トルコ旅行記16 【イスタンブール・カッパドキア旅行記】



第16話
1997年7月12日 第8日目 バザール・アジアサイド編

 

【ホテルアヤソフィアの朝】

 8日目の朝を迎えた。明日、イスタンブールを発って日本に帰らなければならない。一日フルに使えるのは今日が最後だ。見落としたところや、行きそびれたところを中心に回るつもりだ。

 まず行かなければならないのは「グランバザール」だ。グランバザールについては、もう説明の必要はないかも知れない。イスタンブールにある世界的な市場の名前だ。有名な観光地で、日本語をしゃべる人も多いらしい。僕は買い物には全く興味がないのだが、とりあえず名前の知れたところなので見てみたい。それに昨日行きそびれた「ガラタ塔」だ。時間があればイスタンブールの「アジア側」にも行ってみなければ。

 3階の部屋から1階のスペースに降りると、既に昨日の連中がたむろっていた。ドミトリーが1階にあるので、自然にそうなるらしい。挨拶をして、今日の予定などを話し合った。ドミトリーの連中、つまり「メガネ君」や「インド君」は時間が有り余っているので、きりきり観光したりすることはない。今日も特に予定はないようだ。因みにインド君はビザの発行手続きなどを申請中のようで、出来次第取りに行くといっていた。

僕らの今日の予定などを話すと、「メガネ君」が金閣湾の上流にある「ピエールロティのチャイハネ」がよかったので、時間があれば行ってみたらとアドバイスをくれた。時間があれば行ってみたいが・・・。(結局行けなかった)


【グランバザールへ】

 さて僕ら二人は、まずグランバザールに向かうべく、路面電車のスルタンアフメット駅に向かった。今日もいい天気だ。朝だというのに日差しが眩しい。

 駅の周辺の店は既に営業を始めていた。無くなりかけたカラー写真のフィルムを買ったり、旅行会社のヨーロッパ各方面行き格安チケットの値段などを確認した。因みに、このスルタンアフメット駅周辺は、旅行会社が集中している。トルコ国内はもちろん、世界各地への切符を手配できるのだ。値段もかなり安い。特にイスラム各国、地中海諸国への中継地点として利用価値があるのではないか。

 旅行会社の冷やかしを終えた僕らは、路面電車に乗って移動した。そして駅からは地図に従って歩いていった。

 市場の入り口はすぐに見つかった。入り口から中を覗くと、薄暗い空間のなかにたくさんの人が動いているのが見えた。さあ、入ってみよう。

 テレビなどで見たことがある人は想像がつくと思うが、このグランバザールは市場全体が大きな建物の中にある。普通の市場と違って低い天井に覆われているのだ。そして店がひしめき合うように並んでいる。道幅は思ったより広くとられていた。呼び込みの声がかかる。話に聞いていたとおり激しい呼び込みだ。貴金属の店、服飾の店、絨毯の店、両替屋、陶磁器の店、あらゆるものがそろっているように思えた。それが迷路のように無秩序に伸びている。そのため、すぐに方向感覚を失ってしまうのだ。

 しかし、ほんの5分ほど歩いただけで、僕のグランバザールへの興味はみるみる薄れていった。期待とは裏腹に、ワクワクさせてくれるものが全くないことに気がついたのだ。よくよく見てみると、歩いているのは観光客ばかりで、売られているものも「お土産」の延長線にあるようなものばかりだ。あえていえば「巨大なデューティーフリーショッパーズ」「歴史の名を借りた土産物店」といった感じだ。イスタンブールの庶民の息づかいは感じられなかった。完全に観光地化している。

 確かに有名なので、そういう意味では一度足を踏み入れてみるといいと思うが、はっきり言ってイスタンブールのスポットの中では「最下級」だ。いろいろ市内を見て回ったが、ここが一番面白くなかった。恐らくイスタンブール市民はここで買い物をすることはないだろう。そういう場所なのだ。Tシャツの店には「イスタンブール」とプリントされたものがたくさん並べられていた。こんなもの市民が買うわけないのだ。

