みっちーとの出会いから現在にいたるまでのことを形に残したくて書きました。
そして現在に追いついた時には未来に向けてのいろいろも

The story never stopped!!

 



目 次

【第一章・出会い】【第二章・初生みっちー前】【第三章・パワステ2days】

【第四章・ネットデビュー】【第五章・名古屋ドーム】【第六章・1997年、夏。】

【第七章・夏の終わり】

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【第一章・出会い】

『及川光博』というアーティストを認識したのは1996年の冬頃だったような、会社の同僚がわたしに「絶対好きそう〜」と教えてくれました。当時のわたしはほとんど捨てられたも同然ながら某岡村ちゃんへ貞操を守り続け、なんの興味もその時はわかなかったのです。紹介してくれた彼女の「僕みっち〜」という物まねがイケてなかったせいもありますが(笑)ブラウン管に映った彼の姿を初めて見て一目で恋に落ちたのはそれからだいぶ経ってからのことでした。

あれは
1997年の3月も半ばを過ぎたある日の土曜日。テレビ東京で放送されいる「TOWER COUNTDOWN」のエンディングでした。発売前の「三日月姫」のPVが流れていたのです。しかもあの精神科医Mのシーンから!それをみた途端わたしの目は釘付けになりカラダに電流が流れました。本気(と書いてマジ)で。PV自体はあっけなく終わったのですがハートに火がつくには十分な時間でした。もう頭の中はみっちーのことでいっぱい。
初めてみる動く姿、初めて聴く声。なにひとつ予備知識もなく唐突に訪れた出会いはあまりにも衝撃的でした。(白衣の医師から王子、お姫様まで)そしてその瞬間、底なし沼へと堕ちたのです。

翌週発売の「ぴあ」にカラーで紹介されたこのPV。一人何役もこなすその麗しいキャラクターの数々。とにかく及川光博というアーティストについて知りたくてたまらなかったのですが、テレビ、ラジオ欄、雑誌を手当たり次第さがしても、大した情報は得られませんでした。以前みっちーのことを教えてくれた同僚は既に会社を退職していてそれっきり。当時特撮モノでたまに利用していたニフティサーブで問いかけても反応はなく、とにかくCDを入手、そして近々あるというパワステ2daysのチケットも即購入。今では信じられないことですが一週間前でも発売中だったのです。その後は既発CDすべてと、初日から場所を変えては何度も借りることになるレンタルみっちーで最低限の予習を済ませ、記念すべき初生みっちーに向けて、期待と不安を胸に落ちつかない日々を過ごしておりました。

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【第二章・初生みっちー前】

パワステの日が刻々と近づくある日、SSTVで渋谷公会堂でのイベントの模様が放映されました。初めてしゃべるみっちーを見ても「やっぱり間違いない」と思いましたね。PV1曲だけでなにひとつみっちーのことを知らなかったけれどあのMCの王子っぷり。声を高らかに「ベイベー」と呼びかける姿、エレガントでキュートな一挙手一投足、表情のなにもかもがツボにはまりました。彼に出会う以前の自分をもう思い出せないくらいにのめり込んでしまった(笑)。

今思えば最初に惹かれた要因はルックスと得体の知れないキャラクターでした。それだけのインパクトが良くも悪くもあったから。だけど時を同じくして開始するラジオ
「みっちー増殖ナイト」(ベイFM)が回を重ねていくたび次第に見えてくる及川光博という人間像。ただ者ではない。インディーズデビューを含めればすでに軽く1年は活動しているというのに今まで気づかない、いや気づけなかったなんてわたしのバカバカ。。。

それからというもの数年来手に取ることもなかった音楽雑誌をひとつひとつチェックし、ほんの小さな記事さえもバックナンバーを含め買いあさりました。同時にハマった会社の同僚とふたりして神保町に行きお金と相談しながら大荷物になった日のことが懐かしく思い出されます。それほどみっちーの記事をリアルタイムで見つけだすことは当時困難だったのです。

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【第三章・パワステ2days】

とうとうライブの当日が来ました。4月11日「生ハムとメロン」12日「嘘とロマン」はとにかく驚きの連続。だっていきなり「血管と白夜」シルエットで艶めかしく登場するみっちーの姿態は、予習範囲外だったから。なんてエロティック!でも次々と歌い踊るみっちーはキラキラとした宝石のように角度を変え様々な輝きを見せてくれました。

時には挑発的に、時には切なげに。人の肩越しに見え隠れするその姿にいつしか飛び上がって黄色い声援を飛ばしていたわたし(笑)。奇抜な衣装(ピンクシャワシャワマンにメロンメロンマン)、白衣の精神科医、ヒラヒラにスケスケをああも着こなしちゃう見事さ!夢のような時は無情にも過ぎ、汗だくになりながらも心地よい疲労感に包まれ新宿を後にしました。

余談ですが会場ロビーではCDを販売していて購入者にはサイン色紙がおまけについたのです。ひらがな、漢字、英字バージョンなんてあって選べたの。すでに全部持っていたわたしですが当然のごとく買い求めました(笑)。そんなこんなのコレクションは
こちら

