97年3月はこの7公演

 


十六夜社 第5回公演「朝日のような夕日をつれて」

江古田ストアハウス 3/5〜9  
3/6(木)観劇。座席 自由

第三舞台の楽日の3日後に初日を開けるという暴挙に出た、十六夜社版「朝日のような夕日をつれて」。
第三舞台版は否定を乗り越え、可能にかけて立ち続けよう、輪廻転生、生まれ変わりを信じ、希望を持って前向きに待っていよう、という話であったが、十六夜社版は第三舞台版のラスト“みよ子の遺書”から始まる。人物設定、所どころの台詞はオリジナルを使用しているものの、まったく別の物語となっている。続・朝日という感じだろうか。男達は相変わらず遊びで時間を潰し、ゴドーとみよ子を待っているが、それを物語の中心には置かず、みよ子を登場させ、みよ子にもゴドーを待たせる事により、みよ子の内面的な何か(自分)を探す物語になっている。それは昏睡状態のみよ子の頭の中の世界かもしれないし、宗教に走る心なのかもしれない。または狂気の世界かもしれない。自分の内なる世界のゴドーを待つみよ子。そのみよ子を待つ男達という構図になる。
ラストでみよ子は「ゴドーさんは来たよ」と言う。それは何なのか具体的には語られない。“探す”ということで「朝日」の新しい魅力はあったものの、みよ子の世界が“待つ”のではなく(実際は待っているのだが)走って自分を探してしまった感じがして「ゴドー待ち」の不条理さが薄れてしまった感じがしたのは残念。
総合的にはラストの台詞の格好良さで第三舞台が首一つリードで本家の面目が保たれたという感じ。
十六夜社の役者では高畠史朗は注目株。ルックス・声ともにいい。今後期待特大。

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第2回OMSプロデュース「ともだちが来た」

新宿THEATER TOPS  3/4〜9
3/8(土)観劇。座席 自由

作 鈴江俊郎 演出 岩松了
暑い夏の日、海で自殺した高校時代の友人が<私>を訪ねて来るという物語。
<私>は驚きもせず「嬉しいよ」と言って迎え入れる。そしてなにげない会話が続く。そこには青春のやるせなさが語られる。それが何時間の間の出来事か、何日間の出来事なのかわからない。一切が<私>の白日夢なのか、<私>の頭の中でカリカリと音を立て始めた狂気が作り出した妄想なのか、それとも実際に<友人>が訪ねてきたのか、わからない。その非現実的な空間が語るものは何なのであろうか、わからぬまま話は進む。

劇中に使われる小道具は効果的で、自転車はこっちの世界とあっちの世界をつなぐ存在であったし、麦茶は“生きている”証だったり現世への決別を表現していたりした。演出のうまさを感じずにはいられなかった。
ただ最後になって死んでしまた人間の悲しみが伝わってしまい、主人公が<私>から<友人>になってしまった場面はいただけない。見ている側の気持ちがごちゃまぜになり過ぎて、中途半端なものになってしまった。
公演時期も冬ではなく、かげろうが立つ程の暑い日に行って欲しかったと言うのが本音。吹越満の演技は良かったのだが、暑さがもっと伝わってくると、又違った感情で観れたのではないだろうか。

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珍しいキノコ舞踏団
「もうお陽さまなんかでなくてもかまわない。〜ジュリロミMIX〜」

パナソニック・グローブ座 3/7〜9 
3/8(土)観劇。座席 A-12

以前の作品の改定版。初めて観る私にとっては起承転結のない単調なダンスに思えてならなかった。音楽にも斬新さが見えず残念でならない。もっとダンスでいろいろな感情を表現して欲しかった。
救いだったのが、何故おまえ達が!!と思える“グループ魂”の登場である。考えもしない珍しいキノコ舞踏団とのカップリング(絡むわけではないが)、似合わないパナソニック・グローブ座。私は大感激であった。一粒で二度おいしいとはこのことではないだろうか。