 恐らく数十年前までは、庶民でごった返していたのだろう。そういう面影を感じられないことはない。しかし今は違う。何か歯車が狂った感じだった。歴史的な建物であることは間違いないのだが、今や空虚なハリボテと化しているのだ。ここにいても時間の無駄でしかないのだが、久保がなにやら貴金属を購入したいようなのでついていくことにした。

 グランバザールの中心部に、貴金属店が固まっている一画がある。ガイドブックによると、最も古くからある由緒正しいマーケットのようだ。独特の雰囲気がある。貴金属以外にも、本物かどうか定かではない骨董品などが並べられていた。

 久保はその中の一つに入り、小物入れなどを物色していた。光り物などがちりばめられた銀製のものだ。指輪が1個入るくらいの、ごくごく小さなものだった。久保は相変わらず光り物に目がない。カッパドキアでも宝石を購入していた。僕はそういうものには全く興味がないので、ただの傍観者となっていた。久保が何か購入したようなので、グランバザールをあとにすることにした。


【昼食はスタンドのケバブ屋で】

 グランバザールの次は「シュレイマニエ・ジャミイ」に向かうことにした。イスタンブール大学の横を抜けて金閣湾の方に向かうわけだ。しかし、迷路のような通路を歩いている内にすっかり方向感覚を失ってしまい、バザールの出口に立っても、いったいどっちの方角に出たのか分からない始末だ。地図とまわりの風景をなんとかあわせて見当を付けた。とにかく地図なしで入り込むのは危険だし、無駄が多そうだ。自分としては誰にもまけないくらい方向感覚には自身があるのだが、ここだけは別だ。

 グランバザールを抜け、イスタンブール大学沿いを北上する。この大学の北側に目的地の「シュレイマニエ・ジャミイ」があるのだ。本当は大学の中を通っていきたかったのだが、入り口が見つからないので仕方なく塀に沿って歩いていった。すると、大学と反対側、つまりグランバザール側に人が列をなしているのが見えた。なんだろう? 近づいてみると、「ケバブ屋」だった。そういえばそろそろ昼食の時間だ。おなかも空いてきたことだし、この列に並んでみよう。これだけ列が出来ると言うことは、多分美味しいはずだ。

 しばらく並んで久保の分と2人前を手に入れた。パンの大きさによっていろいろ値段があるようだが、僕らの買ったのは150,000トルコリラだった。そして近所にある店で水を購入し、ケバブを急いで口に運んだ。とても美味しかった。

 水を買った店のオヤジは僕らのためにビールケースで即席のイスを作ってくれた。僕らはそのケースに座って道行く人を眺めながらケバブをほおばった。道行く人は不思議そうに僕らを眺めていた。こんな事をする日本人は珍しいのかも知れない。


【シュレイマニエ・ジャミイ】

 おなかも満足したところで、再び北に向かって歩き出した。しばらく進むと、大学の塀の角に出た。西に向かって曲がっている。僕らも塀に従って西に方向を変える。そしてさらに進んでいくと、シュレイマニエ・ジャミイの入り口が見えてきた。中に入ってみることにした。

 中にはきれいに整えられた中庭があって、トルコの人々が休憩していた。なかなかいい風景だ。その庭を抜け、ジャミイの中に入った。ジャミイの中は特に珍しいものはなかったが、落ち着いていい雰囲気だった。

 再び中庭に戻り、少し休憩する。今日は歩き通しなので、少し足に疲れが出てきたのだ。旅も終わりが近づいていて、さすがにきつい。そうして中庭の芝生の中に入って休憩していたら、おじさんに追い立てられしまった。他のトルコ人たちがそうしていたので特に気にしていなかったのだが、どうやら立入禁止だったようだ。


