

「ガラタ橋の方に行きたいんですが・・・」

 久保が英語で切り出た。すると何故だか分からないが、交番にいた警官は急に迷惑そうな顔になって、「あっちに行け」と言わんばかりに手を振りながら僕らを追い立てようとするのだ。おいおい。なんなんだ、その態度は。

「すいません、ガラタ橋の方へ・・・」

 久保がしつこく食い下がるが、警官は何も言わずただただ手振りで、帰れという仕草をした。久保も必至になってさらに食い下がった。しかし、僕はここでピンときたのだ。ゆっくりと振り返ってみると・・・・僕の目に飛び込んできたのは、下着のみを身にまとったでっぷりとした白人女性(恐らくロシア人女性)数人が、建物の一階に立っている姿だった。そこはいわゆる「遊郭」「赤線地帯」だったのだ。金属製の扉は遊郭の入り口だったわけだ。

 明るく照らし出されたその姿は、アムステルダムの「赤線地帯」で見た「飾り窓」を彷彿とさせるものだった。うわ、えらいこっちゃ。なるほど、治安が悪そうなのもうなずける話だ。あわてて久保の肩をたたいて振り返らせてやる。久保も一瞬で事態を把握したらしく、そそくさとその場を立ち去った。

 トルコはイスラムの国なので「こういうところは無いのでは」と漠然と考えてはいたのだが、やはり世界中どこに行っても同じなんだ。なんだか妙に納得がいってしまった。イスラム教徒もキリスト教徒も仏教徒もみんな考えてることは同じなんだ。しかし遊郭の入り口に警察があるとは、ちょっと驚きだ。どういうことなんだろう。

 その赤線地帯から一端もとの道に戻り、再び坂を下っていくとちょうどガラタ橋のたもとに続く道に出た。大きな通りを渡り、ガラタ橋に出る。そして橋を渡るとボスポラスクルーズの船が出ている「エミノニュ桟橋」だ。エミノニュからは路面電車に乗って移動し、「ホテルアヤソフィア」まで戻った。大変な一日だった。


【アヤソフィアは日本人のたまり場だった!】

 ホテルに戻ると、1階のスペースに数人の男女が集まって話をしていた。なぜか全員日本人だった。不思議に思いながらも一旦3階の部屋に戻って荷物を置き、再び1階に降りてきた。なんだか「ドミトリー」な雰囲気だ。

 早速、話の輪に加わる。主なメンバーは、メガネをかけた大柄な男性「メガネ君」、まるでインドの修行僧のような男性「インド君」、奈良で医者をやっていたという男性「お医者さん」などだ。それに大学生が数人だ。とりあえず、何でこんなに日本人がたむろしているのか聞いてみると、ここは「イスタンブールの有名な日本人のたまり場」だというのだ。そうだったのか。なんたる偶然だ。「インド君」によると、イスタンブールにはこの「アヤソフィア」の他に「アナドール」「シンドバッド」という日本人のたまり場があるらしい。どっからそんな情報を仕入れてきたのか聞いてみたら、バックパッカーの中では結構有名らしいのだ。ここに集まっている人はいわゆる「口コミ」で集まったというわけだ。因みにこの「インド君」はインドからパキスタン、イランを経てトルコに入国してきたらしい。もう半年近く旅しているそうだ。そして、その途中でこの「アヤソフィア」のうわさを聞き、訪ねてきたというわけだ。

 ところでこの「アヤソフィア」に日本人が集まる理由のひとつに「情報ノート」の存在がある。早速探して見てみると、周辺諸国のビザの取り方とか安宿情報、トルコ国内の見所などかなり詳しい情報があった。日本人の多いドミトリーなどにある典型的な「情報ノート」だ。ここに泊まった人たちが、書き残していくのだ。

 パラパラとめくっていくと、先ほどの「遊郭」の情報も載っていた。なんと政府公認らしい。それで警察が門のところにいたのか。因みに違法行為ではないので、安心していける・・・・・か。なるほど。ところで「インド君」が知りたがっていた情報はこういうものではなくて、「学生証発行」に関することだった。はっきり言って違法行為なので詳しく書くことは出来ないが、イスタンブールはかなりルーズらしい。これからヨーロッパには行っていく人は、持っていて便利なものだからね・・・。そのほかにも、イスタンブールで「プリクラ」を発見したとか、そういう面白い話がたくさんあった。

 それから蛇足になるかも知れないが、「メガネ君」は数日前にいわゆる「睡眠薬強盗」にあったそうだ。市場で知り合ったトルコ人と一緒に飲みに行って、気が付いたら海岸で寝ていたらしい。もちろん貴重品をとられていた。睡眠薬と酒を一緒に飲んだせいか、見つかった日はいわゆる「ハイ」な状態で、警察の取り調べにもまともに対応できない状態だったそうだ。今は正気に戻っているが、命を取られなくてよかったものだ。こういうのは、話としてはよく聞くが、実際に被害にあった人に会うのは今回が初めてだった。やはり気を付けなければならないと思った。

 結局、その日は夜遅くまで話し込んでしまった。そして面白い話をたくさん聞くことができた。バックパッカーの人なら、ぜひここに宿泊することをお勧めする。

 

 

 

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