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ラッパ屋 第24回公演「鰻の出前」

新宿THEATER TOPS  3/12〜4/2 
3/15(土)観劇。座席 c-4

末娘の結婚、定年、離婚と波瀾万丈の1年間を送るお父さんの話。

『寺内貫太郎』以降、良質のホームドラマが消えて随分経つが、久々にドタバタの中にも、人生の喜びや憂いが詰まったホームドラマを観た感じであった。人物描写もよく、隅から隅まで楽しめる。毒のない笑いも気持ちがいい。
ただ、終盤まで“お父さん”を主に置いて描いていたのに、最後になって長男の話で終わってしまったのは、話が散漫になった感じで、感情移入においても失敗だったと思う。舞台設定の「桜が中庭にある家」も「池が中庭にある」『凄い金魚』に似ていたし、登場人物がどこか似ていたりとちょっと、あれっ、と思わざるを得ない所がある。これでは以前の作品を超えることは出来ない気がする。今が鈴木聡の正念場か。
『鰻の出前』の意味は最後に明かされるのだが、それが奇跡を起こす訳ではない。あえてしないところが、人生のおかしさなんだろうと脚本のうまさを感じずにはいられなかった。


“ラッパ屋”自分が観た公演ベスト
1.サクラパパオー
2.凄い金魚
3.マネー
4.裸天国
5.鰻の出前

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G2プロデュース「12人の入りたい奴ら」

スペース・ゼロ  3/19〜3/25 
3/22(土)観劇。座席 I-1

セキュリティシステムの誤動作(実は計画的なのだが)で、ビルに入れないけど、入りたい12人の話。

実際はその12人プラス、ビルのオーナーや守衛、セキュリティシステムの営業、はたまた羽曳野の伊藤までが絡み、ごちゃごちゃの中で話は進む。
まずは期待通りのおかしさではあった。これだけのメンバー、後藤ひろひろの脚本とあっては、おかしくないわけはない。羽曳野の伊藤の登場には拍手喝采だし、惑星ピスタチオの佐々木蔵之介の“一人デビルマン”はストーリーと関係ないところで腹の皮がよじれるおかしさだったし、個々のところでは大満足。しかし、一つ一つはいいが、全体としては大味というプロデユース公演にありがちな、「おいしいものを詰め込んだけど結果がよくない」という悪い所がはっきり出てしまった公演。(中には食あたりを起こすような、最低のものもあったけど)
あと、羽曳野の伊藤がまとも過ぎてもの足りない。話をもっと、とんでもない方向に持って行ってこそ、羽曳野の伊藤。

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トム・プロジェクト「マシーン日記」

かめありリリオホール  3/28〜3/29 
3/28(金)観劇。座席 6-17

昨年度の自分が観た演劇ベスト4の作品(ここ参照)の再演なれど、役者の変更により採点は辛い。松尾ワールドは生きていたが表現者により、こうも印象が違うのかと痛感する。サチコ役の丸山昌子はがんばってはいるが、初演の加藤直美と比較してしまうと雲泥の差がある。それはあまりにも丸山が普通の人間すぎてしまい、歪んだところとかうまく表現できていなかったからだと思う。ただ、そのおかげで回りの人達の異常さが、際立つ結果にはなっている。
今回特に残念だったのは、ラスト悲惨な状況で「オズの魔法使い」と目を輝かせて、「私が主役よ」と言わんばかりに、サチコが恍惚に浸る場面が希薄だった事。それはサチコの気違い度とか不足していて、全体の狂った世界の清々しさが消えてしまったのが原因だと思う。

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H・アール・カオス「ロミオとジュリエット」

パナソニック・グローブ座  3/27〜3/30 
3/29(土)観劇。座席 G-9

構成・演出・振付 大島早紀子/ダンサー 白河直子
“表現するのに言葉はいらない”と思えるすばらしい舞台。自分の中の常識を打ち砕かれたような衝撃を受け、その美しさに感動する。
喜び・はじらい・不安・悲しみ、ロミオとジュリエットの心の動きを踊ることで表現する(それも一人だけで)、白河のダンスに驚愕する。これは振付家の大島との一体化がなせるものであろう。加えて、コンピュータ・ウィルスによる伝達の遮断など新しい解釈もおもしろい。
なかでも特筆すべきは、『イマジン』をバックに踊る“麻薬中毒のロミオ”が苦悩し、狂い舞うシーン。このシーンは、凄すぎて涙が出た。“これを観ないのは一生の不覚である”とまで言い切ってしまおう。

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