【ハイダルパシャへ・・・】

 気を取り直して、さらに北の方に向かって歩いていくことにした。このまま北に抜けると金角湾に出る。エジプシャンバザールやガラタ橋の少し西よりの位置だ。

 そのまま進んでいくと、なにやら賑やかなところに出てきた。どうやら市場らしい。エジプシャンバザールの西側にも市場が広がっていたのだ。しかも面白いことに、この市場は食料品ではなく、大工道具であるとか家具などを売っていた。その他諸々の機械類。ジャンクものなども手に入れることが出来そうだ。

 そこからさらに歩いていくと、昨日来たエジプシャンバザールの横のイェニ・ジャミイ前の広場「エミノニュ広場」に出てきた。そこから例によって地下道をくぐり、桟橋の方に出ていく。そしてガラタ橋を通って金角湾を渡り、新市街・カラキョイの方に移動した。

 カラキョイからは、今、僕らがいるヨーロッパ側からアジア側の「ハイダルパシャ」まで行く船が出ている。今日はこれに乗ってみることにした。

 チケットを購入して乗り込む。かなり大型の船だ。こうやって船に揺られてみると、あらためてイスタンブールが海の街だというのが実感できる。前にも書いたが、香港などとイメージが共通するところだ。ただ、乾燥しているせいか、あまり海の匂いがしないような気がする。いや、もしかしたら街全体が海の匂いに包まれているので、慣れてしまっただけだろうか? 謎の部分だ。

 しばらく船に揺られていると、前方に大きな建物が見えてきた。ハイダルパシャ駅だろうか? ハイダルパシャ駅はアジア側の玄関になっていて、アンカラなどトルコ高原の各地へ列車が出ている。線路さえつながってくれれば、朝鮮半島まで続くアジアへの出発点なのだ。しかし、その大きな建物はハイダルパシャ駅ではなかった。なぜなら、船はその建物の前を通り過ぎてしまったからだ。

 それからしばらくして、今度は本物のハイダルパシャ駅が見えてきた。ガイドブックの写真と見比べてみる。どうやら今度は間違いなさそうだ。そして、船が駅の前に横付けされる。僕らは急いで降りる用意を始めたのだが、大半の客は降りる気配を見せなかった。どうやらここが終点ではないらしい。このまま乗っていってみたい気分ではあったが、どこまで行くのか分からないので、とりあえず降りることにした。


【ハイダルパシャ駅】

 船を降りたところはちょうどハイダルパシャ駅(右写真)の正面だった。恐らく、アジア各国から電車で来た客がここで船に乗り換えて、ヨーロッパ側のシルケジ駅まで向うのだろう。今は昼下がりだからか慌ただしく動く人は見えなかったが、朝の通勤時間帯には、急いで船に乗り込む姿を見ることが出来るのかも知れない。

 駅の構内に入ってみると、とんでもなく高い天井の空間に迎えられた。切符売り場などが見える。そこからさらに進んでいくと、駅のプラットフォームが見えてきた。シルケジ駅と同じで特に関門もなく、電車の停まっているところまで行けた。シルケジ駅よりは落ち着いた雰囲気のようだ。

 切符売り場の方に戻って時刻表などをみてみるが、国内路線が中心のようだった。アンカラ行きなどが出ているようだ。今回は時間の関係もあって鉄道に乗ることはなかったのだが、次回来たときにはぜひ乗ってみたいと思った。恐らく快適さという点ではバスに遠く及ばないだろうけど、そういうのを割り引いたとしても、何だか旅情をかき立ててくれるものがあるのだ。

 駅舎を出て、再び岸壁の方に移動してみると、若い人からお年寄りまで、いろんな年齢層の人々が集い、海を眺めながらおしゃべりをしているのが見えた。優雅なひとときだ。僕らも海岸近くの植え込みに腰を下ろし、トルコ人たちと同じように海を眺めてぼーっとしてみた。時間の流れがゆったりとしている。