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【第四章・ネットデビュー】

この頃にはパソコン通信での問いかけにもいくつかレスがつくようになり、ある日インターネットのホームページにみっちー専用の掲示板がオープンするとの書き込みを発見しました。でも悲しいかなインターネットには接続できない。それでもみっちーへの愛ゆえに当時の使用機キャンビー(ウインドウズ3.1)から苦労の末アクセス成功!テレホも入ってない時期にあれこれニフティ経由でダウンロードして、、、今思い返してもあの情熱はすごい。しかもメモリ7.5M、HD210MBのでよ(笑)。

記念すべきネットデビュー4月15日以来、最初はひとりチャット状態でしたがひたすら書き込みを続けること数日。徐々に書き込みするメンバーも増えてきました。(ここで出会った方々とはこの掲示板が都合により閉鎖になった後も民族大移動して今だにみっちー談義できることは幸せです)ずっと前からマニアの方のお話とか、貴重な男子ベイベーのご意見とか、書き込みにレスがついたりもして。ほんとに毎日帰宅してのぞくのが楽しみでした。

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【第五章・名古屋ドーム】

そんな毎日を過ごしながらもすでにみっちー欠乏症は悪化。生みっちーを一回体験してしまったら最後、カラダのブレーキが効かなくなったかのよう。ファンクラブ「S.D.R」に入会し、次のライブ、4月27日名古屋ドームでの「ユングメッセコンサート」へのチケットを気がつけば取っていました。このイベントに合わせFCの会報では「死んでもいい」の時にみんなで白いポンポンを振ってみっちーを驚かそう!という企画があったのです。後から聞けば名古屋テレビのレギュラー番組内でみっちー自ら作り方まで指導してたとか。ちっとも秘密ではなかったのですけどね。

初めての名古屋、初めてのライブ遠征。いいオトナ二人が新幹線でポンポンをさく姿は隣の座席のサラリーマンにどう映ったのでしょうか(笑)。みっちーはいきなり一番手に登場。しかもドームなだけにドでかいスクリーンに浮かぶシルエット!そうあの
「血管と白夜」で幕開け!スタンド最前列(といっても豆みっちー・涙)で狂喜乱舞するサル2匹野放し状態(笑)。他バンドのファンの方々もみっちーのステージには度肝を抜かれていたようです。(ちなみに対バンはRAZZ MA TAZZにシャ乱Qでした)

後ろの人ごめんなさいってな感じで飛ぶわ跳ねるわ踊りまくるわの30分弱。ポンポンをすぐさま振りたいところをぐっと堪えて「死んでも?」「いいー」!まばらながらも広いドーム内に点在するポンポンベイベーの姿にみっちーならずとも感動を覚えました。来てよかった。名古屋よ今夜はありがとう!そう心の中でくり返すわたしでした。

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【第六章・1997年、夏。】

頭の中はみっちーでいっぱい。毎日の生活の中にほんの少しでもみっちーの欠片を探そうとしていたように思います。しばらくは生みっちーもお預けでさびしい日々を過ごしましたが、5月29日のデビュー1周年を掲示板で祝いつつじっとガマン。やがて満を持してみっちーの存在が音楽雑誌やCDショップのフリー雑誌などにも載るようになり、忘れられない1997年の夏が始まりました。2度めの名古屋遠征は7月26日名古屋市民会館「術2(すべすべ)」というなんだかドキドキするタイトル通り、熱く燃えた興奮のライブでした。今までのかわいくってうっとり〜なみっちーとはまた別の側面を見せられた最初の夜と言えます。

その後には
7月16日発売のシングル『その術を僕は知らない』の某新☆堂購入特典トークイベントがものすごい倍率ながらも当選し、当日8月24日は記念すべきみっちー掲示板初オフも同時開催(笑)。間近で見た生みっちーはとっても細くてかわいくって、冷房効きすぎで始めは震えてたものの小さなホールは熱気ムンムン。薔薇の乗ったテーブルとイスが用意されていたけど座ると後ろのベイベーが見えなくなるからって終始立ち通したみっちー。ますます大好きになりました。ほんのちょっとだったけどアカペラでSNOW KISS歌ってくれたし大感激。またあんなインストアイベントあるといいのにな。。。

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【第七章・夏の終わり】

みっちーへの想いはもはや止まるところを知らず、そのままのテンションで8月29日の「ひとりのビッグショー」へとなだれ込みました。お台場のレインボーステージは夏晴れ。空にはいくつものアドバルーンが浮かび、会場内にはかき氷や飲みものなどで気分はもう夏祭り。当日の模様はライブビデオ「踊っていただけますか」でお分かりの通り、生涯忘れられない夜となりました。あの時間を共有できたことを幸せに思います。

広いステージを、花道を所狭しと走りまわるみっちー。ステージも客席も一体となって鳥肌モノの「死んでもいい」。今でもビデオを見返すことがあるけど時折画面の片隅に映る自分を見つけると、みっちーの作り出した芸術作品の一部になった気持ちがしてなんだかうれしかったりする。ただの自己満足だけど(笑)。

みっちーは輝いていました。キラキラとした虹色の汗がターンをきめるたびに飛び散って眩しかった。スーパースターの風格がすでに漂い、手の届かない、別の世界の人だってわかってる。しょせんは現実で道の交わるはずもない存在。そんなアイドル(偶像)と割り切ってしまえればもっと気楽に楽しめるんだと思うけど、だめなんだ。ほんとにこんな気持ちは初めて。恋する気持ちが愛のようなものに変化を遂げた夏でもありました。

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TO BE CONTHINUE

 

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