 トルコに来てつくづく思うのだが、この時間の流れるスピード差はいったいなんなんだろう。これがもともと人間が持っていたスピードなのかも知れない。さすがにイスタンブールはカッパドキアに比べると格段にスピードが速いのだが、それでも日本とは比べられない。彼らにしてみれば比較的淡々と一日が過ぎているのだろうけど、僕らにはゆったりと感じてしまう。僕ら日本人は豊かさと引き替えに、いろんなものを失っているなぁと思うのだ。

 このまま日没までぼーっとしていてもよかったのだが、そうもしていられない。僕らは旅行者なのだ。


【ドルムシュでユスキュダルへ】

 岸壁沿いに人の流れに沿って歩いていくと、ドルムシュがたくさん停まっているところに出た。どうやらドルムシュのターミナルらしい。これはちょうどいい。このまま船に乗ってエミノニュまで戻るのはあまりにも芸がないので、このドルムシュを使って「ユスキュダル」まで行ってみることにしよう。

 因みに、ユスキュダルはハイダルパシャと同じアジア側に位置している街で、ハイダルパシャの北にある。ちょうど「ドルマバフチェ宮殿」の対岸あたりだ。そこから船でヨーロッパ側に戻ればいい。

 早速、ユスキュダル行きのドルムシュを探す。客待ちをしているドルムシュの運転手たちに、

「ユスキュダル! ユスキュダル!」

と言ってみると、みんなして指さしてくれたので乗り場はすぐに分かった。

 ドルムシュには、既に数名乗り込んでいた。そこに僕らが乗り込む。因みにドルムシュとは乗り合いタクシーのようなもので、定員になるまで出発しない。バスともタクシーとも違う乗り物なのだ。僕らが乗り込んでもまだ定員を満たしていなかったので、さらに客待ちを続けるようだった。他の客たちは僕らが乗り込んでも特に気にとめるような態度は見せなかった。外国人に慣れているのだろうか。

 少し待っていると、そのうちさらに数名が乗り込んできて、無事定員となった。すると運転手がどこからともなく現れて、出発となったのだ。

 昔のドルムシュは、本当にタクシーのような大型の車に乗っていたようだが、現在ではミニバスに近い形をしている。乗り心地の方は普通の乗用車並だった。香港や中国のミニバスとは、その辺が少し違うようだ。そしてとにかく、バスなどとは違い、目的地までどんどん進んでくれるので気持ちがいい。そんなことを考えている内に、あっという間にユスキュダルに到着してしまった。値段は20,000トルコリラだった。

 いや、正確にはそこがユスキュダルなのかどうかははっきりしなかったのだが、みんな一斉に降りたので、多分、終点のユスキュダルなんだろうと判断したわけだ。


【ユスキュダルの街】

 この街もハイダルパシャやエミノニュと同じで、海に面した街だった。今、僕らが降車したバスターミナルの目の前に船乗り場があって、対岸のヨーロッパ側に渡ることができようだった。港には船が横付けされていて、人々がせわしなく動いていた。ハイダルパシャに比べると、かなり活気に満ちている。時間の流れるスピードも速く、生活の匂いがぷんぷんとする街だ。

 解説書によると、このユスキュダルはビザンチウムとほぼ同時期に建設された歴史のある街だそうだ。その桟橋はアナトリア地方からの物資の集積地として栄えていたらしい。実際今見ても、そういう匂いというか、雰囲気が感じられる。ただし、城壁によって囲まれていたコンスタンチノープル(トプカプ宮殿やアヤソフィアがあるところ)と違って、戦争の度に破壊されたという事だ。

 海側から山手の方に目を転じると、バスターミナルの裏手、少し高台になっている所に、桟橋を見下ろすようにモスクが建っていつのが見えた。古びたモスクだ。地図によると「ミフリマフ・ジャミィ」のようだ。ここも歴史のあるモスクで、1547〜48年に建てられたものだ。中に入ってみると、ちょうど桟橋とバスターミナルがよく見えた。ここで再び休憩する。しかし、黄色人種が珍しいからか、あるいは招かざる客を警戒しているのか、やたらとじろじろ見られてしまった。確かに「この辺り」まで来る観光客は少ないのだろう。

 

 

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